島村志津摩の小説(峠を出でて奇兵隊を撃て)

2018年01月08日

幕末の小倉戦争において山縣狂介の奇兵隊と三谷地区
で激戦を繰り広げ企救郡は失ったものの田川、京都郡を
中心とする豊津藩として存続させた郷土の英雄なのです
が、いかんせん、徳川譜代として長洲戦争の敗軍であり
勝者の長洲には維新回転の英傑がキラ星のごとくおり長
洲の陰に隠れ歴史の表舞台に出ることはほとんどなかっ
たのですが、それでも九州文学の重鎮、劉勘吉氏や白石
壽氏原田種臣氏が小説や歴史書として描いています。
最近大手出版社、幻冬舎から小野剛史という方が「峠を
出でて奇兵隊を撃て」として出版されました。小野氏は地
元の出身の方で「かんだ郷土史郷土史研究会員」として
活躍されておられる方です。島村志津摩と同時期の小倉
藩家老でライバルの小宮民部と善と悪の対立関係として
描かれることが多かったですが本編は二人の関係を深く
複雑に描いています。230pを面白くて一気に読破しまし
た。いつかTVでドラマ化されると嬉しいです。





  

Posted by メドウおじさん at 10:20Comments(0)東谷(北九州)の紹介

新企救風土記

2017年12月23日

新企救風土記は在野の郷土史家、松本洋一さんが出版
された郷土誌で三谷に隣接する旧企救町の歴史、風土を
研究されたものです。以前図書館で見かけてできたら自分
の手元に置きたいと思ったものの入手の方法がわからず
に半ばあきらめていたのですが先日、小倉北区の書店、
クエストで増補改訂版が市販されていました。私の住む
三谷の歴史を知るうえで桜橋より以北の旧企救町の昔
の様子を多方面から知ることが出来る本風土記は貴重
な資料です。


新企救風土記は特に昭和30年代以降、旧企救町が大きく変遷していく様子がわかります。

  

Posted by メドウおじさん at 12:48Comments(0)東谷(北九州)の紹介

クエスト1

2017年12月21日

小倉北区の旦過市場のすぐ近くにある書店クエストは老
舗だったナガリ書店、金栄堂が閉店した今となっては小倉
に残る唯一と言っていい大型書店です。残念なことに紀伊
国屋、丸善、ジュンク堂といった全国規模の大型書店は福
岡に集中しその他の地域は地元の小さな書店が細々と営
業している所が多いようです。アマゾンなどネット書店が隆
盛を極めている現代において中小書店の経営は厳しく正に
斜陽産業の典型の一つですが私は今でも書籍は書店で購
入するのが好きです。公共の図書館もいいですが旬な新刊
をいち早く手に取ることが出来る書店の良さはまた格別です
。そういった意味でも小倉のクエストには頑張ってほしいです




  

Posted by メドウおじさん at 21:05Comments(2)東谷(北九州)の紹介

東谷の石碑1

2017年11月19日

東谷地域は昭和30年代まで9つの町内で構成されていま
した。(現在は12に増えています)各町内には石碑などの
独自の遺跡が多くあります。いろいろ種類がありますが多
いのは街道の安全を祈る康申塚や猿田彦大神の石碑や
個人を顕彰したものなどがあります。それぞれの町内で
維持管理されていますが今のうちにしっかり記録に残し
ておこうと思います。


石原町天疫神社の庚申塚です。相当古いもので江戸時代のものと思われます。





石原町バス停に残されている秋月街道(香春街道)の里程標です。同じものが
呼野公民館前にも残されています。





東大野神社に建っている猿田彦大神の石碑です。文化年間の設立です。
猿田彦大神は古事記の神話に出てくる国つ神の一人で天照大神の皇孫
ニニギノミコトが高天原から葦原瑞穂の国(日本)降臨したときに道案内を
した神様です。この故事から街道の安全を守る神様として長く信奉され
てきました。各地に石碑が多く残されています。現在本社は伊勢市にあります。
猿田彦大神は大柄で赤ら顔に大きな鷲鼻を持っていたと言われ後に天狗の
モデルになったとされていますが。私的には遥か古代に日本にやってきた
西洋系の民族だったのではないかと思っています。
  

