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秋番茶づくり
2024年11月02日
福岡県北部の北九州市もやっと、朝晩
枝ごと採取した茶葉を乾燥させます
涼しくなり秋の気配が身近に感じられる
ようになりました。体感的には季節が一
か月遅い感じがします。先日秋の薬草
茶を作りましたが本日は秋茶葉を使って
秋番茶を作りました。秋番茶は春の新茶
と違い、蒸したり、手もみしたりする工程
がありません。枝ごと茶葉を採取し、その
まま乾燥させて。使います。私の住む地
域では秋の稲刈り後、茶葉を枝ごと集め、
そのまま乾燥させて、軽く煎じて煮出した
お茶を飲んでいたことが郷土誌に記され
ています。今回は茶葉を軽く焙じてほうじ
茶風に仕上げました。春の新茶とは一味
違う風味の番茶ができました。
乾燥させた茶葉と枝を分け。小枝は小さく刻みます。
小枝と茶葉をそのまま軽く焙じます。パリパリに乾燥させた茶葉を小さく砕きます
出来上がった焙じ番茶です
秋の薬草茶づくり
2024年10月18日
春から初夏にかけて作った各種の薬草茶
ドライにしたマコモです
のストックがなくなってきたので秋の薬草
茶を10月に入って作っています。マコモ、
ドクダミ、オオバコ、棗、ヒトツバ、カキド
オシ、桑、ゲンノショウコ、シャクチリソバ、
タラ根皮、金水引などです。秋の薬草茶
は先日、痛風発作が出た時に血液検査
で尿酸値、腎臓関係数値が以前より良く
なかったので補腎・活血に良いとされる薬
草茶を作ります。来週から尿酸値をコント
ロールする薬の服用を始めますが、あまり
長く続けなくてもよいように、できれば3か
月くらいで卒業したいので薬草茶と併用し
て、三か月後に再度血液検査をして結果
を見ます。
タラの根、タラ根皮です
オオバコです
ヒトツバとカキドオシです
企救郡四国霊場(6番後に12番 安全寺)
2024年10月15日
企救郡四国霊場の6番札所の安全寺
は後に12番に変更になりました。また
その場所も当初は古船場町にありまし
たが、後に小文字山の麓に移転しまし
た。小文字山から足立山山麓にかけ
ては広寿山福臭修二康幸寿さん福
シュウ寺を中心に多くの寺院が集まっ
ていますが、その多くは明治期以降
小倉北区の旧城下町から移転してき
たところが多く、安全寺もその一つで
す。現在の住所地は小倉北区山門町
9番にあたります。安全寺は戦国時代
後半、当時の小倉城主だった高橋鎮種
の菩提寺として小倉場内に建立され、
関が原後小倉城主に入った細川氏の
時代に古船場町に移転しさらに現在地
の山門町に移転しました。企救郡四国
霊場としては当初は6番札所でしたが
後に12番に変更になったようです。時
期については不明です。さらに企救郡
四国を引き継いだ二市一郡の札所には
加わってないようです。企救郡四国霊場
のスタート時の札所一覧が三波家文書
に残っています。
現在の法輪山安全寺です。
現在地の住所です
江戸時代の古地図です
企救郡四国霊場(6番後に12番 安全寺)
2024年10月15日
は後に12番に変更になりました。また
その場所も当初は古船場町にありまし
たが、後に小文字山の麓に移転しまし
た。小文字山から足立山山麓にかけ
ては広寿山福臭修二康幸寿さん福
シュウ寺を中心に多くの寺院が集まっ
ていますが、その多くは明治期以降
小倉北区の旧城下町から移転してき
たところが多く、安全寺もその一つで
す。現在の住所地は小倉北区山門町
9番にあたります。安全寺は戦国時代
後半、当時の小倉城主だった高橋鎮種
の菩提寺として小倉場内に建立され、
関が原後小倉城主に入った細川氏の
時代に古船場町に移転しさらに現在地
の山門町に移転しました。企救郡四国
霊場としては当初は6番札所でしたが
後に12番に変更になったようです。時
期については不明です。さらに企救郡
四国を引き継いだ二市一郡の札所には
加わってないようです。企救郡四国霊場
のスタート時の札所一覧が三波家文書
に残っています。
現在の法輪山安全寺です。
現在地の住所です
企救郡四国霊場(5番後に6番、東光山金剛密寺遍照院)
2024年10月10日
二市一郡新四国霊場前身の企救郡四国
現在の遍照院です。上到津に移転しました。
霊場の5番、6番は途中で番号が変わっ
ており、後に曽根方面の霊場に代わって
