思い出のマンドリン楽曲2(パストラル・ファンタジー)

2015年09月01日

私がマンドリンを弾いていた学生時代、マンドリンオーケス
トラ界では藤掛廣幸氏の一連のマンドリンが曲がちょっと
したブームでした。氏はもともと映画音楽やTVドラマの挿
入曲などを手掛けておられました。マンドリンが曲を手掛
けられた理由は私の不勉強でわかりませんが当時学生
マンドリン界では彼の名曲パストラルファンタジーが大きく
取り上げられていました。私が彼の曲を初めて弾いたのは
2年の時の夏休みで西日本学生マンドリン学生連盟と言っ
て九州・山口の学生マンドリンクラブの合同演奏会が長崎
でありそれに参加しました。私は2ndパートで参加し、各校
のパートリーダーと交流し大変刺激を受けたのを憶えてい
ます。パストラルはこのあと冬の定演でも演奏しました。
曲は出だしから独特のシンコペーションのリズムに乗って
軽快な主旋律が1stから2nd、ドラ、セロ、ギター、ベース
各パートを変奏しながら移っていくという各パートが平等
に重要性をになったつくりになっています。当時も良く演奏
されていたイタリアのオリジナル楽曲の多くは1stが主旋律
を担当し、2nd以下は和声やユニゾンで曲を支えセロやギ
ター、ベースは低音部のリズムやコードで支えるといった作
りが多かったのですが、パストラルは各パートが主旋律や
重要なハーモニーを担当するため、他パートの音をよく聞
く必要があり合奏の楽しさを本当に実感できた曲でした。
後半のファンタジアは広い牧場を吹き抜ける爽やかな風が
自分の体を包むような感じで今聞いてもまたマンドリンを手
にしたくなるような気持にさせてくれる曲です。
パストラルファンタジーもユーチューブに多くの動画がアッ
プされているのでみなさんもぜひ一度聞いてみてください。




初めてパストラルファンタジーを弾いた西マンのコンサートパンフレットです。






冬の定演のパンフレットから。曲目解説です。
  

Posted by メドウおじさん at 18:22Comments(0)山口

思い出のマンドリン楽曲1

2015年08月21日

学生時代4年間のマンドリンクラブ活動で数多くの楽曲を
弾いてきましたが今も印象に残る楽曲や作者はたくさんあ
ります。自分的に3つ選べと言われると鈴木静一氏の「失
われた都」藤掛廣幸氏の「パストラル・ファンタジー」、
そしてラッタの「英雄葬送曲」です。今回はラッタの英雄
葬送曲を紹介させていただきます。
この曲は特定の英雄の死を悼んだものではなく第二次
世界大戦でその尊い命をささげた戦士すべてを弔う思い
が込められています。この曲の前半部は技巧的に難し
部分がありソロならともかく合奏で演奏するとなると大変
難しい曲でした。私がこの曲をコンサートで弾いたのは3
年の冬のコンサートでコンマスは私が敬愛していたU田さ
んで指揮は同じく4年のK枝さんでした。U田さんはこの
曲を演奏会で取り上げることが決まった以降、下宿に遊
びに行くと難しいフレーズの部分をよく練習されていまし
た。K枝さんも当時大学のマンドリンクラブで最高峰にあ
ると言われた同志社大学の演奏テープをよく聞いて研究
されていました。
前半部は激しい戦闘を思わせる技巧的に難解な主旋律
で構成されます。そして後半では一転して激しい戦闘で
倒れた兵士を悲しみと敬慕のねんをもって送る正に壮大
な葬送曲となっています。曲はネットのユーチュ-ブなど
で「マンドリン 英雄葬送曲」でググると幾つも演奏動
画があります。それぞれ前半部分について指揮者や演奏
者の解釈などの違いがみれてとても面白いです。興味の
ある方はぜひ一度お聞きください。


英雄葬送曲は第18回定期演奏会のラスト曲として弾きました。



18回定期演奏会のパンフレットです。




英雄葬送曲の曲目解説です。


  

