東谷の山城

2016年09月26日

戦国時代の前半、東谷を含む三谷地域はこの地方の豪族
長野氏の一族が治めていました。本貫地は石田の横代で
すが三谷の山並みには砦クラスの山城が多く作られていて
今でもその遺構が残っているそうです。言い伝えや北九州
の山城を調べたHPでは椎の木城(加用から桜橋に至る紫川
東岸の山上に作られた山城)、稗畑山城(宮山と呼ばれる山
本の西大野神社の裏山)合馬の大三岳城、木下城(木下、
亀甲にあった小野田氏の山城)井手浦の剣立山、塔ヶ峰城
などがあります。どれも打ち捨てられて堀切の遺構だけが
残っています。全部は無理でもいくつかは登山道が整備さ
れて遺構が見学コースとになればありがたいです。



合馬の大三岳城のあった山です。戦国時代末期、長野氏の一族の居城でしたが豊臣秀吉の軍勢との
戦で落城しました。



徳吉東の山並です。ここには長野氏の椎山城がありました。


西大野神社裏山の稗畑山城です。西大野神社のご神体の山ですが戦国時代は長野氏の一族の山城でした。
この見事な神奈備型の山はこの辺り一帯が弥生時代の集落であったと処から古代の信仰の対象だったのでは
ないかと個人的には思っています。



右側の尖った山塊が塔が峰です。長野氏が築城中に大友氏の軍に攻められ落城しました。

 

小野田屋敷の裏山にあった木下城跡です。
  

Posted by メドウおじさん at 18:33Comments(2)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り