旧金辺トンネル横の廃鉱山
2014年02月10日
この場所は近代化遺産というより廃墟と言ったほうが
近い状態です。東谷には現在の住友・三菱の両鉱山
のほかにも小規模な石灰鉱山がいくつかあったよう
です。今はもう残っていないか、あってもここのよ
うに廃墟同然になっているものだけです。この鉱山
跡は旧金辺トンネルの呼野側手前にあります。鉱石
を掘り出した跡の削られた山肌とホッパーなどの重
機が朽ちかけて残っています。先般紹介した石原町
駅のレンガ工場もそうですが東谷の近代産業史は「
三谷、昔語りをする会」がまとめて明治期あたりま
での様子を伝えてくれていますが大正期から昭和の
戦争前後から30年代前半までの様子が良くわかり
ません。断片的な話をつないでいくと東谷地域は単
純な中山間農業地域だったわけでなく家内工業的な
産業や鉱山を中止とした産業があったようですが、
その大部分は廃業、または倒産などで残っているも
のはほとんどなく、なかなかその全容がつかめませ
ん。庭造りと並行してこのあたりも趣味として掘り
下げていきたいと思っています。
近い状態です。東谷には現在の住友・三菱の両鉱山
のほかにも小規模な石灰鉱山がいくつかあったよう
です。今はもう残っていないか、あってもここのよ
うに廃墟同然になっているものだけです。この鉱山
跡は旧金辺トンネルの呼野側手前にあります。鉱石
を掘り出した跡の削られた山肌とホッパーなどの重
機が朽ちかけて残っています。先般紹介した石原町
駅のレンガ工場もそうですが東谷の近代産業史は「
三谷、昔語りをする会」がまとめて明治期あたりま
での様子を伝えてくれていますが大正期から昭和の
戦争前後から30年代前半までの様子が良くわかり
ません。断片的な話をつないでいくと東谷地域は単
純な中山間農業地域だったわけでなく家内工業的な
産業や鉱山を中止とした産業があったようですが、
その大部分は廃業、または倒産などで残っているも
のはほとんどなく、なかなかその全容がつかめませ
ん。庭造りと並行してこのあたりも趣味として掘り
下げていきたいと思っています。
呼野側の旧金辺トンネルです。もう、廃道状態です。
廃鉱山跡はトンネルの手前右側にあります。
廃鉱山跡はトンネルの手前右側にあります。
廃工場跡です。壊れた重機が朽ちています。
鉱山跡の山肌です
Posted by メドウおじさん at 20:24│Comments(0)
│勝手に近代化遺産