秋月街道 北方~徳力

2015年11月22日

北方の自衛隊前の旧322号線を南に向かいます。やが
て左手にスーパーのサンリブを見てさらに直進します。
バス道は途中右折してモノレール道に合流しますが旧
秋月街道はモノレール道に並行して進み蒲生八幡神社
の参道の始まりの鳥居前まで来ます。昔はこの辺りに
鳥居前というバス停がありました。ここからは徳力嵐山口
のモノレール駅まで旧街道は322号線と重なります。嵐
山口駅手前に大きな鳥居のある神理教があります。ここ
の敷地の中に石原町宿が大火事で壊滅した後に徳力に
宿場が移ったことを示す里程標があるそうです。(残念な
がら私は未確認です)また徳力周辺はかつて紺野原と呼
ばれ呼野とともに銅鉱山がありました。今も徳力公団前
のモノレール駅の東側の山肌にその跡を見ることが出来
ます。また大正時代の本の一時期北方と徳力を結ぶ軌道
馬車が運行されていたそうです。このことはまた日を改め
て書かせていただきます。さらに徳力の先、桜橋から
は東谷までバスが走るまで乗合馬車が運行されていた
そうです。この馬車も大正時代の小倉鉄道や昭和に入
っての乗合バスの運行が始まると無くなりました。
以上で常盤橋から呼野金辺峠に至る旧秋月街道の紹介
を終わります。長崎街道に比べると注目されることの少
ない秋月街道(香春街道)ですが皆さんの関心が高ま
ることを願ってやみません。

秋月街道は北方自衛隊前の道を左から右へ進みます。来週は駐屯地創立記念日です。
記念日は一般の方も見学できます。



日の出町あたりです。左の道が旧道かと思いましたがすぐ先が行き止まりで右が
正解でした。



守恒のサンリブを左に見ながら進みます。



バスは横断歩道手前を右折してモノレール道に合流しますが旧街道はそのまま直進します。



旧街道はモノレール道(322号線)と並行して進みます



旧街道は昔の鳥居前のバス停近くで322号線に合流します。右に見えているのが蒲生八幡社の
参道の始まりを示す鳥居です。



322号線に合流して300m進んで神理教の前を進みます。


徳力嵐山口のモノレール駅を過ぎるとすぐに大きく左カーブしてモノレールは
企救丘へ進みます。かつてこの辺りまで軌道馬車が走っていたと思います。



小倉の常盤橋を出発した秋月街道は間もなく桜橋に至ります。桜橋の手前には今では珍しい
農業建築の円形分水筒があります。桜橋から徳力の水田に水を導水しています。





桜橋です。秋月街道は横断歩道を左折して紫川東岸の小嵐山の山裾道を三谷地区に向かって
通っていきます。
  

Posted by メドウおじさん at 20:27Comments(4)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

秋月街道(香春口~北方)

2015年10月02日

旧秋月街道の香春口から北方にかけては現在のモノレ
ールの下を通り三萩野の先の片野から左斜めに南下し
旧322号線に入ります。この旧322号線は魚町が
起点の西鉄路面電車旧北方線に沿っています。旧街道は
この旧電車道に沿い城野四つ角のガード下をくぐり県立
南高校の前を通り城野町まで進みます。問題はここからで
城野バス停のすぐ先からさらに旧道と思しき道に斜め左折
します。旧街道が旧電車道をそのまま進むのか、それとも
左の旧道がそうなのかはっきりわかりませんが道の微妙な
カーブの具合からこの道が旧街道だったように思います。
この道を道なりに進むとやがて北方の医療センター、旧
国立病院の前を通ってやがて都市高速の高架下を通ると
北方の自衛隊駐屯地正門前に着きます。旧国立病院はそ
の前身は陸軍病院で明治の文豪、森鴎外(森林太郎)が
軍医部長として勤務した場所です。この北方一帯は明治
以降小倉が軍都だったころの面影が今も良く探すと残って
います。城野から南下した路面電車は陸上自衛隊北方駐
屯地正門前が終点でした。昔のこと少し調べたところ北方
から徳力まで迄一時期短い間ですが軌道乗合馬車が走っ
ていたそうです。終点の徳力から先は東谷まで乗合馬車が
運行されていたそうですがやがて小倉鉄道の開業で廃止
されたようで一度しっかり調べてみたいと思っています。


