足踏みセンバコギ

2017年04月10日

古い古い足踏み式の「センバコギ」です。秋の刈り取った
稲穂とモミを分離する道具です。機械の前で二人で同時に
ペダルを踏むとドラムが回転しドラムに付いた金具の部分
に稲穂を押し当てるとモミと稲穂を分離させます。モミは
保存しておき稲穂は縄やむしろを編むのに使います。
この機械は地元の秋の大祭で各町内でしめ縄を作るのに
使います。今までは他の町内から借用して作っていました
がこれからは自前の道具で作れるようになりそうです。
この道具、超クラシックでその付属の看板を見るとどう
やら戦前、それも昭和の初めごろの製造のようです。


右読みの看板が時代を感じさせます。



今やもう貴重品になった農機具、センバコギです。
  

Posted by メドウおじさん at 21:16Comments(4)勝手に近代化遺産

平尾台の陸軍演習地遺跡

2016年12月15日

平尾台は古くから東谷各村のかやぶき屋根の葺き替え用
のカヤ(ススキ)の供給地でしたが明治以降陸軍の訓練
演習地として使われるようになりました。現在も陸軍用
地であったことを示す境界杭がいたるところで見られま
す。また今回、貫山林道近くの大穴、小穴の横を通り茶屋
が床方面に伸びる当時の水道管が残っていることに気がつ
きました。赤茶けて錆びてはいますが、腐食は少なく継ぎ目
もしっかりとしたものが残っています。もう今はもちろん使
われていませんが北九州有数の観光地が戦争遺産の一部
であるのも意外な思いです。


平尾台のあちこちで見ることが出来る陸軍の境界杭です。平尾台全体で70本以上見つかっているそうです。



小穴付近で地面に露出している水道管です。大穴付近から茶屋が床方面まで伸びています。
そういえば茶屋が床付近でコンクリート製の水槽跡のようなものを見かけた記憶があります。
あれも陸軍の水道施設の一部だったのかもしれません。撤去される前にもう一度、確認して
おきたいと思います。



冬枯れの小穴です。右上のピークが大平山です。写真の右手方向に大穴があります。





平尾台のピナクルの奇岩、キス岩です。平尾台にはこのような楽しい奇岩・巨岩がいくつもあります。
  

Posted by メドウおじさん at 17:59Comments(2)勝手に近代化遺産

幻の世界遺産、東田・西田岸壁

2016年11月26日

八幡製鉄所関連施設が世界遺産に認定されてから1年
以上になりますが、併せて申請された河内貯水池や東田
溶鉱炉などは残念ながら認定から漏れました。同様に選
から漏れたものに洞海湾沿い東田緑地周辺の岸壁があり
ます。枝光のウィング裏に広がる緑地は昔は八幡製鉄所
構内の一部でした。岸壁は明治時代後半から大正年間初
めにかけて製鉄所建設とほぼ同じ時期に作られました。
130年経った今でも岸壁は現存しています。岸壁には今
も鉄製の係留止めが多く残っています。
世界遺産にはなれませんでしたがここも立派な近代化遺産
です。




東田緑地公園です。かつて死の海と呼ばれた洞海湾の面影はなく見事に蘇っています。




八幡製鉄所構内の岸壁です。緑地公園の東田岸壁からの続きです。




製鉄所時代の係留止めも残っています。



東田岸壁のアップです。
  

Posted by メドウおじさん at 20:36Comments(0)勝手に近代化遺産

くろがね線鉄橋

2016年11月12日

JR枝光駅前の国道をまたぐ新日鉄専用線の鉄橋があり
ます。これが世界有数の鉄鋼メーカーらしく重厚でまさに、
THEアイアンという感じのものです。くろがね線は複線の
専用引き込み線で上下線のそれぞれがトラス構造とアー
チ構造の鉄橋が日本並走しています。橋台の下部を見た
のですが鉱滓ブロックか花崗岩の切り出しブロックで作ら
れたもののようです。くろがね線は世界遺産からは漏れま
したが立派な世界遺産です。ここに「勝手に近代化遺産」
に認定したいと思います。(笑い)