Posted by メドウおじさん at 18:43Comments(0)山口

奏苑について

2015年04月22日

学生時代の思い出としてマンドリンクラブの活動につい
て書いていますが、先輩や、同期、後輩との交流の話が
多く、はたしてちゃんと音楽活動をやっていたのかと先
輩諸氏から叱られそうなので、何か定演以外に音楽活動
に関する証拠がないかと古い資料を探したら、ありまし
た。奏苑です。奏苑とは山口県学生マンドリン連盟の機
関紙で年に1回発行されます。山口県学生マンドリン連
盟(通称、県マン)は県内の学生マンドリンクラブで構
成され年に1回宇部地区と山口地区で交代で合同の演奏
会を行っていました。私が4回生の時にマンドリン音楽
史について書いた小文が載っています。
小文の中で紹介していますがヴィヴァルディのマンドリ
ンコンチェルトとベートーヴェンのマンドリンとチェン
バロのソナタは小品ですが今聞いてもいい曲だと思いま
す。特に若きベートーヴェンの曲は後年の苦悩を絞り出
すような交響曲とは違い青年らしい気持がよく表れてい
るように思います。あまり耳にすることはないかもしれ
ませんが、機会があればぜひお薦めします。


県マンの機関紙、奏苑です。



私が4回生の時に書いた小文です。マンドリンの音楽史です。
  

Posted by メドウおじさん at 19:39Comments(2)山口

アットランダムとアポロン

2015年03月26日

アットランダムというのは私がいたマンドリンクラブで代々
使われていた自由雑記帳のことです。(使われていたと過
去形にしたのは現在も使われているかどうか不明だから
です)
部員同士の連絡だったり、日々の感想だったり、それこそ
自由気ままなノートでした。記入者はたいていハンドルネー
ムを使用していましたが部員なら一目で誰なのかわかった
ものでした。今の時代ならSNSや電子掲示板などPC機能
が発達しています。アナログで古いコミュニケーション手段
だったかもしれませんがそこに人間味を感じるのは私だけ
ではないと思っています。
アポロンは年に1回発行されるクラブの会報誌です。毎年4
年生が中心で編集を担当し原稿集めに苦労していたのを思
い出します。内容はまじめな音楽論からポエム、恋愛記、
自由気ままな日常生活をつづったものまで多岐にわたりま
す。
先日自宅の荷物を整理していたら当時のアポロンが出てき
ました。よほど原稿が不足していたものか、当時の部員の
交流記(マージャン遊びの中継文)が載っていました。わたし
もその当事者の一人だったので思わず読み返して一人で笑
ってました。


私が在学していた当時のクラブ会報誌アポロンです。なぜか一冊見当たりません。ちなみに一番上の
オレンジ色のものが私が4年時のものです。

 

アポロンの一部です。手書きのガリ版刷りで手作り感満載の会報誌でした。
サムネイルをクリックすると中を読むことが出来ますが私を含め出演者の
名前を本人の名誉のためにモザイクをかけました。文章はこのあとだら
だらと2ページ続きます。(笑い)


  

Posted by メドウおじさん at 19:55Comments(2)山口

松下村塾訪問(マンドリンクラブ1回生7月)

2015年03月03日

今、NHKの大河ドラマで「花燃ゆ」をやっています。
ちょうど吉田松陰が松下村塾を始めたところです。
私は学生時代を山口で過ごしたので萩には何度か遊び
に行きました。下の写真は当時のマンドリンクラブの
仲間と一緒に萩まで行った時のもので確か1年の時だ
ったと思います。当時練習は週に2,3回だったと思
いますが、練習日以外は良く同期や先輩、後輩と遊ん
でいました。今考えても仲が良かったですし楽しかっ
たです。一年の時は夏休みまでは普通の練習は各パー
トごとに基本練習でした。私は楽器を本式に練習する
のは初めてだったので、基本練習もそれなりに楽しか
ったですが、それ以上に楽しかったのは同期や先輩と
の交流でした。下の写真はそんな楽しかった一枚です。
(実は最近写真を見るまでこのメンバーと萩に行った
のは忘れていましたが、入学した年の夏休み前のころ
だったと思います。)

懐かしい面々です。
右端のh君とは一昨年それこそ38年ぶりに同窓会で会いました。懐かしかったです。
たぶん本人もこの写真のことは覚えてないかもしれませんが(笑い)

  

Posted by メドウおじさん at 22:42Comments(2)山口

マンドリンクラブ1回生(春~夏1)