三萩野から先、片野から左に折れて旧322号線(旧電車道)を秋月街道は進みます。


旧国道の城野四つ角あたりです。写真を左折すると国道10号で行橋方面へ行きます。
秋月街道は正面の日豊線・日田彦山線のガードをくぐり直進します。



県立南高校の先から道は二手に分かれます。電車道は直進して北方へ進みましたが
秋月街道は左の微妙に蛇行した道を進んだものと思われます。


北方の小倉医療センター前です。以前の国立病院でその前は小倉衛成病院(陸軍病院)で
かの森鴎外も軍医部長として勤務していました。



もう少し直進すると前方に都市高速の高架が見えます。ここをくぐると左手が陸上自衛隊基地
です。城野から分かれた電車道は自衛隊正門前間で来ていました。街道は自衛隊と北九州大学の
間の旧322号線と重なってさらに南下します。


  

Posted by メドウおじさん at 19:14Comments(0)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

秋月街道、起点から香春口まで

2015年08月28日

旧秋月街道は長崎街道の脇街道として小倉から久留米ま
で通じていました。東谷はその沿道に当たり、石原町と呼
野に宿場が置かれていました。東谷を通る部分は以前紹
介しましたが今回は起点の常盤橋から香春口を紹介しま
す。
常盤橋を出発して紫川沿いを南下し、馬借町手前を左折し
銀天街の中を通り続いて旦過市場の横を通過して紺屋町
のモノレール線に出ます。ここからは三萩野手前の香春
口まですすみます。香春口とはその名前の通り街道と小
倉城下の出入り口で番所が置かれていました。その他で
は門司往還では富野口が、長崎街道では到津口があり
ます。香春口周辺では昔の遺構のようなものはありませ
んが香春口交差点付近は微妙なカーブを持つ道が集ま
っており旧道のイメージが微妙に残っています。また旧
秋月街道は小倉藩領内では香春街道と呼んでいました。
呼び名が違う理由は明確ではありませんが一つには
小倉藩とお隣の福岡藩とは江戸時代当初から不仲で
福岡藩支藩の秋月の名前を街道につけて呼ぶのは憚ら
れたのではないかと思われます。また旧秋月街道は概ね
現在の322号線に沿っていますが、城野までは西鉄の
路面電車の北方線と重なっています。

秋月街道を含む九州五街道の起点になっている常盤橋です。



常盤橋の由来や紫川河口の様子がわかる古地図が掲載されています。
クリックで拡大します。


秋月街道は紫川沿いを井筒屋の横を通って南下します。



井筒屋新館の裏を古船場町方向へ直進します。



昔の西鉄北方線の電車道を渡ってすぐに道は斜めに進んで旦過市場へ続くはずですが
現在はビルが建っています。



秋月街道は旦過市場の中を通ってモノレール線まで進んでいます。







旦過市場の内部です。日曜でお休みの店が多かったですが観光客の方の姿も
ちらほら見えました。この辺一帯は、昭和の香りが満ち満ちています。今度また
旦過周辺だけを取り上げたいと思います。



モノレールが通っている322号線を田川方面に向かって左の歩道を進むと
香春口門の説明版が設置されています。



サムネイルをクリックで拡大できます。



香春口門当たりの古地図です。この辺りはかつて紫川の湿地帯でした。



香春口北交差点の付近です。この辺りに香春口門があったのではないかとにらんでいます。



香春口には微妙にカーブする道が集まっており旧道の雰囲気が感じられます。
街道はモノレール沿いに南下します。

訂正です

秋月街道は旦過市場を進むのではなく入り口を右折して
旦過橋を渡って馬借町の旧電車道を医療センターの
前まで進みモノレール道に合流します。






旦過橋を渡り馬借町の旧電車道に出ます。





馬借町の旧電車道を通って医療センター前でモノレール道に合流します。
道の左の歩道を南下するとやがて香春口門の説明版が見えます。(上の写真です)


  

Posted by メドウおじさん at 19:13Comments(6)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策行13(金辺峠周辺)