こちらは三角形のトラス構造です





こちらがアーチ構造の鉄橋です。


鉄橋を支える橋台です。かなり古いもののようです。


  

Posted by メドウおじさん at 21:10Comments(0)勝手に近代化遺産

虎家の揚げドーナッツ

2015年12月10日

小倉北区の三萩野交差点そばの幻のパン屋と呼ばれる
虎家の揚げパンをそれこそ40年ぶり近くに頂きました。
なぜ幻と言われるかというととら屋さんは朝の5時半に
開店しほとんど9時前には売り切れて閉店するので開い
ている時を見たことがないと言われているからです。メニ
ューはあんドーナッツにカレーパン、リングドーナッツと昔
から変わらないメニューと味でした。昭和26年頃から現在
地で営業されているそうです。もう、私にとっては近代化遺
産並みの懐かしさです。
私が昔、食べたのは高校時代で先に紹介したはるや
のうどんとともに懐かしい味です。私はJR通学だ
ったのでそれほど多くは頂く機会はありませんで
したがバスや自転車通学の友人から良くいただい
たり買ってきてもらったりしました。なんと値段は
今も1個40円だそうです。黒崎の藤田商店街と小
倉駅前のシロヤとともにいつまでも残ってほしいお
店です。

虎家さんの外観です。ネットからお借りしました。



リングドーナッツとあんドーナッツです。

  

Posted by メドウおじさん at 18:29Comments(6)勝手に近代化遺産

白洲灯台

2015年11月18日

岩松助左衛門は幕末末期の小倉長浜の庄屋で当時小倉
藩の難破船救助の任を藩より承っていました。当時も今も
小倉沖の海は関門海峡の出入り口に当たり岩礁が多く潮
の流れも複雑で座礁する船が後を絶たなかったそうです。
助左衛門は一念発起し白洲と呼ばれる岩礁に灯台を建て
ることを考え私財をなげうって工事にかかりました。工事は
難渋を極め明治の世になって国が事業を引き継ぎ明治6
年に灯台は完成するのですが助左衛門は完成の前年に
この世を去ります。灯台の完成後海の交通は安全になり
灯台はその後建て替えられますが今も当時の場所で船の
安全を見守っています。現在小倉城二の丸跡に助左衛門
が立てた灯台のレプリカが置かれその功績を顕彰していま
す。



岩松助左衛門の顕彰碑と灯台レプリカです



助左衛門の顕彰碑です



  

Posted by メドウおじさん at 20:32Comments(0)勝手に近代化遺産

石原町駅開業100周年

2015年10月13日

先日日田彦山線が開業100周年を迎えたことを書きました
が石原町駅も同時開業ですから100年になります。残念な
のは特別なイベントがないことです。香春町の採銅所駅は
駅舎で開業100年記念の写真展をこの秋に行うそうです。
このままではあまりに寂しいので、このブログで石原町駅
を写真でご紹介したいと思います。石原町駅は旧小倉鉄
道、石原町駅として1917年、(大正4年)4月1日開業しま
した。現在はすべて小倉駅で発着していますが正式には
城野駅が起点です。
旧小倉鉄道は現在は貨物専用になっている東小倉が起点
で大畠の旧小倉炭鉱を通り城野駅を経由して田川方面へ
通じていた名残りと思います。東小倉~城野までの旧小倉
鉄道跡は興味深いので一度しっかり取材したいと思ってい
ます。