2014年09月14日

多少不純な動機でしたが入部した後は、一生懸命
練習しましたよ。(笑い)最初は全弦トレモロと
いって1弦から4弦まで4組8本の弦を一度に
ピックでトレモロを行います。これはトレモロの
コツをつかむと同時に右手の練習にもなりますが
、これを大人数で同時に行うとすごい音量でさぞ
かし合唱部やオケ部には迷惑だったかもしれませ
ん。次は音階練習です。はじめはダウンピッキン
グでゆっくりと、徐々に慣れるとダウンアップの
ピッキングで徐々に早く弾くようにします。
トレモロとピッキングと音階がある程度できるよ
うになると次は教則本を使って練習します。私た
ちは当時、オデルのマンドリン教則本を使ってい
ました。多数の練習曲が集められており弾き進む
につれレベルアップできるようになっています。
こうして週に2,3回、2回生の先輩に教えて
もらいながら練習していました。ではそれ以外の
日は何をしていたかというと、上級生や同級生と
コミュニケーションや飲みにケーションで交流を
深めていました。学資を出してくれた両親には今
思えば申し訳ないですが入学当時わずかに残って
いた勉学への向学心はこの頃にはもう、すっかり
消え果てていてマンドリンクラブ中心の生活にど
っぷりとはまっていました。 


当時使用していたマンドリン教則本と練習で使用していたマンドリンと同型の鈴木のマンドリンです。
因みにこのマンドリンは奥さんの愛機です。



入部してすぐにあった山口県学生マンドリン連盟の演奏会です。県内の大学、短大、専門学校のマンドリンクラブで
構成され年に1回春に合同で演奏会を行います。会場は山口と宇部で交代で開催されていました。もちろん
このときはまだ演奏には参加していませんので端の方に小さく映っています。



春の定期演奏会です。この時もまだ舞台には上がっていませんが終了後の打ち上げ会にはしっかりと
参加していました。



入部して一カ月くらいのころでしょうか。一年生同士の懇親を深めるために皆で遊びに行った時の写真です。
場所はたぶん津和野だと思うのですが、なぜだかこのときの記憶が全くと言ってもいいほど覚えていません。
マンドリンクラブ時代の写真はほとんどきちんと記憶があるのですがこのときは何故か???です。
たぶんこの頃はまだクラブになじんでいなくて緊張していたのかもしれません。



新入生歓迎のレクリエーションで、ほうべん山に登った時です。カルテットの集合写真です。
カルテットというのは1年から4年生までで構成される班活動の単位です。カルテット活動で
先輩たちと仲良くなりました。



山頂での写真です。みんないい笑顔です。この頃にはもう、すっかりなじんでいました。(笑い)
  


Posted by メドウおじさん at 17:47Comments(4)山口

マンドリンクラブ入部のいきさつ

2014年09月04日

入学した当時の私は穂積荘という椹野川沿いの
一人三畳一間で50人くらい学生のいる下宿で
した。
ここは新入生が多いという事で毎日夕方になる
と多くのクラブやサークルが勧誘によく来てい
ました。そのころ私はアーチェリー部に入りた
いと思っていて勧誘に来たら入部しようと思っ
ていましたが何故かアーチェリー部は来ません
でした。そうこうしているうちに小学校から同
級生だったU尾君が学内で文科系のクラブ紹介
があるので一緒に見に行きました。当日は音楽
系のクラブ紹介をやっていました。この日が私
とマンドリンの初出会いで大げさに言うとその
後の私の人生に大きな影響を与えた出来事でし
た。当時の私は音楽にはほとんど興味がないば
かりか幼稚園の時に習ったオルガンが弾けずに
挫折したトラウマもあり楽器関係はできるだけ
遠ざけていたくらいでした。そんな具合でオケ
や合唱のクラブ紹介をぼんやりと聞いていた私
でしたがマンドリンクラブの演奏が始まるとよく
漫画で見るガーンと後頭部を一撃されたような
衝撃に襲われました。トレモロの軽快な響きも
良かったですがそれよりなによりもマンドリンを
小脇に抱えて演奏する女性の先輩の姿に見とれ
てしまいました。いわゆる一目ぼれ状態でした。
私とU尾君はさっそく入部手続きに行ったので
すが私の人生の方向に大きく影響を与えた一瞬
でした。
今考えると音楽性には全く関係のない多少不純
な動機でしたが言い訳をするならその後数々の
マンドリン音楽の名曲に触れながら次第にその
魅力に引き込まれました。そしてヘタながら一
生懸命練習に取り組みました。
さらに後日談を告白するなら私が一目ぼれした
先輩の女性にはもう、同じクラブの先輩の彼氏
がいらして私の一目ぼれは一瞬にして散ってし
まいました。
よく人生で必要なことは全部小学校で学んだと
言いますが私には「社会人としての基礎は全部
マンドリンクラブで学んだ」と自信をもって
言えます。それぐらい大事で密度の濃かった4
年間でした。