2015年02月04日

東谷を通る旧秋月街道を紹介してきましたが一応今回で
一区切りです。JR金辺トンネル前の跨線橋を渡り坂道
をあがっていくと国道322号線に出合います。4車線
の広い国道に沿って100mほど田川方面に進むとやが
て新金辺トンネルの入り口手前を左折する道が旧秋月街
道です。この道は平尾台の最高峰竜ヶ鼻の登山道にもな
っています。道は旧金辺トンネルの手前に地元採石業者
の廃土置場がありそこまでは道も拡張されて大型トラッ
クが頻繁に行きかいます。歩くにはちょっと注意が必要
です。この峠道はかつては石畳と両脇には松並木が続く
風情のある道だったそうですが今はもう全く面影もない
のは残念です。廃土置場から先は草が生い茂り半ば廃道
状態です。廃土置場から先、150mいったところに旧
金辺トンネルがあります。昭和40年代の初めに新金辺
トンネルが出来るまではこの峠のトンネルがメインの道
でバスもここを通っていました。今はトンネル内には水
がたまり通行止めの柵がしてあり通れません。旧道はこ
の旧トンネルの上を巻くようにして通っています。道は
やがて峠に着き頂部には田川郡との境を示す郡境石や幕
末にこの峠周辺で長洲勢相手にゲリラ戦を展開した小倉
藩の若き家老、島村志津摩の顕彰碑が建てられています。
この呼野側からは峠の手前に猿除けの鉄条網の柵がされ
ています。一応扉は開け閉めできますが厳重に占められ
ています。この峠周辺は小倉戦争のきちょな史跡だと思
うのですが小倉側は道こそ草が刈られていますがほとん
ど放置状態でこのままではやがて廃道になるのは目に見
えています。一方峠の反対の香春町側は道もきれいに整
備され碑文の周りもきれいに手入れされていてその扱い
の差は雲泥です。北九州側の見る影もない放置状態は残
念でなりません。


JR金辺トンネル前の跨線橋です。水路が併設されているのは珍しいと思います。



旧道を進むとやがて322号線に出合います。頂吉越えのバス停に出合います。



新金辺トンネルの手前から左折して旧道は進みます。竜ヶ鼻登山道の入り口にもあたります。




途中の廃土置場までは舗装された広い道が続きます。



廃土置場から先は未舗装の荒れた道が続きます。ここを直進すると旧金辺トンネルにつきます。



右側の道を直進すると旧トンネル、左の道が旧道で峠に続きます。




旧金辺トンネルは現在通行できません。トンネル内は地下水が溜まっています。
個人的には通れるようになると良いと思いますが利用者は少ないでしょうね。



先ほどの左の道を進むと峠への旧道です。この辺は旧街道の雰囲気が残っています。



途中ゴロタ石が露出する部分があり昔の石畳かと思いましたが新しいものでした。
舗装代わりに石を敷いたのかもしれません。



峠の手前には猿除けの柵が設置されています。施錠はされていませんが厳重に封鎖されています。
これでは誰もこの道を通ろうとは思わないでしょう。
この先に島村志津摩の石碑が設置されています。
  

Posted by メドウおじさん at 19:59Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策行12(呼野)

2014年12月01日

呼野の町内は田川郡香春町と境界を接する小倉南区の南端
にあたります。東の平尾台の最高峰龍ヶ鼻の麓にあり西の
福智山山系に挟まれる山間の町で旧322号線に沿って民家
が並びます。江戸時代初期には細川候による金山開発が行
われ、その後小笠原候時代に中断されますがそれでも江戸
時代の宿場町としてにぎわいました。明治になり再び鉱山
開発が再開され吉原鉱山などが本格的に採掘し一時は鉱山
従事者で町はずいぶんとにぎわいました。旧街道は旧322
号線と重なって呼野の町を進み上呼野のバス停の先から左
手に緩やかに下ります。ここから旧街道は谷地の底を通り
JR日田彦山線の丸山トンネル、金辺トンネルに向かいます。


呼野の里程表です。本来はもう少し南側のお糸地蔵堂の蕎麦にあったそうです。
同じようなものが石原町にもあります。どちらも昔の宿場のなごりです。




お糸地蔵堂です。道は旧322号線から右折して採石場へ続いています。




県の天然記念物の大イチョウがある大山祇神社です。



平尾台がすぐ近くに迫っています。正面の麓にある池がお糸池です



この辺りでは旧秋月街道は旧322五線と重なって進みます。上呼野のあたりです。



途中から旧322号線から外れて進みます。



旧街道はJR踏切を渡り新322号線の高架下を進んで金辺峠へと進みます。
  

Posted by メドウおじさん at 20:40Comments(7)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策11(小森~呼野駅前)

