薪ストーブでピザ焼き

2014年01月31日

台所を整理していたらピザを焼くのに丁度手ごろな
丸い鉄板が出てきたので早速使ってみました。
本当はピザ生地を種から発酵させて作りたいのです
が今回はお手軽に冷凍のピザ生地を使いました。冷
凍されたピザ生地をストーブの天板の上で解凍し炉
内温度が200度前後の熾き火になったところで五
徳の上に鉄板をのせその上にピザをのせて炉内に入
れます。前回の焼きりんごでは炉内の温度を上げす
ぎて真っ黒に焦がしてしまったので今回は焼き具合
をよく注意します。炉内に入れてものの1,2分でチ
ーズが溶け始め生地に焦げ目が付いてきたので取り
出しました。今回は上出来でした。軽いスモークの
香りがしてピザが焼きあがりました。いつか庭にピ
ザ窯を作ろうかと思っていましたが十分ストーブで
出来ることがわかりました。次は種からのチャレン
ジです。






  

Posted by メドウおじさん at 21:30Comments(0)薪ストーブ

石原町駅の周辺のホッパーと赤レンガ工場跡地

2014年01月30日

先日田原先生からうかがったお話で戦争前の昭
和の時代に石原町駅の東側の丘の部分(丸山)
で現在は住宅が建っている場所にかって井手浦
から採掘された石灰岩の積み込みホッパーが設
置されていたそうです。当時井手浦には小規模
の石灰鉱山があり井手浦から石原町駅までトロ
ッコ線路が敷設されていたそうです。また駅前
の桜の古木がある一帯には以前はJRの引込み
線ヤードでしたがその前の時代にはそこにはレ
ンガの製造工場があったそうです。工場は赤煉
瓦作りだったそうです。
ホッパー跡もトロッコ跡も赤煉瓦工場跡も今は
もうまったくその痕跡を見ることが出来ないの
は本当に残念ですがせめてその記憶を残したい
と思いました。この話を聞いて思ったのはお隣
の志井には小規模な石灰鉱山跡が残っておりさ
らに古い時代の石灰石焼成窯の跡が残っていま
す。同様の産業が東谷にもあったのだとわかり
ました。石灰岩の採掘はその後住友、三菱の大
規模鉱山の開発に繋がったのだと思います。
一方赤煉瓦工場ですが東谷地域には農家が多く
蔵を持っているところが多いですがその多くは
普通見られる漆喰造りのものではなく赤煉瓦の
強固なものが多く、不思議に感じていましたが
今回のお話をうかがって東谷に赤煉瓦の蔵が多
いのが理解できました。レンガ製品の地産地消
をしていたわけです。


ホームの正面にある住宅あたりにホッパーがあったと思われます。


住友鉱山の開発年表です。昭和10年から操業しています。


石原町駅の駐車場奥にレンガ工場があったそうです


東谷でよく見かけるタイプの赤煉瓦の蔵です。
  

Posted by メドウおじさん at 19:25Comments(2)東谷(北九州)の紹介

平尾台の麓ヤブ蚊の羽根音2

2014年01月29日

先般ここで紹介した「平尾台の麓ヤブ蚊の羽音」の作者
の方についてその後情報提供もあり作者の方と連絡がと
れました。作者は東谷地域が東谷村と呼ばれた頃から地
域のかかり付け医の田原医院の院長先生でした。田原先
生には私も子供の頃から大変お世話になっていました。
今回こういう形で再びご縁がいただけたのは嬉しい限り
です。3冊の著作は先生が地域のかかり付け医として半
世紀に及ぶ奮闘記であり、患者さんとの心温まる交流記
であり、時には当世への鋭い批評であったりします。
特に3冊目の「平尾台の麓、ヤブ蚊の回想」で描かれた
戦前から戦後にかけての東谷の様子が生き生きと書かれ
ており私には貴重な資料です。古いトロッコ線路や東谷
川沿いのハゼ並木の事など今はもう消滅したものが多い
ですがその痕跡などを今後追跡してみたいと思っていま
す。先生の3冊の著作ですが元々自費出版で部数も多く
なく当初の2冊は出版元がなくなったりで入手が難しい
状況です。アマゾンなどのネット書店で中古本が僅かに
流通しているくらいです。また今度いろいろなお話を
うかがえるのが楽しみです。