部内の発表会です。不純な動機(笑い)で入部した私ですが、その後は自分なりに
頑張りました。
  

Posted by メドウおじさん at 20:39Comments(6)山口

山口大学マンドリンクラブ同期会

2014年04月05日

昨年11月に山口大学マンドリンクラブの同期会があった
のですが昨年の最も楽しかった思いでのひとつです。
同期会参加がきっかけで山口の思い出をブログに書きまし
たが実は中途半端で止まっています。一番楽しかった宴会
のことを書いていません。一番楽しい思い出を書いてしま
うともう後が書けない気がして今まで後回しにしていまし
た。同期の友人たちもそろそろ第二の人生が近くなってき
ています。また近いうちに再開できることを期待して楽し
かった集合写真を載せたいと思います。


先輩や後輩と一緒に集合写真です。

  

Posted by メドウおじさん at 10:00Comments(2)山口

U田先輩のこと

2014年01月25日

U田先輩は私の一期上の方でマンドリンクラブのコン
サートマスターをされた方です。マンドリンが下手で
不肖の弟子だった私は良くお世話になりました。
繊細で優しく、そのくせオチャメでいつも後輩からは
慕われ先輩からは「U田、U田」とかわいがられた存
在でした。卒業後は大手自動車会社のN自動車へ就職
されました。私は就職した年の4月に一度U田先輩の
金沢文庫の下宿に遊びに行きました。金沢文庫の下宿
はどこか学生時代のセントショージを思わせる部屋だ
ったように思います。どんな話をしたかはもう忘れて
しまいましたが明け方近くまで話し込んだのだけは憶
えています。その後互いに音信は少なくなりましたが
風の便りで先輩は学生時代から好きだった女性と結婚
されたと聞き嬉しく思ったものです。その後月日は流
れ次にお会いしたのは永遠の悲しいお別れの時でした。
その年頂いた年賀状の字に力がなかったのが気になっ
ていましたが1月の下旬に悲報を聞く事になるとは思
ってもいませんでした。賀状はきっと苦しい中、一生
懸命手書きしてくれたかと思うと今でも胸が詰まります。
知らなかったとは言え当時私は東京に住んでいたので
もっと早くにお会いしておけば良かったと悔いが残り
ました。最後の対面で眠っているような穏やかな顔を
されていたのがせめてもの私の慰めでした。10年前の
悲しい思い出の一つです。
 昨年山口で同期会をしたときに当時の定期演奏会の
パンフにU田さんが描いたイラストとポエムが挿絵と
して使ってありました。いかにもU田さんらしい瑞々
しい感性に彩られたものでした。改めてU田さんのご
冥福をお祈りします。


パンフに描かれたU田さんの作品です。

  

Posted by メドウおじさん at 19:31Comments(4)山口

常栄寺、雪舟庭

2014年01月14日

山口市は室町時代の大内文化を色濃く反映した西の
小京都です。瑠璃光寺から津和野方面へ国道9号線
バイパスを走りJR山口駅の一つ先の宮野駅近くに
雪舟が作庭した見事な庭があります。今はもう、す
っかり紅葉も終わり冬枯れの庭になっていると思い
ますが私が行った頃は紅葉が盛りでした。
本堂の縁側に座って雪舟の庭を見ていると不思議と
心が落ち着きます。雪舟は全国を漂泊したので各地
で作庭しています。東谷でも当時の豪農村上家に逗
留した際に小規模ですが庭を造っています。
ここ山口の常栄寺には枯山水の庭もありますが私は
やはり雪舟の庭が好きです。枯山水はあまりにもデ
フォルメや単純化されて見る側に緊張感を強いるよ
うに感じられるからです。雪舟の庭はすっと自然に
庭に溶け込んで自分が庭の一部のような感じを受け
ます。ここでは抹茶も点ててくれるので庭を見た後
の一杯も乙なものです。