2014年11月14日

旧街道は小森町内から上呼野にかけては旧322号線
と重なります。小森地区には旧街道からは少し外れま
すが新322号線方面の小森本村地区の村上家の庭園
は雪舟の作と言われています。雪舟がこの地に逗留し
たときに作庭したと言われています。また小森交差点
横にはかつてバブル期に三菱セメント鉱山(現三菱マ
テリアル)の出資を受けおしゃれなイタリアンレスト
ランとハーブ園を運営するエスト・ラ・ヴィーヌがあ
りましたがバブル崩壊とともにレストランとハーブ園
は閉鎖され現在は農業法人としてイチゴなどの観光農
園を細々とやっているようです。因みにエスト・ラ・
ヴィーヌはラテン語系の言葉で東の谷という意味です。
旧322号線に戻りもう少し進むとやがて右手に日田
彦山線の呼野駅が見えてきます。ここは昭和の40年
代前半までスイッチバック式のSLが走っていました。
小倉方面から呼野駅に着いたSLはいったん500m
ほどバックし加速をつけて一気に金辺トンネルまで駆
け上がっていきました。私も小学校のころ一度か二度
SLに乗ってこの坂を超えた記憶があります。
今はスイッチバックの線路も廃線となっていますがそ
の跡は残っています。(2014年1月2日の記事)
呼野駅駅舎は古い木造で貴重なものでしたが今は完全
に取り壊されてホームだけの駅になっています。

上記記事中のレストランエストラヴィーヌは読者の方の情報で平成9年前後の
オープンだそうです。訂正させていただきます。


日田彦山線のSLは昭和40年代にディーゼル化されていったので
てっきりその時に廃止されたものと思っていました。設備自体は
昭和58年まで残っていたそうです

イタリアンレストランは現在洋菓子店、コウノトリになっています。ここのブランディケーキは
私の好物です。



JR呼野駅です。駅舎はなくなりましたが桜並木は今も健在です。


村上家の雪舟庭です。シンプルですが趣があります。



上のサムネイルは雪舟庭の説明書きです。クリックで拡大できます。


  

Posted by メドウおじさん at 19:55Comments(8)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策10(亀甲~市丸)

2014年11月02日

木下本村のはずれから旧22号線を横切って田園を進む
道が旧街道です。左手に新旧の322号線、右手が日田
彦山線です。途中日田彦山線のガード下をくぐると亀甲
の集落です。亀甲は戦国時代には小野田屋敷と呼ばれ、
東側の山城、木下城の城主小野田一族の居館があった
場所です。現在はほんの一部の遺構が残っているだけで
す。一族の子孫の方が市丸方面にお住いと聞いたことが
あります。
旧街道は亀甲を先に進むとやがて旧322号線に出合い
ます。以前ここで旧街道が旧322号線に重なって小森
方面に進むのか、国道と東谷川を渡り大清水神社の方向
へ進むのかはっきりしませんでしたが昔語りの資料と
某新聞社発行の豊前国古地図のレプリカにより旧街道は
旧322号線と重なって呼野方面に進んだことがわかり
ました。残念ながら市丸から呼野駅手前までは旧街道の
面影を感じさせるものは残っていませんがそれでもこの
近くにはセメント会社への日田彦山線の引き込み線跡や
旧市丸小学校跡地など名もない近代化遺産の痕跡が残っ
ています。

木下本村の先から旧322号線を渡って旧秋月街道は進みます。




途中右折して写真のガードをくぐって進むと小野田屋敷跡があった亀甲の集落です。


田圃を左手に見ながら進む旧道は散策に好適です。



やがて旧街道は旧322号線に再び出会います。



旧秋月街道はこの場所から新旧の322号線を横切り平尾台の麓の方向へ進むのか
旧322号線に沿って呼野方面に進むのかはっきりしなかったのですが古地図により
旧322号線に沿って進んでいたことがわかりました。



秋月街道は市丸から上呼野までは旧322号線と重なります。



市丸公民館の敷地の中に市丸小学校の記念碑があります。市丸小学校は東谷第二尋常小学校
としてスタートし第一尋常小学校は新道寺小学校です。


  

Posted by メドウおじさん at 10:06Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策行9(木下本村)