Posted by メドウおじさん at 14:01Comments(0)東谷(北九州)の紹介

知念さん(つづみ草)の蕎麦打ち道場

2017年10月27日

私が良く行く東谷の美味しいお蕎麦屋さん、つづみ草
のご主人の知念さんが、東谷市民センターの市民講座
の一環で「蕎麦打ちの講習会」を来月11月16日(木)
10:00から13:00、東谷市民センターで行います。
参加費はお一人1000円です。まだ数人、枠がある
ようです(今日現在です)からご関心のある方は下記
の東谷市民センターまでお問い合わせください。
tel:093-451-0217



美味しいお蕎麦の蕎麦打ちを格安の料金で体験できます。お申し込みは東谷市民センターに
お問い合わせください。
  

Posted by メドウおじさん at 17:04Comments(0)東谷(北九州)の紹介

マテバシイの実1

2017年10月04日

日本のナッツというと栗と胡桃が両横綱だと思い
ますが、私が子供のころに食べていた椎の実も素
朴な味でした。子供のころに食べていたシイは2c
mほどの細長いスダジイ(ナガジイ)か1cmほど
の丸っこいツブラジイ(コジイ)です。どちらも生
で生食しても渋みはほとんどありません。火で炒る
と香ばしく甘みも増します。日本のドングリはどれも
タンニンが多く渋くて生はもちろん、焼いても煮ても
食べれません。食べるには殻の中の実を砕いて水
に何度も晒してやっと食べれるようになります。その
点スダジイとツブラジイと3cmほどのマテバシイは
生食できるドングリで日本では縄文の昔からクリと
ともに貴重な食糧でした。今では誰も食べる人もい
ないと思いますが今回、懐かしく採取してみました。



マテバシイは元々東谷にはほとんど自生していませんでした。写真は小倉南インター
に植樹されたマテバシイです。歩道横のフェンス際で大きく成長しています。最近は
都市公園などでもよく植樹されています。



マテバシイの拡大写真です。見た目はコナラなどのドングリにそっくりです。


このように歩道にたくさん落果しています。

  

Posted by メドウおじさん at 19:08Comments(4)東谷(北九州)の紹介

稲の天日干し

2017年10月02日

最近の稲刈りでは刈り取った稲はその場で脱穀まで
できますがこの田圃では昔ながらの天日干しで干し
ています。天日干しは大変な重労働ですが新米の味
が引き立つそうです。今はたいがいの農家さんは機
械干しで室で自動乾燥させるようです。この田圃で
はオーナーさんがこだわりのお米を作りたいという
事で約2反の水田に無農薬で収穫直前まで水を張っ
て作ったそうです。現在の従来農法では出穂が始まる
お盆前ごろからは水を落とすそうなのでかなり異なる
やり方ですが、よく考えると江戸時代や明治では湿地
性の田圃では収穫するまで水があったでしょうから、こ
れが本来のやり方なのかもしれません。



刈り取った稲藁を縛るまでは機械がやってくれますが、振り分けて竿にかけるのは
人力ですから大変な作業です。

  

Posted by メドウおじさん at 19:52Comments(2)東谷(北九州)の紹介

猪軍団来襲

2017年09月30日

秋が本格化すると同時に裏山の猪軍団が里に下りてくる
ようになりました。イモなど秋の根菜が目当てのようで
すが家の周りの畑は我が家の協生農法実験畑を除いて柵
があるので大きな被害は今のところ出ていません。
ただし先日から家の周りの道の脇が見事に掘り返されて
いました。ここには人が植えたものはありませんが野生
ネギのノビルが群生していて私の採取地でもありましたが
ごっそりやられました。ここからは来春の採取は望めませ
んが隣の土手地にも相当数のノビルの群落があるので、ま
あ仕方ありません。畑を荒らされるよりましです。荒らさ
れる前に一部を協生農の畑に移植しておいたので大丈夫で
す。荒らされた部分も食べ残した球根がやがて復活してく
れるでしょう。