常栄寺の正門です



正門を入ると常栄寺の伽藍が一望できます。



本堂正面です


りっぱな山門です


 


本堂前の枯山水の庭です





上の3枚が雪舟庭です。見事な庭です。




 

 
  

Posted by メドウおじさん at 20:10Comments(0)山口

懐かしの下宿

2014年01月09日

私が学生時代に住んでいた下宿は吉田キャンパス
まで約一キロのところで一年のときは穂積荘とい
って堪野川に架かる秋穂渡瀬橋のたもとにあった
50人の学生が住む大型の下宿でした。三畳一間
のバスなしトイレ共有という当時の下宿の中でも
条件の悪いところでした。大学の学生課からの紹
介だったのですが入学手続きが2,3日遅れたので
めぼしい物件が残っていなかったのです。
川沿いで強風が吹くと揺れるようなオンボロ下宿
でした。風呂は近くの湯田温泉の千人風呂という
大型銭湯に通いました。2回生に上がるときに友
人から湯田温泉駅の裏にある新しい下宿を紹介し
て貰いました。今度の下宿は四畳半で共用とはい
え台所も風呂もある当時としては平均的な下宿で
した。ここの大家さんは男子寮のほかに自宅の敷
地の中に女子寮も作っており私が入居するときに
女子寮には男子学生の出入りは一切禁止と強く言
われたのを思い出しました。大家さんは厳しい方
でしたが一年に一回大家さんのご自宅で下宿の男
子学生と女子学生を招待してくれて食事会を開い
てくれるなど粋なところもある方で本当によくし
ていただき今となっては懐かしい思い出です。


一年の時に住んでいた穂積荘の跡地に立っていたマンションです。


2年から4年まで住んでいた下宿です。多少リフォームして
ありますが今も健在でした。


一階の真ん中の部屋が私の部屋でした。懐かしいです。
  

Posted by メドウおじさん at 20:55Comments(0)山口

お世話になったお店

2014年01月04日

昨年、山口を訪問して思ったのですが吉田キャンパス
の周辺は35年前とそれほどあまり変わってなかった
ことです。一番変わっていたのは、学生下宿の造りで
しょうか。当時は木造平屋の長屋タイプの多かったの
ですが今は軽量鉄筋の2階建てAPか鉄筋コンクリの
マンションタイプのものがほとんどです。四畳半が標
準だった我々の頃よりずいぶんと立派になっています。
 変わってないものは大学周辺の、当時お世話になっ
ていたお店の多くが今も営業していることでした。
きっと今も多くの学生に愛されているのでしょう。
多くのお店が当時より立派に立て替えられていました
がなんとなく嬉しい気がしました。それで当時お世話
になったお店のことで思い出したのが大学の南門近く
にあった、よろず屋タイプの食料品店があってここの
特徴は当時から24時間営業でした。今のコンビニの
走りのようなお店でした。店の名前は覚えていません
が私たちは通称「ばっちゃん店」と呼んでいました。
このお店はお婆さんが店番をしており真夜中でも起き
ていて食料が買えたので私たち当時の学生には重宝な
お店でした。このお店にはちょっとした都市伝説が
ありました。深夜でも、朝早くでも、お昼までもいつ
行っても同じお婆さんが店番しており、いったいいつ
寝ているのだろうかと不思議でした。学生の間では
あのお婆さんは「松子」「竹子」「梅子」の三つ子の
三姉妹ではないかと噂されていました。それでいつ
行っても店番をしているのだと・・・・。
もちろんそんなことは無かったのでしょうが当時の
私たちには本当に便利でお世話になったお店です。
今回はお店のあった場所にはいけなかったのですが
次の機会にはぜひ訪問して見たいものです。
 