田原先生の出版された3冊の著作です


こちらは貴重な未発表の私家本です。
今回ご好意で読ませていただきました。
  

Posted by メドウおじさん at 20:44Comments(2)東谷(北九州)の紹介

オーロラバーンの炎

2014年01月28日

オーロラバーンは薪を多めに入れて炉内温度を十分に
上げた状態で(我が家のハンプトンH200では正面
ドアの温度計が120度以上)ダンパーを絞ると一次
燃焼のオレンジ色の炎から、炭化した薪から出る未燃
焼ガスが発火して赤紫色の揺らめく炎を見ることが出
来ます。この状態で一時間もすると火力が落ち炉内温
度が下がるとどうしても不完全燃焼気味になって煤が
発生しやすくなります。昨冬は薪の節約にもなるし2
月の寒い寒い時期におよそ一ヶ月この状態で炊き続け
たところ3月になって煤が溜まったのかドラフトが極
端に弱くなってしまいました。本当はこうなる前に一
度ダンパーをフルオープンにして完全燃焼させて煤を
焼き切れば良かったのですが昨冬はすでに時期遅しで
した。今年は昨年の失敗に懲りているので、この冬は
オーロラバーンの状態は長く続けないようにしていま
す。未燃焼ガスの発生が弱くなったと思ったらダンパ
ーを開くようにしています。二次燃焼方式が触媒式の
ストーブなら不完全燃焼の心配が少ないです。



オーロラバーンの映像です。
  

Posted by メドウおじさん at 20:41Comments(0)薪ストーブ

冬庭のハーブコーナーの手入れ

2014年01月27日

冬のハーブコーナーはほとんどの種類が冬休み中です。
わずかに残っているのは木本性のタイムとローズマリー
くらいです。東谷の冬は結構冷えるのでローズゼラニュ
ウムやレモングラスなどは防霜に藁や枯葉をてんこ盛り
にして株にかぶせています。そのほかでは薪ストーブか
ら出てくる木灰と米ぬかを花坂爺さんよろしく撒いてい
ます。米ぬかは春までにバクテリアが分解してくれるの
を期待しています。木灰は土壌を灰のアルカリ分で中和
することと不足しがちなリンとカリウムの補充を狙って
います。とは言うものの今まであまり狙い通りにうまく
いったことは少ないので気長にやることにしています。

 


  

Posted by メドウおじさん at 20:55Comments(0)庭作り

ストーブの着荷材

2014年01月26日

キャンプで焚き火をした経験のある方なら良くわかると
思いますが野外での焚き火の着火は意外と難しくちょっ
としたコツがいります。スタート用にドラフトが発生し
やすいように細めの薪をやぐらに組んでよく乾燥した小
枝や杉の葉などを着火材の代わりにして火をつけスター
ト用の薪に火が移ったら徐々に太い薪をくべていきます。
このときあまり火をいじらないのが着火がスムーズに行
くコツです。一方薪ストーブは野外の焚き火に比べると
着火はずいぶん簡単です。基本は野外の焚き火と同じで
すがストーブは炉内で上昇気流(ドラフト)が発生する
ので薪は初めに必要量投入して小枝に火をつければいい
ですがより簡単、着実に着火させるにはストーブ専用の
着火材もあります。1.5cm×2cmほどの固形アルコ
ールのキューブです。火持ちは公称15分(実際はダン
パーを全開にして使うのでそこまで持ちません)ですが
ストーブの火をおこすには十分です。また着火時の煙や
臭いが気になる方もいると思いますが煙突設計、工事が
適性ならドラフトが自然発生して着火時の煙や臭いは
煙突に吸い込まれていくので我が家ではほとんど気に
なりません。


  