道の右側がガッツリ荒らされています。ノビルを狙って掘り返したようです。



猪も彼岸花の球根は食べません。毒だとわかっているようです。



道の右側はすっかり荒らされましたが、左の土手にはノビルがいっぱいです。



協生農の実験畑にも偵察に来たようです。
  

Posted by メドウおじさん at 18:31Comments(2)東谷(北九州)の紹介

海水塩の効果

2017年09月06日

自作の天然海水塩(岩屋で海水を採取したので岩屋塩と
呼ぶことにします。)を摂り始めて2週間になりますが今の
ところ目立った体調の変化はありません。一日に一つまみ
程度なのでこんなものかとも思います。普通の料理に使う
手もありますが今回作ったのは30gほどなので料理に使
うとあっという間になくなりそうなのでチビチビ使っています
。一つ最近感じるのは味覚が少し変わったように感じます。
以前より塩味に敏感になったというか食べ物の塩味がきつ
く感じるようになりました。奥さんにも塩分を減らしてくれる
ように話しました。血圧変化も気になりますが血圧計を持っ
ていないのでよくわかりません。
岩屋塩ですが普段はお茶に入れて飲んでいますが元々マ
イルドな味なのでお茶が塩辛くなることはほとんどありませ
ん。(多量に入れると別ですが)岩屋塩は冷ややっこに一
つまみふりかけると豆腐の味が引き立ちます。てんぷらに
ふりかけても美味しいです。


若松北海岸(岩屋海岸)です。岩屋塩はここの海水を使いました。







北九州とは思えないほどきれいな若松北海岸(岩屋海岸)です。北九州に残された数少ない
自然海岸です。


出来上がった海水塩(岩屋塩)です。

  

Posted by メドウおじさん at 17:53Comments(2)東谷(北九州)の紹介食べ物

平尾台陸軍演習地境界杭

2017年08月24日

すみません、ほぼ同じ内容を昨年12月にアップしていました。
せっかく書いたので今回はこのままさせていただきます。

平尾台の国定公園域は現在多くのハイカーで賑わっていま
すが明治から昭和の時代の前半までは陸軍の演習地とし
て使われていました。周防台から茶屋が床にかけての一
帯は、その中心地だったようです。それでこの辺り一帯に
は今でも陸軍時代の諸施設の跡が多く残されています。
特に吹上峠から大平山登山道から周防台へ向かう周回
路沿いには陸軍の演習地を示す境界杭が多く残り今でも
普通に見ることが出来ます。その他にも水道の鉄管跡な
ども残っていますが、廃墟マニアか私のようなもの好き
でないとまず気がつかないと思います。国定公園内とい
う事で今まで手つかずで偶然残ったものと思われます。
平尾台自体の歴史は大変古く第12代天皇景行天皇の
時代の言い伝え、青竜窟の土蜘蛛伝説などが伝わって
います。




大平山から周防台方面ですが正面の草原が主な演習地だったようです。


陸軍演習地を示す境界杭です。



小穴付近の遊歩道の地表に露出した水道管です
  

Posted by メドウおじさん at 19:59Comments(0)東谷(北九州)の紹介

平尾台のドリーネ

2017年08月09日

平尾台上には大穴、小穴をはじめ多くの窪地(ドリーネ)が
存在します。ドリーネの底にたまった雨水は地下の鍾乳洞
へとしみこみます。
子供のころ平尾台の草原には地下深くへ続く底なしの穴が
ありそこへ落ち込むと二度と這い上がってこれないと脅され
た記憶がありますがそんな落とし穴のようなドリーネや鍾乳
洞の入口はそうそうあるわけではありませんがなぜかミステ
リアスな感じがしたものです。ただ、夏の草原は草丈も高く
道筋も分からなくなるほどなので小さなお子さんだと迷い込
む恐れがあるので十分な注意が必要です。
台上の体験施設、平尾台、自然の郷の敷地内にも小規模な
ドリーネとそれに続く鍾乳洞があります。園内にはドリーネを
ま上から観察できるブリッジの園路が整備されていて安全に
観察できます。今は夏草に覆われて底まで見えませんが説
明板も設置されていてドリーネの構造を知るにはいい場所で
す。平尾台は今春、登山雑誌、ノボロに掲載されてから一段
と登山客が増えた気がします。台上には牡鹿洞、目白洞、千
仏洞といった観光鍾乳洞がありますので、一段と暑いこの夏
は平尾台で避暑、納涼もいいと思います。