2014年10月14日

旧秋月街道は平尾台入り口の三叉路を過ぎるとやがて
右手に東谷中学校を見ながら旧322号線と重なって
進みます。旧街道は東谷中学校の先から左に折れてJR
の踏切を渡り木下本村に入ります。この辺りは昔のまま
の道幅で両脇の民家も古い農家さんが多く赤い石州瓦の
立派な古民家ばかりです。木下本村は全体ではあまり豊
とは言えなかった中世から江戸期の東谷の中では裕福な
農家さんが多かったようです。今でも立派なお屋敷が多
いのですが聞くところによると跡継ぎの方がここの旧家
に住まずに空き家も出始めているとも聞いています。
町内のメインストリート旧街道沿いにはかつてお茶店も
あったようです。また町内の端で街道の左手に大きな
古木があります。根元には小さな祠がありこの古木には
古い言い伝えがあります。昔本村で火事があったときに
旅の僧侶がこの木の根元でお祈りをしたところ不思議な
ことに火事が収まったとのことです。この古木は特に保
存樹に指定されていませんが今も町内で大事にお守りさ
れています。また昔語りによると戦国時代から江戸期に
かけて本村の地下には金鉱があり呼野とともに金の採掘
が行われていました。この本村から亀甲の東方の山並に
は小野田一族の居城、木下城があったそうです。




私の母校東谷中学校です。平尾台入り口の少し先にあります。
懐かしい思い出はまた今度取り上げたいと思います。
壁画は卒業記念製作として数年に一度書き換えられています。



旧街道は中学校の先から左に折れて木下の本村の中を通ります。




木下の本村は立派なお屋敷が多く、正面のお宅も大きな屋敷林を持たれています。





旧街道は昔の道幅で町内を通ります。


町内の人家が途絶えると道は緩やかに坂を下り旧322号線に出合い。



上の写真手前を左折すると正面に楡の巨木が見えます。古い言い伝えのある本村の守り神です。


旧街道は旧322号線に出合いこれを横切って亀甲へ進みます。

  

Posted by メドウおじさん at 18:52Comments(0)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策8(山ヶ迫)

2014年09月30日

旧秋月街道は山ヶ迫地区に入るとしばらく旧街道は
旧322号線と並行して進むので他の場所と比べると
道幅が広く感じます。山家醤油さんの前で旧街道は
旧国道と重なって東谷中学校の先までさらに進みま
す。山ヶ迫の旧家山家家は山家酒造を中心に栄え、
特に明治前半の当主は篤志家で特に東谷の初等教育
に力を注ぎ新道寺小学校や高等小学校の設立に私財
を投じ、貢献されました。その徳をたたえ今も山ヶ
迫の法円寺さんの前に立派な顕彰碑が建てられてい
ます。碑文は当時小倉に在住した森鴎外の筆と言わ
れています。方円寺の少し手前(小倉より)から西
側の山へ目通じる道が中谷へ通じる櫨がトンネルが
あります。春と秋にはJRとタイアップしたウォー
クラリーのコースになっています。
法円寺を過ぎ坂道を上ると木下の西の町内に入ります。
すぐに平尾台へ通じる三叉路に当たります。


元山家GSの跡地を過ぎてしばらくは旧街道は旧国道に沿って進みます。この辺りは道幅が旧街道
の分だけ広く感じます。



JR石原町駅へ向かう信号機のあるT字路にあるのが山家醤油さんです。普段は業務向けの
営業をしているのでお店は開いていませんが一般小売りはお隣の山家酒造さんの直売店で
買えます。



東谷の造り酒屋、無法松酒造の山荷酒造さんです。歴史を感じる立派な古民家づくりです。
3月のお彼岸過ぎに蔵開きが催されます。



この辺りでは旧街道は旧国道と重なっています。



無法松酒造さんの先を右折すると中谷の道原へ通じる櫨が隧道(峠)へ向かいます。この道は
ラリーウォークのコースになっています。



写真を先に進むと櫨が隧道です。途中戦争遺産の照射機のあった小山に上ることが出来ます。





次にあらわれるのが山ヶ迫のお寺法円寺さんが見えてきます。私の母校の新道寺小学校は
このお寺のお堂を仮校舎にしてスタートしました。今から150年近く前の話です。



法円寺さん正面です。真ん中に見える黒い立派な石碑は東谷村の碑です。山家先生の碑は左端の
白い御影石のものです。


法円寺さんの前の坂を上りきると木下の西の町内です。


  

Posted by メドウおじさん at 20:34Comments(0)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策7(石原町2)

2014年09月21日

旧322号線の石原町鉄工団地前のバス停から
先はしばらく旧街道と旧322号線は重なりなが
ら石原町町内を呼野方面へ進みます。石原町は
江戸時代は宿場町だったのですが大火でその機能
を消失し半宿と言って藩の御用を承る宿となりま
した。昔の宿場を思わせるものはほとんど残って
いませんが大応寺前の石原町バス停に里程標が残
っておりわずかに昔日を偲ぶことが出来ます。
確証はないですが昔の宿場機能はこの大応寺近辺
にあったのではないかと私は考えています。昔語
りによると旧街道は大応寺の先のお寺、明照寺前
あたりから微妙にずれて旧322号と隣接して進
みます。明照寺前にはちょうど旧街道ほどのスペ
ースが呼野方面に続いていてこれがその痕跡だと
思います。石原町の1組(山ヶ迫よりの組)まで
来るとすこしそれて元の東谷石油の給油所跡の裏
を通ります。今は夏草に覆われて誰も通りません
がここも 旧道の跡地です。