Posted by メドウおじさん at 21:55Comments(0)薪ストーブ

U田先輩のこと

2014年01月25日

U田先輩は私の一期上の方でマンドリンクラブのコン
サートマスターをされた方です。マンドリンが下手で
不肖の弟子だった私は良くお世話になりました。
繊細で優しく、そのくせオチャメでいつも後輩からは
慕われ先輩からは「U田、U田」とかわいがられた存
在でした。卒業後は大手自動車会社のN自動車へ就職
されました。私は就職した年の4月に一度U田先輩の
金沢文庫の下宿に遊びに行きました。金沢文庫の下宿
はどこか学生時代のセントショージを思わせる部屋だ
ったように思います。どんな話をしたかはもう忘れて
しまいましたが明け方近くまで話し込んだのだけは憶
えています。その後互いに音信は少なくなりましたが
風の便りで先輩は学生時代から好きだった女性と結婚
されたと聞き嬉しく思ったものです。その後月日は流
れ次にお会いしたのは永遠の悲しいお別れの時でした。
その年頂いた年賀状の字に力がなかったのが気になっ
ていましたが1月の下旬に悲報を聞く事になるとは思
ってもいませんでした。賀状はきっと苦しい中、一生
懸命手書きしてくれたかと思うと今でも胸が詰まります。
知らなかったとは言え当時私は東京に住んでいたので
もっと早くにお会いしておけば良かったと悔いが残り
ました。最後の対面で眠っているような穏やかな顔を
されていたのがせめてもの私の慰めでした。10年前の
悲しい思い出の一つです。
 昨年山口で同期会をしたときに当時の定期演奏会の
パンフにU田さんが描いたイラストとポエムが挿絵と
して使ってありました。いかにもU田さんらしい瑞々
しい感性に彩られたものでした。改めてU田さんのご
冥福をお祈りします。


パンフに描かれたU田さんの作品です。

  

Posted by メドウおじさん at 19:31Comments(4)山口

冬の柑橘類、金柑子

2014年01月25日

金柑子は冬の柑橘類で1月が旬です。大きくても
10cmに満たない小ぶりな実が生ります。我が家
には苗を植えて40年は経っている古木があります
が今でも良く実をつけてくれます。爽やかな酸味と
みずみずしい果実が特徴です。夏みかんほど強い酸
味がなく食べやすい品種です。とはいうものの最近
は酸味のきつい在来の古い品種は消費者に敬遠され
るようでまず流通に乗ってこない種類です。もっと
も東谷ではよく見かける品種です。金柑子の次は
八朔、続いて甘夏柑、夏の盛りには夏みかんの強烈
な酸味が夏バテ予防に良く効きます。
 

  

Posted by メドウおじさん at 06:21Comments(0)果樹

まごころ製品大規模販売会

2014年01月23日

昨日NHKの夕方のニュースで障害者の方が真心を込
めて作られた品々の展示販売会の様子が放映されてい
ました。会場は福岡三越9階、催物会場で1月22日
(水)~1月26日(日)まで開催されています。
出展される品々は縫製品、雑貨、食器、木工品、ケー
キ、お菓子、カレー、に新鮮野菜や加工食品などです。
テレビでは障害者の方々の収入は残念なことに福岡県
は全国平均よりかなり低いそうです。一人でも多くの
方が関心を持って購入してくれると嬉しいです。
我が家はさっそくスコーンと黄な粉ボールのセットと
猫の木工品と磁器ろを買いました。特に黄な粉ボール
はほど良い甘さで癖になりそうです。コーヒーと頂く
と、とてもおいしいです。皆さんぜひ一度足を運んで
ください。

クッキーの詰め合わせはパッケージもかわいく丁寧なつくりです。
なにより美味しいのが一番です
  

Posted by メドウおじさん at 19:43Comments(0)

JA東谷農協

2014年01月22日

JA東谷農協は石原町駅前の通りにあります。そのJA
バンクの建物が先日新しく建て替えられました。以前の
建物の隣に新しい建物が建ちました。外観は中谷や他の
JAバンクの建物と同じで大きな特徴はありませんが
JAバンクは郵便局とともに東谷の二大金融機関で住民
にとってはなくてはならないものです。個人的には以前
の入母屋作りの建物が好きでした。この古いJAには思
い出があります。私が小学校の2年生のときに農協の有
線電話に加入し我が家でも電話が使えるように鳴りまし
た。当時有線電話は農協の組合員でないと引けなかった
のでそのために組合員に加入したと父親から聞いた記憶
があります。有線電話は当初は個別に交換手を呼び出し
通話先につなげてもらうというやり方でした。その後
自動交換の電話になりましたが、それまでは同じ町内の
方の会話は筒抜けで丸聞こえになるというもので内緒の
話など出来ないものでしたがそれでも必要なものでした。
このシステムはほどなく東谷地区に電電公社の回線が拡
大されて有線電話は廃止されました。今では1Gの光回
線がきています。 