ブリッジ式の園路が設置されていて安全に間近かで観察できます。



現在、夏草で底まで見通せません。



ドリーネと鍾乳洞の説明板です。
  

Posted by メドウおじさん at 17:54Comments(0)東谷(北九州)の紹介

真夏の平尾台

2017年08月01日

先週の土曜日は平尾台自然の郷で平尾台観光祭りが
ありました。その準備で朝から台上に上がったのですが
観光祭の準備は午前中に目途がついたので自然の郷
周辺を散策しました。自然の郷の場所は平尾台の産業
ゾーンにあり、国定公園域の外側に当たりますが平尾
台の特徴である草原が広がっています。生育する野草
も平尾台独特のものがおおく、今の季節はヒオウギや
コオニユリ、ノヒメユリなどが咲き始めていました。もう少
しするとツクシシャジンやキキョウが咲き始めます。麓で
は見かけなくなった珍しい植物が数多くみられ貴重な地
域です。



自然の郷から見た平尾台の集落です。奥は国定公園域です。


大平山から周防台方面へパノラマで一望できます。



ノヒメユリの可憐な花です。



石灰岩の岩陰にヒオウギが咲いていました。


コマツナギも咲いていました。


  

Posted by メドウおじさん at 20:43Comments(4)東谷(北九州)の紹介

福岡県大豪雨

2017年07月10日

福岡県は今月の6日7日梅雨前線の影響で大災害に見舞
われました。特に6日は朝倉市、東峰村、大分県日田市は
大変でした。今も孤立した住民の方がおられ、なお、20数
名の行方不明の方がおられます。被害にあわれた方々に
は心よりお見舞い申し上げます。
北九州は7日の未明から強い雨が降り朝の6時半ごろには
東谷川も増水し堤防まで5、60cmというところまで来ました
。もう2,3時間降り続いていたら大災害になっていたと思い
ます。思わず、7年前の豪雨を思い出しました。今回、前回
の洪水から東谷川、紫川で行われた河川改修が功を奏した
のか氾濫災害はありませんでしたが、集落裏山からの谷川
の増水が激しかったです。普段は枯れ沢で何の問題もない
のですがいったん大雨になると水が噴き出し道路を冠水させ
ました。普段からの心の準備の大切さを痛感しました。




あと少し降り続いたら危ないところでした。堤防沿いの車はこの後高台へ移動しました。



普段は枯れ沢なのですが今回は水が噴き出していました。


  

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幻の茶畑

2017年07月09日

先日町内の方と話をする機会があったのですがその時に出
た話がかつて、60年ほど前まで石原町駅裏から東大野神社
に至る一帯は小高い丘陵地で小規模な茶畑が点在していた
そうです。東谷昔語りにはこの辺ではお茶は自給自足で作っ
ていたそうです。我が家に残っているものは、そのころの生き
残りだろうと思います。
チャの木は放置すると毒毛虫が発生しやすいので、町内の
茶の木はほとんど伐採されたようです。今は個人の庭や山
の林縁で野生化したものがわずかに残る程度です。いつか
東谷の茶の木マップを作って見たいです。




正面工場の裏手に茶畑が点在していたそうです。



今はこうして敷地の一部にわずかに残っている程度です。



丁度春紅茶がなくなったので、二番茶葉を摘みました。紅茶を作ります。

  

