東谷の宿場町

2014年04月20日

東谷の旧国道322号線沿いは秋月街道とほぼ重なって
います。東谷の集落では呼野に宿場町が、石原町には半
宿といって小倉藩の御用を承る機能が置かれていました。
石原町の半宿機能は江戸時代の大火で消失し、その後は
徳力へ移されたと聞いた事があります。残念な事に石原
町も呼野もかつてここに宿場町があったことを示す遺跡
遺構はほとんどのこっていません。唯一あるのは里程表
と言って大理宿までの距離を示した石碑が残されている

程度です。石原町と呼野の両宿の宿場機能がどこに、ど
のような形であったものかその輪郭だけでもわからない
ものか調べてみたいものです。

呼野里程標

呼野公民館前にある里程標です。

石原町里程標

石原町の里程標です

東谷の宿場町 

東谷の宿場町



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この記事へのコメント
石原町と呼野の里程標は、当時の場所から移動していないのでしょうか?
実際に歩いてみると、室町から呼野までは半日も掛かりません。室町を朝出発すると、金辺峠を越えて香春までは行けると思います。反対に金辺峠を越えて来た人は、そのまま室町まで歩いていきそうです。なので、呼野の宿場はあまり栄えていなかったのではないかと思います。
Posted by yummy at 2014年04月20日 23:56
両方の里程標とも現在地より100mほど田川よりに設置されていたようです。長崎街道の小倉~黒崎間と比べても同じくらいの距離ですから、距離というより街道の利用者自体が秋月街道(香原街道)は少なくてあまり繁栄しなかったのかもしれません。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年04月21日 06:00
石原町は宿場町だったようですが、
遺跡などが残っていないのが残念ですね。
当時の建物と街道の雰囲気が残っている場所が
少しあれば観光名所になったような気がします。
でも、その方がいいのか良くないのか
迷うことも色々ありそうですよね~
Posted by チョコミント at 2014年04月21日 06:14
残念ながら秋月街道、特に香春街道には唐津街道の青柳宿や長崎街道の木屋瀬宿のような宿場町は残ってないようです。それでも郷土の歴史を示すものとして里程表の他にも何か残っていて欲しかったです。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年04月21日 17:06
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