石原町町内を通る旧秋月街道です。大部分は現在の旧322号線と重なります。
左に折れると東大野神社へ至ります。


 



大応寺さんの前に里程標が残っています。昔の宿場だったころの名残りです。



大応寺さんの隣地あたりが半宿の番所があったのではないかと思っています。



明照寺さんの手前あたりです。前方の青いトラックがとまっているあたりから少しそれて
国道に並行します。



明照寺さんです。てまえのスペースが旧街道だった場所です。



二組と一組の境目で旧街道はいったん旧国道と重なります。



一組の端で再び旧国道からそれます。





旧街道は東谷石油の給油所の裏を通ります。この場所からがお隣の山ヶ迫の集落です。
  

Posted by メドウおじさん at 19:01Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策6(目倉~石原町1)

2014年09月07日

目倉界隈の旧秋月街道は今の旧322号線とは少し
違っていました。郷原から目倉にかけては山が東
谷川の川岸に迫っていて旧街道は元採石場あたり
から少し上がり山肌を巻くように進み現在の目倉
バス停あたりで下り旧322号線を横切り旧322号
線に並行して200mほど直進したところで右折し
てやがて旧322号線に合流します。昔の旧街道は
合流地点の隣にある生コン工場の縁を通って進み
ました。かつてはこのあたりの旧322号線は山肌
を削って作られました。旧街道は工場を抜けたと
ころで短いですが急峻な坂を上り再び旧322号線
に合流します。このことは三谷昔語りにこの坂道
を乗合馬車で通行するのに苦労した話が載ってい
ます。合流した旧街道は石原町の町中を進みます。



目倉の元採石場です。旧街道は写真の建物の裏あたりを山すそに沿って進みました。



ちょうどイノシシよけの柵のあたりが旧街道でした。



旧街道の痕跡です。わずかに残っています。



この辺りは山が東谷川に迫っているので」旧街道は山すそを進んだと思います。



山裾を進んだ旧街道は目倉のバス停あたりで旧322号線に合流し道路を横切ります。



目倉バス停の前に豊前刀の刀匠、徳永家です。右の家屋が鍛冶場でした。
手前の空き地は最近までタバコ店の家屋がでしたが車が飛び込みがあって
取り壊されました。



旧街道は右側を通る旧322号線に沿って直進します。




前方を右折して旧322号線に戻ります。



旧322号線に出合うとすぐに左折します。


左折するとすぐに生コン工場があり旧街道は正面の家の左わきを下っていきました。



旧街道は工場の右端を進みます。



工場を抜けると右に折れます。




右に折れると正面の坂を上ります。写真だとよくわかりませんが高低差は3m以上あり結構急です。
旧道は写真の現在の道筋と同じかどうかははっきりとわかりませんが、写真正面のどこかを通った
はずです。昔はここを乗合の馬車が通りました。
  

Posted by メドウおじさん at 18:26Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策5(郷原~目倉1)

2014年09月01日

加用の集落を抜けると川沿いの道を南に進むと
東谷石油のスタンドの裏を通り新しい322号線
に出ます。今の322号線は4車線の立派なもの
ですが35年くらい前は今の半分以下の2車線で
した。さらに遡ると昭和10年代は車線幅2間
ほどの狭い道を小さな乗り合いバスが走ってい
たそうで今も昔もこの道は重要交通路だったこ
とがうかがえます。旧秋月街道は東谷石油の先
で322号線を横切り郷原の集落の前を通りや
がて郷原の集落が終わる少し先で右折して旧国
道に入ります。旧国道に入ったところにグリー
ンロジスティクスと呼ばれる元採石場がありま
す。この先に旧国道を横切る小川がありこの先が
目倉になります。この小川がかつての中谷と東谷
の境だったそうです。(ちなみに今は目倉の集落は
中谷の町内になっています。)