Posted by メドウおじさん at 19:47Comments(2)東谷(北九州)の紹介和ハーブ

石原町駅無人化2年目

2017年06月21日

JR石原町駅が無人化されて2年が過ぎました。石原町駅は
かつてはセメント工場の出荷などで旧でも有数の貨物取扱
量を誇り、当時の名残りでプラットホームが改札駅側と島型
ホームの二つがあります。現在もダイヤの関係で石原町駅
が上下線のすれ違いで待ち合わせ駅になっています。その
ため島型ホーム側の乗降客は待ち合わせの上り列車の前
を横切って改札に向かうことになり以前から不安がありまし
たがこのたび構内用の遮断機が設置されました。これで安
心して線路を渡れます。事故になる前に設置されて良かっ
たです。


無人化二年目の石原町駅です。




構内遮断機が出来て安全になりました。お年寄りも安全に渡れます。



駅名看板の横にJRの財産票が貼ってあるのに気がつきました。



大正四年三月の表記がされています。100年以上前の創建です。
  

Posted by メドウおじさん at 20:22Comments(2)東谷(北九州)の紹介

無法松酒造蔵開き2017

2017年03月31日

東谷の造り酒屋さん、無法松酒造さんの恒例の蔵開きが
明日、4月1日(土)行われます。あいにく私は仕事で見に
行けないのが残念です。また同時にJR九州主催の春の
中谷ウォーキングも開催されます。こちらはJR志井駅か
ら中谷道原折り返しで櫨が峠隧道を通りJR石原町駅ま
で約10kのコースです。無法松さんはコースの終盤に
あり休息にピッタリです。
当日は確か10時から15時までだったように思います。
無法松さんの各種日本酒が試飲できるのと地元北九州
大学の学生さんとコラボした芋焼酎、平尾台も出品される
ようです。お天気が若干気になりますが興味のある方は
ぜひお越しください。なお試飲される方は絶対にハンドル
を握らないでください。遠方の方はJRがお薦めです。


昨年の画像です。右の青いテントが北九大の学生とコラボして開発された芋焼酎、平尾台の
販売コーナーです。



私が個人的に応援している箸休め、ゆず香さんも出品されます。その他にも焼き鳥、唐揚げと
半日楽しめます。


  

Posted by メドウおじさん at 18:24Comments(0)東谷(北九州)の紹介

井手浦の尻振り祭り

2017年01月08日

今日1月8日は東谷、平尾台の麓の集落、井手浦で奇祭
尻振り祭りが行われました。古代、神様が平尾台の大蛇を
退治したときに切り落とした尻尾が井手浦の集落に降って
きてピンピンと動き回ったそうで、その年は稀に見る大豊
作だったことから、その伝説にちなんで、農村神事として
古くからおこなわれてきました。一説だと出雲のヤマタノ
オロチ伝説と同根だという話もあります。当前と言って、
今年の当番と翌年の当番の家長が羽織袴の正装で神主
さんと祝詞を上げた後、御幣をお尻の所で大きく降るとい
う所作を行う奇祭です。御幣が振り切れるほど大きく振っ
た年は大豊作になるという事で観客からも大きな掛け声
が湧きます。今年はみごとに振り切れて大喝さいが湧き
ました。神事が終わると藁で作った大蛇に仕込まれた干
し柿を皆で取り合いますがうまく獲得できた方は、無病息
災で過ごせると言われています。北九州市のHPなどでは
13:00からの開始となっていましたが、今年は午前中ま
で雨が残っていたせいか14:00ごろから始まりました。
お祭りでは集落の方が甘酒と黒豆ご飯と紫米のご飯を
見学者にふるまっていただき私も頂きましたが美味しか
ったです。
尻振り祭りは1月8日と決まっているので、なかなか見学
の機会がなかったのですが今年は日曜と重なったので
たっぷりと楽しめました。