ます。これは私の想像ですが明治26年
に発足した企救郡四国霊場ですが後に
明治33,34年の小倉市・門司市発足時
に二市一郡新四国霊場と名称が変わっ
たのですが、その頃に発足時当初の札
所がいくつか新四国霊場から離脱したと
ころがあり札番号が二市一郡新四国霊
場に引き継がれた番号とそのまま欠番
になった番号があるようです。当初の4番、
5番、6番は曽根方面のお堂に振り返られ
ています。(ちなみに1番、2番、は欠番に
なっています)当初の5番遍照院は以前は
堺町筋の長崎町にありました。(現在のモ
ノレール平和通駅前の親和銀行の場所に
あり、後に現在地の上到津に移りました。
現在の遍照院には白いプレートなど二市
一郡新四国霊場を示すものはありません
が、平成25年の最後の千人参りリストに
は遍照院の名前が見えます)千人参りで
はお遍路霊場を離脱した後でもお参りさ
れていたようです。
移転前の遍照院があった場所です。北九州モノレール平和通駅西側にある親和銀行の場所にありました。
現在の遍照院の場所には吉祥寺と言う寺院があり小笠原氏ゆかりの寺院でした
タラ根皮
2024年10月04日
春先のタラの新芽は春の木の芽山菜の
王様と呼ばれるほどおいしい山菜です。
てんぷらにするとほくほくした触感の奥
にかすかに感じる苦みに食欲が進みま
す。私は山に採取に出かけなくて済む
ように敷地の隅に植えて毎年春の味覚
を楽しんでいます。タラの木は山菜とし
て利用できるだけでなく、優れた薬用植
物で、中国では漢方の生薬として根皮
(コンピ)と呼ばれます。日本でも古くか
ら民間伝承役として、血糖値改善、胃腸
薬等々で使われてきました。根を薄く削
って煎じて飲みます。胃腸の薬草として
もっぱらゲンノショウコを利用してきまし
たが、血糖値改善にも良いので、タラ根
皮をしばらく飲んで試してみたいと思い
ます。感想はまた後程報告します。
タラの根部です。水洗いして表面の薄側を剝いでいますが、本来は残したほうが良いと思うので
次は水洗いした状態で作ります
薄切りにして乾燥させます。
電動ミルで細かく砕いて出来上がりです。お茶にして飲みます。
企救郡四国八十八か所4番札所 東禅寺(現在は廃寺)
2024年09月19日
企救郡八十八か所東禅寺は北区の
現在跡地は駐車場になっています
鍛冶町の一角にありました。(森鴎外
鍛冶町旧邸野となり)で現在は駐車場
になっています。鴎外が小倉在住時代
に書いた「或る,小倉日記伝」に鴎外
旧居の隣にあったことが書かれていま
す。小さいお寺だったようで現在は廃寺
になっています。ちなみに若宮市に東禅
寺と言う同名の寺院がありますが別の
寺院です。三波家文書によると4番札所
となっています。ちなみに現在の二市一
郡新四国霊場では4番札所は欠番で奥
の院が上貫の大日堂に付けられていま
す。ここのように企救郡四国の札所で廃
寺もしくは離脱した札所で二市一郡に引
き継がず欠番になっているところがところ
どころあります。
鍛冶町の鴎外旧居後に東禅寺はありました。
マコモ茶づくり
2024年09月11日
イネ科の抽水植物であるマコモは全国
電動ミルで細かく挽きます
に広く分布し川のよどみやための岸近
くに生育します。古事記や日本書紀にも
登場し「神宿る神草」とも呼ばれ多くの
神事に使われたり、また民間薬の薬草
として使われてきました。
薬効としては肺、心、肝、脾、腎の各臓
薬効としては肺、心、肝、脾、腎の各臓
器に効くと云われています。用法として
はお茶にしたり煎じて飲むことが多いで
す。具体的には血圧や血糖値の改善、
冷え性、デトックス、免疫強化、ウィルス
予防などです。風味はお茶の場合ほぼ
無味・無臭でほのかにオモユの香りがし
ますがとても飲みやすい薬草茶です。
最近根元の肥大したマコモタケを食べ
るヒロハマコモが栽培されますが国内
の野生のマコモはマコモタケはできない
のでもっぱら民間薬として利用します。
のみやすいマコモ茶の出来上がりです
企救郡四国2番札所 東岸寺
2024年09月04日
企救郡四国2番札所の東岸寺です
が、現在は片野町一丁目14-11に
ありますが、元は1番札所地蔵院の
隣(寺町、現在の米町の野村證券)
にありました。昨年お寺をお参りさせ
ていただいたときにご住職から寺町
と言うのは以前(幕政時代から明治
期にかけて寺院が多く集まっていた