以前親切な駅員さんが対応してくれた窓口も閉まったままです。味気ない
自販機が置かれています。





天井の装飾もレトロで趣があります。



改札口横には無人化のお知らせ看板が立てられています。





長くて立派な3線式ホームがかつての石原町駅の隆盛を伝えてくれます。


昨年まであった踏切近くの踏切小屋です。今はもう、撤去されました。



駅の掲示板に貼られていたお隣の呼野駅のかつての写真です。今はもう駅舎は解体されてありません。
写真は北九州の今昔という写真集です。












石原町駅の桜並木です。列車との取り合わせが絵になります。  

Posted by メドウおじさん at 21:16Comments(4)勝手に近代化遺産

小倉衛成病院跡

2015年09月30日

現在北方にある小倉医療センターはその前身は国立病院
でさらにその前は陸軍病院(小倉衛生病院)でした。実に
150年近い歴史があります。医療センターの周辺は小倉
南区役所、南警察署、北九州高校、北九州大学、などが
集まる南区の官公庁街的一角です。その隣の一角は陸上
自衛隊の北方駐屯地がありその昔、小倉が軍都だったこ
ろの名残りを感じます。ここ小倉衛生病院には明治時代
の文豪、森鴎外(森林太郎)が軍医部長として勤務してお
り院内の敷地を騎馬で巡回していたそうです。鴎外と東谷
には意外なつながりがあります。山ヶ迫の法円寺さんに
山家先生の顕彰碑があります。山家先生は無法松酒造
(山家酒造)の明治の初めのご当主で東谷の初等、中等
教育に私財を投じご尽力された方です。鴎外は山家先生
と親交がありこの顕彰碑を揮毫しました。
このようにここ、小倉衛生病院跡は森鴎外を深く知る貴重
な遺跡の一つです。



現在の小倉医療センターです



衛成病院跡の石碑です



石碑の後ろにある塀が旧衛成病院時代のものです。古い鉱滓煉瓦でできています。




こちらは東谷、法円寺さんにある山家先生の顕彰碑です。


  

Posted by メドウおじさん at 20:16Comments(4)勝手に近代化遺産

東谷の公民館

2015年09月06日

東谷の公民館は2種類あって各町内ごとにある公民館は
町内の行事や集会に使われています。もう一つは現在は
市民センターと呼ばれる行政の公民館で各種の文化事業
が行われています。現在は南区役所東谷出張所の隣にあ
る市民センターですが以前は東谷中学校の隣にあった古
い趣のある木造建築でしたが取り壊されて現在地に移転
しました。古い公民館時代の写真を探していましたが先日
やっと一枚ネット上で見つけました。下記の写真です。
わたしが中学校時代は卓球部が新設の体育館が使えな
い日などはここの講堂で練習していました。(ちなみに私
は剣道部でした。)薄青いグレーのペンキ塗りの洋館ポ
イ外観だったと思います。現在残っていたら貴重な歴史
遺産だっただけに残念です。



後ろの建物が旧東谷公民館です。写真は東谷街づくり協議会のHPから
お借りしました。昭和38年の成人祭の集合写真です。東谷地区では現在も
成人祭は続いています。
  

Posted by メドウおじさん at 17:03Comments(0)勝手に近代化遺産

日田彦山線開業100周年

2015年09月03日

日田彦山線を愛する者の一人としてうっかりしたことに
今年は日田彦山線の開業100周年だったのに気がつきま
せんでした。100年前の1915年4月1日(大正4年)
日田彦山線の前身、旧小倉鉄道がこの日に開通しました。
石原町駅も同時に開業した次第です。先日石原町駅を
利用したときに手作りの小さなポスターが控えめに
貼ってあるのを見て遅まきながら気がつきました。
4月1日にもとりわけ特別なイベントもなくひっそりと
寂しく迎えたのかと思うと慙愧に耐えません。今まで
何度か取り上げましたが石原町駅は開業当時とほとんど
同じ駅舎を使っておりお隣の香春町の採銅所駅とともに
今では文化財級の古い駅舎です。採銅所駅は香春町の
有形文化財に指定されています。旧若松駅、旧直方駅
旧折尾駅など由緒ある趣のある古い駅舎が次々と取り
壊された今石原町駅の価値は高くなっていると思いま
す。いつまでも残ってほしい駅舎です。因みにこのブ
ログにコメントを寄せてくれるe-teleさんから本日21
時からBS朝日で日田彦山線が取り上げられるという
情報を得ました。e-teleさん、ありがとうございました。