ネットからお借りした2008年時の「バッチャン店」です。新しく
改装されていますが入り口はこんな感じで店の奥に
おばあさんが店番していました。懐かしいです。


 

酒屋の三平さんです。マンドリンクラブの班コンパ
(カルテットコンパ)のときにお酒の買出しでお世話
になったものです。

食事処の一粒さんです。確か昔は湯田温泉の旧国道
9号線沿いにありました。当時のお店は他の学生さん
向けの食堂より少し値段が良かったのですがここの
焼き魚定食とハムステーキ定食がおいしくて懐が多少
暖かいときにはよく行っていました。


こちらは大学側の学生向けの食堂、長門館です。
学食とともによくお世話になりました。

懐かしい長屋タイプの下宿です。窓に板が打ち付けられて
今は使われてないようです。確かここは青雲荘といって女子
寮でマンドリンクラブの先輩や後輩が住んでいました。
女子学生版のセントショージのようなかんじでした。
後ろに見えるのが姫山です。

  

Posted by メドウおじさん at 10:00Comments(0)山口

新山口駅の転車台

2013年12月28日

新山口駅は元は小郡駅といって小郡町が山口市と合併した
時に駅名が変更になりました。この駅は山陽本線、新幹線
山口線が集まるターミナル駅で山口市の玄関に当たります。
この駅の構内には放射円形状になった転車台があります。
新幹線の上り線から良く見えていて以前から気になって
いましたが、なかなか小郡で下車するチャンスがなかった
のでゆっくり見ることが出来なかったのですが、今回はし
っかりと写真も撮ることが出来ました。
転車台は機関車や電車の先頭車両の向きを変える装置ですが
最近はあまり見かけないように思います。ここでは新幹線の
上り線のホームから良く見えます。
放射円形状の形は幾何学的で面白いです。JR好きの方には
お勧めのスポットかもしれません。


新幹線のホームから見た転車台です。









上の4枚は山口線の車両の中から撮影しました。
  

Posted by メドウおじさん at 21:04Comments(0)山口

萩往還道

2013年12月26日

萩往還道は萩~山口~三田尻(防府)の防長二国を結ぶ
古道です。私が学生だった頃はそうでもなかったのです
が今はちょっとした古道ブームで熊野古道ほどではあり
ませんが萩往還道も有名になっています。特に萩~山口
にかけては山越えで昔の面影がいたるところに残ってい
ます。最近はこの往還道を走るマラソンなども行われて
います。山口からだと瑠璃光寺の裏あたりからの山道に
は昔の雰囲気たっぷりです。萩まで歩くのは大変ですが
一の坂ダムや東鳳翔山登山口までならお手軽な散策路で
す。瑠璃光寺五重塔を見学されたらぜひ少し足を伸ばし
てみてください。

瑠璃光寺の駐車場に萩往還道の説明版がありました。




山口へは11月の中旬に行ったのですが紅葉がきれいでした。
  

Posted by メドウおじさん at 19:11Comments(0)山口

椹野川(ふしのがわ)と秋穂渡瀬橋(あいわたせばし)

2013年12月21日

椹野川は山口市を貫流し周防灘へ注ぐ山口市を代表す
る河川です。今でもシーズンになると鮎が遡上してく
る都市河川では珍しい清流です。先に紹介した一の坂
川はこの支流になります。私が在学時代の下宿は湯田
温泉駅のすぐ裏で椹野川のすぐ側にありました。
学校に通うときはこの川に架かる秋穂渡瀬橋を通って
いました。
椹野川(フシノガワ)と秋穂渡瀬橋(アイワタセバシ)
どちらの名前もどこか雅で優しい言葉の響きが当時か
ら好きでした。秋穂渡瀬橋を渡りながら上流に目をや
るとサビエル聖堂のツインタワーが目に入ります。
晴れた日には方便山の高峰も見える私の好きな場所
でした。この場所の思い出の一つは4年生のときに
就職が決まると後輩たちが祝ってくれてこの場所で
大騒ぎしたのが懐かしいです。10月下旬の夜の川原
はもう寒かったように思いますが後輩の温かい気持
ちが嬉しかったです。


秋穂渡瀬橋から上流の眺めです。正面の山は姫山といい
悲しい伝説の残る山です。




秋穂渡瀬川の下流方面の風景です。


遠くにサビエル聖堂の聖塔がかすかに望めます。


  