加用を抜けると郷原に向かって川沿いを直進します。前方に見える高架の先が郷原です。


上の写真を右折すると東谷石油のSSで左折するとすぐに高津尾橋で東谷川を渡ります。
街道は直進して高架下の国道322号に出ます。




お米問屋のマルヨシ物産の裏で322号線に出合います。この辺りは旧322号線が拡張されて4車線になってい
ます。旧街道は道路の向こう側の歩道あたりを通っていました(昔語りの会の説)が、もう一つ前方の竹林の裾を
通る道も残っていてこの可能性もあります。



左手前方に見える集落が郷原です。



322号線の歩道沿いにあるお宅の赤レンガ塀です。三谷にはこのような古い赤煉瓦の塀や蔵が
数多く残っています。昭和の初めまで石原町駅の隣にレンガ製造の工場があったそうなのでそ
の影響かもしれません。



赤煉瓦の塀のお宅にあるタブの木の巨木です。北九州市の保存樹に指定されています。


郷原の集落が終わると前方に見える竹林の尾根の向こう側が目倉の集落です。




前の写真の竹林の向こう側です。山すそに小道が付いていて、奥には小さなお堂があります。



お堂には山神様が祀られています。昔、各集落の里山では炭焼きや狩りなど山の恵みをいただくために
山神様を、また川の魚や稲の豊作を祈って:水神様を祀っています。



山神様の小道の先から旧街道は322号線から別れ左に折れて旧322号線に入ります。旧322号線に入って
すぐのところに元採石場(現在は堆肥工場)があります。旧街道はここから山すそに向かって坂を上ったそうです。
ちょうど上の写真あたりです。坂の上にはお茶屋があって旅人が休憩していたそうです。

旧中谷と旧東谷の境界の小川です。写真の右手が中谷村、左が東谷村だったそうです。昔はこの小川の上流の
湧水で旅人はのどを潤したそうです。
  

Posted by メドウおじさん at 19:55Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策4(加用地区2)

2014年08月18日

桜橋から紫川の東岸を進んだ旧秋月街道は加用
の集落で東谷川に架かる加用橋を渡って西岸側
に出ます。街道は橋を渡って左折して進みます
。100mほど進むと左側に加用の公民館があ
りますがその手前に山川某氏の切腹岩といわれ
る史跡があります。公民館の横の緩い勾配の坂
を進むと加用地区も終わり、西丸山の麓に出て
ここからは高津尾の集落になります。加用と
高津尾の集落の境の西丸山はかつて西村砕石の
採石場でしたが30年ほど前に操業を止めて
います。以前は岩肌がむき出しでしたが今は
植物が一面に茂っています。中腹には山桜も
あり春には目を楽しませてくれます。


加用橋です。旧秋月街道は東岸(左側)から西岸側(右側)に渡ってすぐを左折して
街道は進みます。


西側の旧街道です。護岸工事とともに道路も少し拡張されました。この道は市道のはず
なのでどうせなら昔の街道の雰囲気を残して欲しかったです。正面の小さな茂みが史跡
です。



山川某氏の切腹岩です。

 

切腹岩の隣に加用地区の公民館(集会場があります。右の道が旧街道です。
この辺りは古い昔の道幅で残っています。


加用の公民館を過ぎると右手の西丸山の山すそを進みます。
正面が加用と高津尾の境になります。



まっすぐ進むと旧街道で右折すると高津尾の集落へ至ります、昔は」この辺りは湿田で川も良く氾濫したそうです。
旧街道はここを右折して高津尾の集落を通ったという説もありますが、三谷昔語りでは直進説をとっています。



加用と高津尾の境にある西の丸山です。40年くらい前まで採石場でした。今は山肌も緑に覆われています。


  

Posted by メドウおじさん at 18:27Comments(5)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

旧秋月街道散策3(加用地区1)

2014年08月09日

古川の集落を過ぎなお紫川東岸を上流側に進むと
いよいよ山肌が川岸に迫り旧街道は昼なお薄暗い
感じで女性の一人歩きはお勧めしませんが、ちょ
っとした古道の雰囲気満点の場所です。川岸は完対
全な自然護岸でたぶん紫川本流域ではここしか
残っていない貴重な場所です。岸の西岸は住宅
街が川岸まで迫り護岸も今風に改修されてしまい
ました。この川に迫った山際を通過すると加用の
集落です。加用地区は明治時代は三谷地区の中心
部で役所の出先や、この地区初の高等小学校など
が設置されていました。今まではひっそりとした
集落だったのですが最近は数年前の洪水対策の
護岸工事で落ち着かない感じです。また賃貸の
集合住宅などが数件建ちはじめ集落の景観も変
わり始めています。古川から加用の集落の入り
口にあたる場所(紫川本流と東谷川の合流地点
付近の山すそ)に古くから湧水があります。流
量は少なめですが一年中枯れない湧水です。
注意書きにもありますが生水の飲用は控えた方
が良いと思いますが地域の方には古くから知ら
れた湧き水です。