ことから通称、寺町と呼ばれていた
ようです。小倉駅前付近の古地図を
見ると地蔵院とともに東岸寺の名前
が見えます。一番地蔵院、二番東岸寺
がいつの時点で企救郡四国を引き継
いだ二市一郡新四国霊場から離脱した
のかは不明(ご住職は企救郡四国の霊
場だったことはご存じありませんでした)
ですが、その後の二市一郡の霊場では
1番、2番の札所は欠番となっており、
他の新しい札所などには引き継がれま
せんでした。その為二市一郡の1番、
二番札所の存在は調査開始当初から
不明でしたが、最近ようやくその謎が
判明しました。
企救郡四国八十八か所霊場1番札所 地蔵院
2024年08月27日
二市一郡新四国霊場は明治26年に旧
企救郡一帯(言小倉北区・南区・門司区)
の四国お遍路霊場の写し霊場として発
足しました。発足当時は二市一郡の名前
でなく企救郡四国八十八か所霊場と呼ば
れていました。その後、明治33年、34
年ごろ旧小倉城下町が小倉市に、また門
司港周辺が門司市となったため、二市一
郡(小倉市・門司市・企救郡)新四国霊場
となりました。発足時の八十八か所の札
所は150年の時間の経過の中でお遍路
霊場からの離脱や、廃所、逆に前札や奥
の院などの新たな参加もあり、現状では
発足時と大きく変わっています。現在廃所
や欠番になっているところはもともとの企
救郡八十八か所の札所が多いようです。
また、企救郡四国から離脱し、二市一郡
新四国へ加わらなかった霊場の多くの札
番号は、新しい二市一郡へ引き継がれた
ところは少数で、どちらかと言うとそのま
ま二市一郡でも欠番になっているところが
多いです。二市一郡新四国霊場の現状
調査がほぼ終了したので、今後は旧企救
郡四国の霊場の現状を調査を進めます。
今回は企救郡1番札所だった地蔵院です。
今回は企救郡1番札所だった地蔵院です。
地蔵院は旧寺町(現米町のセントシティ隣
の野村證券)幕政時代から明治期にかけ
て米町一帯は寺院が多く、寺町と呼ばれ
ていました。ちなみに2番札所の東岸寺は
地蔵院の隣にありました)
現在地蔵院は米町にはなく、すでに廃寺
現在地蔵院は米町にはなく、すでに廃寺
になっています。小倉南区の北方に地蔵院
と言うお寺があり、米町から移転したのかと
思っていましたが、お寺の関係者の方の話
だと、米町にあった地蔵院とは別の寺院でし
た。米町にあった一番札所の地蔵院のこと
は、記録はほとんどありませんが、企救郡誌
にわずかにその記載が残っています。企救
郡新四国との関係では写し霊場を発足する
ときに関係者が地蔵院に集まり話し合った
ことが三波家文書に書かれています。ちなみ
に1番札所は二市一郡新四国霊場に引き
継がれず欠番になっています。10年ほど前
から二市一郡新四国霊場のことを調べ始め
た当初、1番2番の札所が不明でいくら探し
てもわからなかったのですが、今年の初めに
企救郡四国の全容が判明し前述のことも判
明した次第です。
現在の米町の野村証券の場所に地蔵院はありました
昔の小倉駅前の地図です。
山下智道氏の新刊、「旅で出会った世界のスパイス・ハーブ図鑑」
2024年08月25日
野草研究家の山下氏の新刊が先月
発売されました。氏が東南アジア・東
アジアの山菜・薬草マーケットを突撃
取材し、生の現地情報を持ち帰り発
刊した渾身の一冊です。内容は一部
は最近は見かける東南アジアの主に
食用ハーブもありますが、大部分は初
見のハーブばかりで読み応えのある
一冊です。
実は先日、私の友人が勤務する病院
実は先日、私の友人が勤務する病院
で働く、ミャンマーからの看護実習生の
方に小倉織で作る携帯ストラップを一
緒に作る機会がありました。先日まで
開催されていたオリンピックにちなみ
彼女たちの母国の国旗をイメージした
ストラップを織ってもらいました。織り終
わった後の懇談時に山下氏の著作を見
てもらったところ、多くの植物が彼女たち
の身近な野菜として日常の食生活に取り
入れられていることがわかり、彼女たちも
とてもうれしそうでした。
彼女たちの話だと、大都市ヤンゴンでも
専門のマーケットが多々あるそうで日常
生活になじんだものばかりだそうです。
日本でも昔は街の八百屋さんで山菜
など入手できたのでしょうが、今では道
の駅など、ごく限られた場所でないと出
会えないのは残念至極です。
小倉織の真田紐、携帯ストラップ作りワークショップ