Posted by メドウおじさん at 09:35Comments(0)山口

青柳旅館、太陽堂旅館

2013年12月16日

山口駅前の通り沿いには青柳旅館、もう少し進んで
アーケード商店街の中には太陽堂旅館があります。
昔風の木造日本旅館が今も残っています。最近は
隣駅の湯田温泉付近にビジネスタイプのホテルが
多くなっていて、まさか二つの旅館がまだ営業して
いたことにびっくりするやら懐かしい気持ちやらで
不思議な感覚でした。この旅館は当時山口大学の各
クラブの新入生歓迎コンパや卒業生追い出しコンパ
などでよくお世話になりました。
当時、新入生でほとんどお酒の経験がなく元来アル
コールに弱い私は先輩に勧められるままにお酒を飲
み、たぶん同期の中で一番最初につぶれてしまった
ように思います。それでも救急車のお世話になるこ
ともなく翌朝、憶えのない山口の先輩の下宿で目が
覚めました。後で聞いた話では酔いつぶれた新入生
は当時3年の役員の先輩が適切な介抱をしてくれた
ようです。今ではこういうお酒の飲み方、飲ませ方
はご法度なのでしょうが私には強烈な印象とともに
当時は少し遠慮気味だった先輩との距離が一気に縮
まってクラブの一員に慣れたような気がしたもので
す。今では懐かしい思い出の一つです。

山口駅前通の青柳旅館です。

アーケード街の太陽堂旅館です







山口駅と山口観光案内版です




  
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Posted by メドウおじさん at 20:42Comments(0)山口

母校訪問2

2013年12月10日

部室の次はよくお世話になった学食とあまり熱心に通わ
なかった学部棟を見に行きました。学食は昔と同じ場所
にありましたがメニューがとても多くなっていることと
清算がキャッシュレスで出来るようになっていて便利に
なっていました。もっともお値段も外で食べるより安い
とはいえそれなりのお値段でした。私たちの頃はたしか
200円くらいで定食が食べれたと思います。ちょうどお
昼時だったので皆で一緒に学食で昼食にしました。
食後、散歩をかねて学部のほうへ行ってみました。
学部棟はこの日は閉まっており残念ながら中に入ること
はできませんでした。次に行ったのは図書館です。恥ず
かしながら在学時代は図書館に行った記憶がありません。
今はとても立派な施設になっていています。今ならそれ
こそ毎日でも通ってみたいです。過ぎ去った時間は取り
戻せません。もったいないことをした気もしますが当時
私が過ごした時間も悔いはありません。今思うのはもう
少し時間の使い方を工夫できたのではと思います。もっ
とも当時は時間なんてどれだけでもあると思っていて気
にも留めてなかったように思います。懐かしさと若干の
悔いを感じた母校訪問でした。


私の卒業した学部棟です。あまり思い出
がないことがもったいないことをしたと思
っています。




学食は昔と同じ広さですがメニューはずいぶんと立派になっていました。
  


Posted by メドウおじさん at 22:45Comments(0)山口

母校訪問1

2013年12月07日

先日のクラブの同窓会で久しぶりに仲間と山大を
訪問しました。山大の吉田キャンパスは元々、田
畑を埋め立てて造られたものです。亀山から移転
してそろそろ50年になるはずです。私が在学して
いた当時はまだ植木も若く幹も細いものばかりでし
たがさすがに50年近くたって木々も大きく育ち
大学のキャンパスらしくなっていました。
仲間とは正門で待ち合わせてクラブの部室を覗きに
行きましたが、山大のキャンパスは出入りも自由で
近隣の住民の方も近道でキャンパスをよく通って
いましたが今もそんな大らかさは変わらずうれしく
思いました。あいにくこの日はクラブは休みで部室
は閉まっていました。当時クラブの自由記入ノート
(アット・ランダムと呼んでいました)が置いてあ
り部員が気の向いたときにあれこれ雑文を書いてい
たのを思い出します。今も後輩たちが引き継いでく
れているものなのか確かめたかったのですが残念で
した。またオケと日替わりで練習していた音楽棟も
覗いてみました。思ったより狭く見えましたが何故
か当時は広く感じていました。私のキャンパス生活
の大半はこの部室と音楽棟で過ごしていたようなも
のでした。次回は縁の少なかった学部棟や他の施設
のことなどご紹介しようと思います。