シンプルなポスターがひっそりと貼られていました。



貴重な石原町駅舎です





どなたかが駅前の花壇をきれいに手入れしていただいています

  

Posted by メドウおじさん at 00:10Comments(6)勝手に近代化遺産

旧百三十銀行八幡支店

2015年08月18日

旧百三十銀行八幡支店は明治大正期の著名建築家で
東京駅を設計した辰野金吾氏の手によるものです。随所
に彼らしいデザインを見ることが出来ますが彼の作品とし
ては小規模なものです。他にも彼の作品は福岡市の旧日
本生命や戸畑の旧松本邸などを身近で見ることが出来ま
す。この建物は北九州市の有形文化財で現在は市民ギャ
ラリーとして多くの方に広く利用されています。訪問したこ
の日は休館日で内部を見学できなかったのは残念でした。
前にも少し書きましたがこの辺りはレトロモダンな建物が
多く建物好きな方は散策を兼ねて見に行くのもよさそうで
す。



旧百三十銀行八幡支店正面です。小型ながら辰野作品らしさが良く出ています。





北側の様子です。



正面玄関アップです



説明看板です。終戦直後の写真がついています。



  

Posted by メドウおじさん at 20:05Comments(4)勝手に近代化遺産

八幡東区の村野藤吾氏の建築群

2015年08月09日

八幡駅界隈は北九州市に縁の深かったモダニズム建築の
巨匠村野藤吾氏の作品を複数見ることが出来ます。
八幡駅界隈は今でこそ、少し寂れた感じがしますがかつて
鉄鋼産業華やかりし頃、八幡製鉄所の表玄関として随分と
栄えた場所です。今も当時の隆盛を感じることのできる
建築物が多く残っています。その中でも特に異彩を放って
いるのが村野藤吾氏の作品群です。八幡東区尾倉町近辺
には旧八幡市立図書館、市民会館、そして福岡ひびき信
用金庫本店の建物があります。特に市民館は村野氏の
特徴でもある階段踊り場やホールなどの空間デザインは
一見の価値があります。ただ心配なのは信用金庫を除い
ては経年劣化により図書館は取り壊し、市民館も取り壊
しの計画がある一方で保存を望む活動も活発化してい
ます。本当に価値のあるレトロ建築物というのはそう
多くあるものではないのでぜひ保存活用の道を探って
ほしいです。





旧八幡市立図書館です。ベージュのタイルに白漆喰のデザインが目を引く秀作です。
間もなく取り壊されるという事ですが残念でなりません。


八幡市民会館です。ここも取り壊すのか、保存するのか議論がされています。
図書館の取り壊しが決まった今、ここはぜひ残して欲しいですね。









市民会館内部の様子です。優れた空間デザインが目を引きます。





福岡ひびき信用金庫本店です。補修工事中で全貌を見ることが出来なかったのは
残念でした。
  

Posted by メドウおじさん at 09:37Comments(6)勝手に近代化遺産

八幡駅周辺レトロ建築群

2015年06月26日

先日八幡大空襲の事を取り上げましたが戦争直後の
この一帯は完全な焼け野原になりましたがその後見
事に復興しました。特に昭和20年台後半から30
年代にかけての高度成長期の頃この一帯は八幡製鉄
所の表玄関として人も多く、街も栄えました。当時
の北九州市発足前の八幡市の行政中枢機能の多くも
この地区に集中していました。八幡市はこの地方に
縁の深い建築家、村野籐吾氏に依頼し市民会館や図
書館など多くの優れたデザインの建築群を残されま
した。今、築後、50年以上が経過しその保存の
論議が活発化しています。
村野氏の作品群は近いうちにまとめてご紹介したい
ですが今回は、それ以外の私の目についた名もない
ような無名の建築物が多いですがいずれも一時期の
往時を偲ばせるものばかりです。その多くは取り壊
される運命のようですがせめて記録に残しておきた
いと思います。