新しいJAバンク東谷支店です


以前のJAバンクです
  

Posted by メドウおじさん at 20:33Comments(0)東谷(北九州)の紹介

三谷地区の語り部

2014年01月21日

ほぼ毎日ブログを書いていると同じ地域の方で似たような
事をやっておられる方がいないか気になるものです。ネット
であれこれ検索していると東谷や三谷地区に関係のありそ
うな方が数人いらっしゃいました。一部の方以外はご挨拶も
してなくて直接の面識もないのでここでの紹介は控えさせて
もらいますが、お一人だけ東谷地域の昔の事にお詳しい年
配のお医者さんが辛口のエッセイを出版されていて、その
一部が電子プレビュー紹介されていました。著者の方は田
原多加示さんというペンネームです。もしこの方についてご
存知の方がいらしたらぜひコメントをいただけたらありがた
いです。

出版社:文芸社
著書名:平尾台の麓、ヤブ蚊の羽音
著者名:田原多加示





文芸社さんより画像をお借りしました。
  

Posted by メドウおじさん at 20:41Comments(2)東谷(北九州)の紹介

旧八幡製鉄所・東田高炉

2014年01月20日

先日北九州市の旧八幡製鉄所の旧本事務所などを中心に
山口の萩市、中間市、大牟田市、鹿児島市など九州の産業
遺産を世界産業遺産に登録申請することが閣議決定しまし
た。本ブログで「勝手に近代化遺産」と称して北九州一円の
煉瓦建造物などを紹介してきた私としてはとても嬉しく思い
ます。特に旧本事務所は現在非公開ですが遺産登録され
れば一般公開されることが期待されます。世界産業遺産な
どメジャーなものは今後観光資源として取り上げられること
が多くなると思いますが私はそうでない、マイナーな身近な
ものを取り上げて微力ながらスポットを当てたいと思います

遺跡・遺産などは過去と現在、さらには未来をつなぐ生き
人です。いずれも口を開いて声高に語ることはありません
が本当に貴重なものばかりです。古いものを大切にして
現代に生かすことを多くの方に関心を持ってもらいたい
です。



復元された東田第一高炉です。九州産業遺産の
シンボルです










スペースワールドのある八幡東区の枝光地区には
人気スポットの命の旅博物館などミュージアム街
になっています。なかでも東田高炉はランドマー
ク的シンボルでもあります。旧高炉以外にも当時
の重機なども野外展示されています。今は訪れる
人も少ないですが今後は期待大です。

  

Posted by メドウおじさん at 20:59Comments(2)勝手に近代化遺産

新春の山菜(冬の山菜)

2014年01月19日

季節は冬の真っ只中ですが東谷の山野では山菜の春の
芽吹きが始まっています。先般、フキノトウを紹介しまし
たが他にも新芽が出ています。新芽といっても地際に張
り付くように生えているものばかりです。フキノトウもそう
ですがこの時期の山菜は新芽でアクも少なく、成長して
くるとアクが強くなる山菜も食べやすいです。我が家の
庭にもいくつか山菜が芽吹いていました。今日はご近
所さんで我が家をリフォームしていただいた大工さん
の棟梁ご夫妻と一緒にたこ焼きを楽しみました。それ
でたこ焼きの前菜として新春の山菜で天麩羅にしまし
た。アクの強いフキノトウもこの時期は天麩羅にする
と程よい苦味が口中に広がり春を感じることが出来
ました



右上より赤みのある葉がハーブ名ソレル(スイバ)、
その左がヨモギ、真ん中右がアザミ、その左が春の
七草のハコベ、下の左がフキノトウ、右が自生の
セロリです。スイバは爽やかな酸味が持ち味です。

  