準備中のオロチです。



オロチの東部です。蜜柑で目を作っています。



オロチのしっぽ側です。縄で編んだ8本のしっぽです。






お振舞の黒豆と紫米のご飯と自家製の甘酒です。




今年と翌年の当番が大蛇(オロチ)の周りで尻を振ります。



神事の後はオロチに仕込まれた干し柿を取り合います。
  

Posted by メドウおじさん at 18:33Comments(2)東谷(北九州)の紹介

道原散策

2017年01月06日

最近、気になっていた道原周辺を散策してきました。
道原は東谷地区とと西谷地区にに挟まれた中谷地区の
奥部の集落です。紫川の上流部に沿って広がる集落で
鱒淵ダムと菅生の滝がその源流になります。
紫川上流部は水質が良く古くから北九州の水源になっ
ています。本流域には周辺から清流が何本も流れ込ん
でいます。情報だとモエビやマシジミなどの二枚貝も生息
しているようです。初夏には蛍も多く飛び交うようです。
東谷では見かけなくなった豊かな自然環境が多く残されて
います。
今回は紫川支流の一つ、鷹取川沿いを歩きました。鷹取川
は道原のさらに奥部の頂吉辺りから流れ出ていて、道原で
紫川に合流します。合流部から数百m上流側は近年、石垣
が新たに組みなおされて、川沿いに散策できるようにして
あります。川中には、クレソンが青々と繁茂しています。
クレソンは外来種で繁殖力が強く厄介な面も多いのですが
山菜・野菜としても優秀です。
(クレソンは清流で生息することが多いですが、実際は
繁殖力旺盛な強健種である程度の水流のあるところなら
汚れた環境でも十分生育するので野生のものを採取する
ときは十分注意が必要です)



鷹取川周辺の道原の風景です。



紫川との合流地点の鷹取川です。




青々としたクレソンが繁茂しています。



途中、水神様か田の神様を祀った祠が安置されています。




鷹取川沿いの集落のはずれです。この先人家はほとんどありません。



新しく親水化した川床です。この後どう、自然化していくのか興味があります。


  

Posted by メドウおじさん at 15:11Comments(4)山菜東谷(北九州)の紹介

清水橋

2016年12月22日

到津遊園地の少し小倉寄りで旧国道3号線と旧電車道
(旧長崎街道)が合流する地点で板櫃川に架かる橋が
清水橋です。橋の欄干の両端にある石造りの灯ろうが
クラシカルなつくりで以前から気になっていました。
今回近くを散策する機会があったのでよく観察しました。
昭和35年竣工とのことでしたが、個人的にはもう少し古
いものだと思っていたので少し意外でした。もう一つ下流
の橋は板櫃橋と言います。こちらにも清水橋とそっくりな
灯ろうがありますがこちらは平成19年竣工で真新しいもの
です。橋ハンターというか、橋がテーマのブログは結構多い
のですが由来など調べると結構興味深いです。



清水橋です。灯ろう部分がクラシカルで以前から気になっていました。



橋の全景です。欄干のデザインもおしゃれです。



板櫃川の上流方面です。



下流方面です。左岸の桜並木がきれいです。河床の遊歩道もきれいに整備されています。



清水橋の一つ下流側の板櫃橋です。清水橋とよく似た作りです。

  

Posted by メドウおじさん at 19:04Comments(0)東谷(北九州)の紹介

板櫃川合戦場跡

2016年12月20日

板櫃川は河内貯水池を水源として北区の日明まで流れる
典型的な都市河川の一つです。中流域の東区三条、七条
辺りでは豊前国と筑前国の国境で国境碑も数多く残って
います。近年は河川整備が進み川床遊歩道や魚道も作ら
れ親水機能を高め市民が憩える場所になっています。
先日中流域の下到津付近を散策する機会があったのです
がその時、奈良時代初期、聖武天皇の御世に起きた藤原
広嗣の乱の合戦跡の説明板を見つけました。広嗣は天然
痘で相次いで亡くなった藤原四兄弟の式家の長男で当時
は大宰府の少弐として左遷されていました。広嗣は中央
の吉備真備や玄昉の政策に異議を唱え九州で兵を挙げま
した。この地で中央軍と合戦に及び大敗した広嗣は肥前
で捕らえられ処刑されました。広嗣の乱以降大宰府の長
官は兵を率いる権限は大きく制限されたそうです。


板櫃川合戦碑は八幡橋のすぐ横にあります。



八幡橋を渡ったさきに八幡社があります。小高い丘になっているので広嗣軍は
ここに陣を構えたのかもしれません。




  

Posted by メドウおじさん at 19:56Comments(0)東谷(北九州)の紹介