相当古いオフィスビルです。昭和20年代後半から30年代前半のビルだと思います。
ほとんどの部屋が空き家になっています。



裏側から見たところです。かなり増改築しているのがわかります。昭和のレトロ感たっぷりです。



こちらの建物も重厚感たっぷりですが、何やら間もなく取り壊しが始まりそうな
雰囲気です。



旧八幡市民のランドマーク・マウンテン、皿倉山です。この街の変遷をずっと見守ってきました。
この山頂からの夜景は函館、長崎、神戸に劣りません。
  

Posted by メドウおじさん at 20:13Comments(6)勝手に近代化遺産

明治日本の産業革命遺産(北九州)

2015年05月29日

先ごろユネスコのイコモスは「明治日本の産業革命遺産
九州山口と関連地域」を世界文化遺産にふさわしいとし
て登録を勧告しました。北九州からは八幡製鉄所旧本
事務所、鍛治工場、中間市のポンプ場が選ばれています。
残念ながら東田の溶鉱炉はなぜだか選ばれませんでした
。施設は旧本事務所を除くと現在も現役稼動中のもので
珍しい例だと思います。
いずれの施設も一般見学できないのは残念なのですが
このたび北九州市は八幡製鉄所の土地の一部を借り、
そこに本事務所を遠くから見ることが出来る展望台をつく
り一般開放しています。最寄駅はJRのスペースワールド
駅が近いです。位置的にはJRAのWINGの隣です。不満
なところは対象施設までが遠く300m以上はありそうです。
また民間の現役施設のためか、撮影が厳しく禁止されて
います。市の担当者らしき方が案内をするようにしてその
じつ見学者がこっそり撮影しないように目を光らせている
のも感心できません。
北九州市も東田のイノベーションギャラリーと展望台を往復
する無料シャトルを計画するなど利便を図っていますが、世
界遺産登録を盛り上げるためにも新日鉄側と撮影許可の交
渉を進めてほしいものです。新日鉄側にもいろいろな事情が
あるのでしょうがこのままだと何だか世界遺産に登録される
のだからせめて遠くからみせてやるといった、いかにも大企
業的な上から目線を感じるのは私だけでしょうか。




展望台からの撮影は禁止されていてできませんでしたが一か所一般歩道の
金網越しに本事務所の一部が見えます。


中間市のポンプ場です。以前は敷地内に入ることはできませんが外部からは
金網越しに良く見え撮影も特に禁止という事もなかったのですが現在の状況は
よくわかりません。写真は3年前のものです。




こちらは登録勧告から漏れた東田溶鉱炉です。なぜ漏れたのかよくわかりませんが
保存展示するのに手を入れ過ぎたのかもしれません。
  

Posted by メドウおじさん at 21:01Comments(2)勝手に近代化遺産

西鉄戸畑線跡

2015年03月01日

かつて北九州市内には西鉄の路面電車が走っていました。
その中で大門から戸畑渡し場までの路線は戸畑線と呼ば
れ、三六町駅までは路面ではなく専用軌道でした。廃線後
はしばらくバス専用道路として使われましたが現在は道路
も拡張されて一般道路になっています。線路跡と言っても
ほとんど昔の面影や跡を見ることはできませんが、以前の
写真をネットで見ると今の三六町バス停と交差点の地形
に旧の電車停留所の跡の雰囲気を感じます。



三六町交差点から日明方面です。線路跡は拡張されています。廃線後しばらく前
まではバス専用道路でした。左にバス停が見えますがここが以前の停留所(駅)
でした。




前方が戸畑駅方面です。微妙なカーブに線路跡を感じます。



現在の三六町バス停を裏から見たところです。昔の電停のイメージが残っています。


  