Posted by メドウおじさん at 22:08Comments(0)山菜

香春の水、仲哀の名水

2014年01月18日

田川の香春方面から勝山へ抜けるのに今は新仲哀トンネ
ルが完成しているので便利ですが以前は旧金辺峠と同じ
で七曲の道を登り旧トンネルを通っていました。またさらに
昔は峠を越える難所でした。
この新仲哀トンネルの香春方向の入り口近くに仲哀の水が
あります。有料ですが東谷の無法松酒造の仕込み水と同じ
ように人気が高く多くの方が利用しています。名水の近く
には以前紹介した石橋もありさらに上流には呉ダムが作ら
れています。この近辺も散策にはもってこいの場所だと思
います。春になって気候が良くなったらこのあたり一帯を
歩いて見たいと思っています。




 


  

Posted by メドウおじさん at 20:01Comments(0)香春町

冬の花木2

2014年01月16日

毎年思うのですが大学入試のセンター試験のある前後は
毎年寒波が来て寒い日がとりわけ多いように思います。
二十四節季の大寒がもうすぐですが、この二十四節季
というのは本当によく季節感をあらわしていると思い
ます。大寒を前に庭は寂しい状況ですが、それでもい
くつかの花木が咲いています。球根の日本水仙は陽だ
まりで風の弱い場所ではもう、花が咲いています。
花木では一重のロウバイやそろそろ盛りは過ぎました
が山茶花も今年はよく咲きました。ちょっとびっくり
したのは黄色のレンギョウがもう一部咲き始めていた
事です。レンギョウは普通3月の上旬に咲くので明ら
かに早過ぎですが枝を強く剪定した株なので芽だしが
早まったのかもしれません。


日本水仙です。香りも良いです


ロウバイです。これも香りが良いです。
 


レンギョウですがちょっと早咲き過ぎです。


山茶花は盛りが過ぎてはらはらと
散り始めています。

  

Posted by メドウおじさん at 19:46Comments(0)季節の花

新春一番の山菜、フキノトウ

2014年01月15日

筑後川沿いの浮羽に別荘をもたれているご近所さんが
もう今年はフキノトウが出ていると教えていただいた
のでまさかとは思いましたが、毎年春の恵みを頂く沢
に様子を見に行くとなんと、まだ芽が出たばかりです
がフキノトウが出ていました。毎年2月上旬に見るこ
とが多いので2週間以上早く出てきた勘定です。
我が家の庭では毎年2月の中旬以降なのでまだ出てき
てないですが今年は早いかもしれません。昨年は桜も
3月の下旬には満開でしたが、今年も早まるかもしれ
ませんね。
フキノトウはフキ味噌を作るには少し小さいのでこの
初物は味噌汁の具にして春一番の香りを楽しむことに
します。


まだ出たばかりのフキノトウです

このくらいの大きさだとアクも少なく食べやすいです。
一つを味噌汁の具にしてもう一つをおひたしにしました。
春の香り一杯です。
  

Posted by メドウおじさん at 20:12Comments(0)山菜

常栄寺、雪舟庭

2014年01月14日

山口市は室町時代の大内文化を色濃く反映した西の
小京都です。瑠璃光寺から津和野方面へ国道9号線
バイパスを走りJR山口駅の一つ先の宮野駅近くに
雪舟が作庭した見事な庭があります。今はもう、す
っかり紅葉も終わり冬枯れの庭になっていると思い
ますが私が行った頃は紅葉が盛りでした。
本堂の縁側に座って雪舟の庭を見ていると不思議と
心が落ち着きます。雪舟は全国を漂泊したので各地
で作庭しています。東谷でも当時の豪農村上家に逗
留した際に小規模ですが庭を造っています。
ここ山口の常栄寺には枯山水の庭もありますが私は
やはり雪舟の庭が好きです。枯山水はあまりにもデ
フォルメや単純化されて見る側に緊張感を強いるよ
うに感じられるからです。雪舟の庭はすっと自然に
庭に溶け込んで自分が庭の一部のような感じを受け
ます。ここでは抹茶も点ててくれるので庭を見た後
の一杯も乙なものです。


常栄寺の正門です



正門を入ると常栄寺の伽藍が一望できます。



本堂正面です


りっぱな山門です


 


本堂前の枯山水の庭です





上の3枚が雪舟庭です。見事な庭です。




 

 
  