古川から加用へ至る旧街道です。山並みが川に迫る古い道です。左の落石防止の壁がざんねんです。



加用の入り口の山際に湧き水があります。古くからある湧水ですが生水は飲まない方がいいみたいです。



正面のやまなみの下を旧街道が通ります。手前が加用の集落です。




加用の集落は川沿いにあります。数年前の洪水対策で護岸がかさ上げされました。


由緒はわかりませんが新しいお寺が出来ていました。
  

Posted by メドウおじさん at 17:17Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

秋月街道散策2(古川周辺)

2014年08月03日

小嵐山の麓を上流に進むと間もなく古川の集落
が見えてきます。今は古川という住所はなくな
り徳吉東と呼ばれます。わずかに地区の公民館
に古川の名前が残っています。この集落は古い
歴史のある集落で集落の裏山の山頂にはかって
(戦国時代より前)長野氏の一族が山城を築い
ていました。(椎山城)古川の集落は登城の際の
入り口にあたります。言い伝えではお城の奥方
や姫様は古川の集落で籠を降り輿に乗り換えて
山道をお城に向かったそうです。山城は高さは
そうでもないですが斜面は急なので結構大変だ
ったと思います。私は登ったことがありません
が山頂の尾根道には山城の跡らしきものが残っ
ているそうです。


小嵐山の先を進むと古川の集落に至ります。この日の紫川はずいぶんと増水しています。


古川の集落から後ろを振り返ると小嵐山の山並みがきれいです。



古川の集落を対岸から見ています。


民家の裏山が少し伐採されています。この近辺は風致地区なのでこれ以上は伐採できないはずです。
(伐採されている範囲はぎりぎり風致地区にかかっていないようですが微妙です。



古川の集落の裏山です。この山並みの尾根筋の奥の方に椎山城がありました。


 

古川の集落と中谷の徳光を結ぶのがきねん(亀年)橋です。最初にこの橋を作った時に橋台
のあたりから大きなカメがいたことから橋の名前になりました。橋の一部にこの話を説明した
銅版画が埋め込まれています。







亀年橋から上流側を見ると東岸は今では珍しい自然護岸が加用の集落まで続いています。



椎山の山裾が川岸まで迫って迫力ある自然護岸が出来ています。この近辺は風致地区でないのが
心配です。対岸は護岸改修されて昔の面影はありません。古川の亀年橋から加用に至る旧街道
沿いは残す価値が十分にある景観です。
  

Posted by メドウおじさん at 18:28Comments(0)秋月街道(常盤橋~金辺峠)

秋月街道散策1(桜橋周辺)

2014年08月01日

昔語り合本3巻によると江戸時代中ごろから
秋月街道は紫川東岸の小嵐山の麓を開削し東岸
の川岸を加用まで進みます。桜橋周辺は昔から
風光明媚なところで小笠原藩の前の藩主細川家
の幽斎公が京都の嵐山を思い起こさせる光景を
見て小嵐山と呼ばれるようになりました。現在
東岸の山並みは風致地区に指定されていてかろ
うじて昔の風景を保っています。山の反対側は
頂上付近まで宅地開発されているので見る影も
ありません。川側はまるでハリボテのようです
がそれでもなんとかかろうじて歴史ある景観が
残ったのは不幸中の幸いです。


桜橋の北側に民間住宅の入り口に小嵐山を示す自然石の碑が設置されています



桜橋から小嵐山の山すそを通る旧秋月街道です。


入り口から50m進むと川岸に沿ってグループホームがあります。ここは以前川魚料亭の幸楽がありました。
昔はウナギなどきれいな川魚が沢山獲れたそうです。



崖を切り開いた旧街道が続きます。左手に小嵐山の説明板が見えます。


小嵐山の名付け親の細川幽斎公のお茶屋跡といわれている場所です。


道は上流に向かって続きます。遠くに見えるのが古川の集落です。



左手の山すそは風致地区で古い自然が残っているためか最近ではあまり見かけなくなった
野生の野菊のシマカンギクの群落がありました。

以下は小嵐山の碑文などです。


  

Posted by メドウおじさん at 19:07Comments(2)秋月街道(常盤橋~金辺峠)