Posted by メドウおじさん at 10:45Comments(0)勝手に近代化遺産

石原町駅踏切小屋の撤去

2015年02月22日

私が小学生のころ石原町駅は住友・三菱の量セメント鉱
の操業が活発でJR石原町駅も取り扱い貨物量が九州
の時期がありました。当時両鉱山への専用引き込み線
駅構内にあり北側の志井寄りと南側の呼野よりに小さ
小屋があり私たちは踏切小屋と呼んでいました。ここに
常駐ではなかったと思いますが駅員さんがいて私たち
勝手に構内を横切って近道をするとよく注意されました。
その踏切小屋も引き込み線が使われなくなって長く放置
され、ごく最近まで残っていましたが先日ふと見ると呼野
側の小屋が撤去されていました。小屋には昭和31年の
銘板が貼ってあったのでかれこれ60年近い年月が経っ
ていました。小屋は歴史的、文化的価値はなかったかも
しれませんが、また一つ思い出の場所が消されたようで
少し寂しいです。こうなってくると石原町駅舎が本当にい
つ取り壊しの憂き目にあうかと、心配が現実味を帯びて
きたようで気になっています。


この日偶然に石原町駅踏切南側(呼野側)の踏切小屋が撤去されている所に遭遇しました。
2月の上旬のことでした。



気になって北側の踏切小屋の様子を見に行くともう、すでに撤去されて跡形もありませんでした。



2012年4月のころの北側の小屋の様子です。



南側と同じようにコンクリートの土台だけが残されています。
  

Posted by メドウおじさん at 10:58Comments(4)勝手に近代化遺産

折尾駅前の3連アーチトンネル

2015年02月10日

近代化遺産級だったJR折尾駅舎は残念なことに解体され
てしまいましたが駅前に残る九州電気軌道の赤煉瓦製の
3連アーチトンネルは何とか現存しています。3つのトンネ
ルのうち2つは民家の土地とかぶっているので通行できま
せんが残る一つは今も現役で使われています。このトンネ
ルの特徴は天井部分のアーチ組がねじれるように組まれ
ていて「ねじりまんぼ」という特殊な煉瓦組です。天井だけ
見つめているとタイムトンネルの中にいるような不思議な
気分になります。このねじりまんぼ式のトンネルは小規模
ですがJR日田彦山線の採銅所にあるけやき坂トンネルも
ねじりまんぼです。
JRや西鉄の鉄道建築物は近代化遺産級の貴重なものが
多いですがよほど地元の保存活動がないと経済原則優先
で取り壊されるケースが多いので注意が必要です。 


九州電気軌道(現西鉄)で使われていた3連アーチ高架橋跡です。天井の構造が
ねじりまんぼです。他にも折尾駅近辺は近代化遺産の宝庫だったのですがその
ほとんどが再開発で取り壊されているのが現状です。

 

取り壊された3連アーチ橋の煉瓦で再生したモニュメントです。かつての姿が偲べる
写真説明版も設置されています。



  

Posted by メドウおじさん at 18:36Comments(2)勝手に近代化遺産

旧小倉鉄道上呼野停留所跡と引き込み線跡?

2015年02月06日

今のJR日田彦山線の前身は小倉鉄道と言い東谷には
その関係者がいたせいか正規の駅(志井、石原町、呼
野)以外に簡易な停留所がいくつかありました。母原
木下、下呼野(市丸)上呼野の4つです。木下停留所
以外は現在その痕跡は残っていません。昔語りの記事
でその場所を推定するしかないのですが上呼野以外は
一応その場所を推定することが出来ました。残るのが
上呼野です。上呼野にはかつて吉原鉱山や旧浅野セメ
ントの鉱石貯蔵場があった関係で鉱山関係者の利用が
多かったそうです。その場所は上呼野のバス停からJ
Rの線路方面に下ったあたりで今は利用されていない
遮断機のない踏切があり線路脇が他より若干広くとっ
てある場所が跡地ではないかと思っています。