Posted by メドウおじさん at 20:10Comments(0)山口

おろし大根餅

2014年01月13日

我が家には猫の額ほどの小さな畑があって一応私が
季節の野菜を少し植えるのですがこれがなかなか難
しいです。野菜は種まきや苗の植え付けのタイミン
グが狂うと思ったように成長してくれません。それに
連作障害も出やすく同じ種類を毎年同じ場所に植え
ると極端に成長しないことがあります。今年の秋は
特に調子が悪く白菜は巻かずにだらりと葉が広がっ
たままですし、キャベツやブロッコリーは小さいま
まではたして収穫できるか心配です。かろうじて出
来たのは大根くらいです。大根は最初の間引きは浅
漬けにしてもおいしいですし、2回目は葉を炒め物
にするとおいしいです。
お正月の餅が少し残っていたので大根おろしでおろし
餅を作りました。大根おろしには健胃作用とジアス
ターゼという消化酵素を豊富に含んでいるので胃も
たれにはぴったりです。ご近所の野菜名人さんに
遅れること2週間でなんとか食べごろになった大根
でおろしをすり、頂きました。出来はイマイチですが
新鮮さだけはピカイチです。


私の大根です。もう少し間引きをしたほうが成長が
よかったと思っています。


今年の大根の初収穫です



我が家のおろし金はクラシックタイプで、母親が
使っていたものです。


ちょっと遅れましたが我が家の鏡開きです。
  

Posted by メドウおじさん at 20:11Comments(2)食べ物

冬庭の整理と堆肥作り

2014年01月12日

秋の山野草が終わった庭は現在冬眠中ですが今の
時期にやっておかなければいけない事に枯れ茎や
枯葉の整理があります。山野草の多くは宿根草な
ので冬のあいだに時際で枯れた部分を切り取って
おく必要があります。こうしておくと株元に冬の
日差しがよく当たり春以降の成長が良くなります
し春咲きの山野草は花付きが良くなります。また
秋の山野草は背が高くなるものが多いので枯れた
ままにしておくと見た目も悪いので今のタイミン
グで整理すると良いです。こうして整理が済むと
冬眠中の庭にも春の準備が進んでいるのに気がつ
きます。チューリップや糸水仙などはもう、春の
芽出しが始まっています。また集めた枯葉や枯れ
枝はコンポストに入れて堆肥にします。我が家に
は1m四方のものが二つあるのですがこれでも足
りないくらいの枯葉が出てきます。積み上げた枯
れ草にはご近所からいただいた米糠を混ぜ込みま
す。こうしておくと堆肥化するスピードが早くな
りミミズなども自然発生してきます。すると今度
はミミズを狙ってジョウビタキなど小鳥がやって
きて変化に乏しい冬の庭を楽しませてくれます。



山野草の庭です。すっかり冬眠中です。 





バラのコーナーです。



イトスイセンの芽が出ています



コンポストが満杯中です。

  

Posted by メドウおじさん at 19:18Comments(0)庭作り

森鴎外旧居

2014年01月10日

明治の文豪森鴎外が小倉に短期間ですが軍医として
単身赴任していた事はあまり知られていないのでは
ないでしょうか。明治33年6月から35年1月の
1年10ヶ月の短い間でしたがこの期間に名作、舞姫
の構想を固めたり即興詩人の翻訳を完成させたりし
ています。鴎外の小倉時代というのは軍医として左
遷されたと言われ鴎外自身も当初は落ち込んでいた
と言う話もありますが3年未満という比較的短い期
間で東京へ軍医部長として返り咲いたのですから必
ずしも左遷ということもなかったのかもしれません。
また鴎外自身もこの時期に九州の文化人と積極的に
交流し新聞のコラムなどに多数執筆しています。
当初は現在の小倉駅近辺の京町に寓しその後鍛冶町
に転居しています。現在、この鍛冶町の旧居は当時
のままに保存公開されています。単身とは言え思っ
たより小さな住まいで鴎外の簡素な生活ぶりが伺わ
れて好ましいです。明治期の小倉にはそのほかでは
日露戦争に名を残した乃木希典大将が師団長時代に
暮らした跡を示す石碑が現在のリバーウォークの堀
側通路に残されています。







 
紫川沿いの鴎外記念碑です。
  

Posted by メドウおじさん at 21:22Comments(0)東谷(北九州)の紹介