山大吉田キャンパスです。植木も大きくなって
落ち着いた雰囲気になってきました。


マンドリンクラブの部室です。私が学生の
頃と部屋が向かいに変わっていました。


この日は部活dが休みで後輩には会えませんでした。



懐かしい音楽練習棟です。私はマンドリンは
下手でしたが一生懸命やっていました。

後輩たちの今年の定演のポスターです。もう54回に
なるそうです。私の頃は確か19回だったように
思います。



 


  
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Posted by メドウおじさん at 22:46Comments(0)山口

セントショージと昭ちゃんコロッケ

2013年12月03日

一の坂川と旧国道9号線が交わる所に代々マンドリン
クラブの先輩や後輩が住んだ下宿があり、私たちはセ
ントショージと呼んでいました。少し恥ずかしい話です
がつい最近まで私は「セントショージ」とは「聖ショージ」
つまりサビエルに縁の深い山口にいたキリスト教関係
で「ショージ」が住んでいた場所にちなんだところか呼
ばれていると思っていました。ところが事実はまったく
違っていて「セントショージ」は「銭湯小路」で昔銭湯が
あった場所からきた通りの名まえでした。(恥)
ここではもう一つ思い出があって、徹夜でマージャンを
していて明け方になるとセントショージの向かいにある
「昭ちゃんコロッケ」というお店があって明け方の4時ご
ろからコロッケを揚げていて、徹夜明けでよく揚げたて
のコロッケを買ってきてよく食べたものです。当時からと
てもおいしかったのですが先日聞いた話では最近のB
-1グルメを反映してか「昭ちゃんコロッケ」が大変有名
になっているとの事でした。山口のセントショージでコロ
ッケを食べて自転車で湯田温泉の下宿まで帰りそのま
ま寝て夕方前に起きてクラブ活動に行くという行動パタ
ーンがよくありましたが楽しい思い出の一つです。


セントショージの下宿はもうなくなっていました。


セントショージの下宿はなくなっていましたが
昭ちゃんコロッケは健在でした


  


Posted by メドウおじさん at 22:35Comments(2)山口

サビエル記念聖堂と亀山公園

2013年11月29日

サビエル記念聖堂とそれを取り囲むように広がる亀山
公園は瑠璃光寺、一の坂川と並ぶ山口市の観光スポッ
トです。サビエル聖堂はポルトガル宣教師フランシス
コ・サビエルが京都に向かう途中大内氏を頼ってこの
地で布教をして400年になる記念に昭和27年に亀山
の中腹に木造の聖堂と二本の聖塔を持つ教会として
作られました。
私は以前学生の頃、マンドリンクラブの仲間たちと一
緒にクリスマスの夜にここに来ましたが教会の横に植
えられていたモミの木に電飾を架けてクリスマスツリ
ーを模したその光景の美しさは今もはっきりと覚えて
います。残念なことにこの旧の教会は22年前に火事で
全焼してしまいました。その後信者の方や市民の方の
熱心な再建活動で新たに二本の聖塔をもつ白亜の聖堂
として生まれ変わりました。デザインは近代的なもので
以前のものとはまったく違うイメージで再建当時は賛否
両論があったようです。昔の聖堂を知っている私も以前
のデザインが好きでしたが再建して十数年経った今では
これはこれで周りの風景とも馴染んできています。この
あたりも歴史の古い山口の懐の深さを感じます。
周辺に広がる亀山公園は以前山口大学の経済学部や
教育学部の亀山キャンパスのあった跡地で山大が平川
の吉田キャンパスに移転した跡は美術館や博物館が整
備されパークロードと名づけられた通りはJR山口駅から
瑠璃光寺に向かう散策路として市民や観光者の方に親し
まれています。

白亜のサビエル記念聖堂です




辻説教するサビエル像です。



平和の鐘です



亀山公園です。銅像は長州藩最後の藩主
毛利敬親公です。




この日は雨で煙っていますが山口市内が展望できます。
  


Posted by メドウおじさん at 20:05Comments(0)山口