現在の上呼野の西鉄バス停留所です。かつての小倉鉄道上呼野停留所は今のバス停の
反対側を線路側に降りたところにあったと思われます。(あくまで推定です)


この路地をまっすぐに進むと線路に出合います。


線路に出合って田川方面を見たところです。前方右カーブのあたりに停留所があったと思います。




現在は使用されていない遮断機があります。旧浅野セメント貯蔵場への引き込み線跡のようです。
  

Posted by メドウおじさん at 21:42Comments(4)勝手に近代化遺産

Jオイルミルズ若松工場(旧日華油脂)

2015年01月24日

若松の北湊、Jオイルミルズの若松工場は大正6年
操業でその事務棟は昭和16年竣工の古い作りのコン
クリート2階建てです。年月を経て古い鉱滓煉瓦のよ
うな落ち着いた色の外観です。こういった趣は古い建
物だけが持つことが出来る風情でレトロ建築の最大の
魅力です。内部の使い勝手は必ずしも良くないかもし
れませんがぜひ永く使ってほしいと思います。工場の
中では古い鉱滓煉瓦の倉庫群と新鋭の工場プラントが
混在する歴史ある工場です。北九州の古い工場には鉱
滓煉瓦を使用した建物が多くみられますがこれは新日
鉄八幡工場がある関係かも知れません。正式な近代化
遺産に指定されているものには九工大正門の門柱と守
衛室が鉱滓煉瓦製です。鉱滓煉瓦は赤煉瓦のような華
やかさはありませんが渋い色調は職人魂を彷彿させま
す。市や北九州商工会議所では産業観光開発に大変力
を入れています。夜間のプラント工場見学ツアーなどは
静かな人気コースだそうです。新日鉄八幡製鉄所の旧
本事務所などが世界遺産登録申請されるなど近代化
遺産好きな私には当分目が離せません。




レトロな外観の事務棟です。一般公開されていないのでこうして外から外観を見ることしかできないのは
残念です。



印象的な玄関アーチですが塗装を塗り替えていてバックの建物と色合い的にマッチしてない気がするのは
残念です。



奥の方には新しいプラントが見えています。数年前まで創業時の古い煙突が立っていたそうです。
現物を見てみたかったです。





鉱滓煉瓦の倉庫棟です。渋い色合いの鉱滓煉瓦が印象的です。写真は外の道から撮影しました。
工場内から見た写真もどこかにあったはずなのですがわからなくなりました。出てきたら追加掲載
します。


  

Posted by メドウおじさん at 19:42Comments(0)勝手に近代化遺産

若松市営軌道跡

2015年01月17日

若松にはかつて石炭産業華やかりしころ若松駅から今の
若戸トンネルの先の北湊や安瀬の工場地帯まで貨物専用
の公営の路面電気機関車が昭和50年までが走っていま
した。当時の写真はマニアの方が多く撮影されていて今
でもネットで見ることが出来ますが現在その痕跡はほと
んど見ることが出来ませんわずかに北湊の工場内にその
線路のレールが残されています。
若松は門司のレトロな港町の風情とは異なる産業遺産の
かけらが街のそこかしこにひっそりと息づいています。
今のうちに本格的な保存や活用策をしっかりと整備し
ておかないとやがて時代の波の中で消えていきそうで
す。せっかく今、北九州市や商工会議所は産業観光資
源に注目していますが若松の産業遺産というべきもの
は今一つ注目されていない気がするのは残念です。

  



北湊の工場内に残る市営軌道の跡です。左に見える茶色いレールが軌道の跡です。
普段は入れませんがたまたま仕事で構内に入れたので撮影できました。
  

Posted by メドウおじさん at 20:41Comments(2)勝手に近代化遺産