2024年08月22日
私の住む東谷ではかつて明治期
から昭和時代前半にかけて農家
さんの冬仕事として綿織物を自家
製参していました。そうした織物の
はぎれ見本の一部が東谷郷土資
料館に残っており北九州市のいの
ちのたび博物館の学芸員の方の
研究でこれが幻の織物と言われた
小倉織であることが判明しました。
東谷ではかつて身近な生活の中で
使用した小倉織を再び復活させる
活動の一部として小倉織入門用の
ワークショップを開催します。コース
内容は手織りの簡易織り機(ミニ小倉
(Back Strap Weaving)で真田紐
の携帯ストラップ織ってもらいます。
日時等の詳細は別途このブログでご
案内しますがご関心のある方はこの
ブログの「オーナーへメッセージを送
る」のボタンから問い合わせいただけ
れば個別にご連絡いたします。
オリンピックに刺激を受けて、各国の国旗をイメージした真田紐の携帯ストラップです
イヌビワジャムづくり
2024年08月20日
犬ビワはビワと名前がついていますが、
ビワの仲間ではなくイチジクの禁煙です。
なので私の所では子供のころからヤマ
イチジクと呼んでいました。完熟した果
実は真っ黒で艶がある。イチジクを小型
にした姿をしています。味は果実のイチ
ジクに比べるとマイルドな甘さですが子
供の頃のおやつの一つでした。ちょうど
今時分が旬で真っ黒に完熟した実が
たわわになっています。ちょうどお盆の
お供養のリンゴやキウイ、グレープフ
ルーツがあったので一緒にしたMIX
ジャムを作りました。グレープフルーツ
の酸味できれいな赤紫色が発色し、
おいしく仕上がりました。
近所のイヌビワの木です
他の果実と一緒にジャムにしました
鹿肉のスモークロースト
2024年08月14日
私の住む東谷では獣害がひどく、農家さん
や家庭菜園の野菜が軒並み被害にあいひ
どいことになっています。つい先日も庭に子
ザルとウリ坊が出没し、びっくりしました。
連日どこかで威嚇の火薬の爆発音が聞こえ
ています。そんなわけで近隣の自治体では
ジビエ肉の加工所を運営するところがいく
つかあり、北九州市でも何か所かジビエ肉
を扱う。農産物直売所があります。私は以
前は猟師さんから直接求めていましたが、
高齢化で引退されたので、もっぱら直売
所を利用しています。今回はよく作るスモ
ークローストを自家製のスモーカーで作り
ました。
熱中症対策の薬草茶
2024年08月04日
先週の日曜日に町内の共同作業の
草刈りに出たのですが、途中軽い熱
中症になり、足がつって苦しみました。
熱中症の足のつりには漢方薬のトウ
キシャクヤクカンゾウ湯が特効薬的に
良く効くのですが買い置きを切らし
ていたので手元の野草で代行してみ
ました。トウキシャクヤクカンゾウトウ
ですが生薬のトウキが最初にきてい
るので主成分はトウキだと思い、トウ
キなら少し栽培しているので、これに
ドクダミ、カキドオシを加えて漢方薬
の代用を作りました。いつもは軽く熱
湯を注いでお茶にする程度ですが、
今回は水から煮だして煎じました。
完成したものに先日自作した天然
海水塩を一つまみ加えて飲んだとこ
ろ、特効的に効いて痛みも治まりま
した。代用としては十分役に立ちま
した。
煎じるときは水から煮だします
冬季の香りの強い当帰茶ができました
伊崎堰築堤100周年記念現地説明会
2024年08月02日
紫川の100mほど上流に架かる伊崎堰
ですが昨日の8月1日をもって築堤100年
となりました。それを記念して地元の歴史
愛好会、「ふるかわ,さんさん会」さんが今
も残る当時の築庭記念碑の前で現地説明
会を行いました。大正13年に完成した伊
崎堰の設立前からの関係地区の協議の当
時の資料や地元の日本画家の藤井玉蘭氏
の描いた伊崎堰の風景画の写真などを添
えた詳細な調査資料とともに、さんさん会
の鶴久氏が説明してくれました。
伊崎堰ができる前は小規模な上堰、下堰
伊崎堰ができる前は小規模な上堰、下堰
の二つの堰がありましたが、これを統合し
桜橋下流一帯(徳力、南方)の灌漑に貢献
しました。また、現在の伊崎堰は高さが
3mを超える立派な堰です。これは昭和28
年に北九州を襲った豪雨で桜橋東岸の嵐
山が大きな土砂崩れを起こし、以前の井堰
が崩壊したので新たに作られたものです。
またその後、用水の水を公平に分配する
ための円形分水工など、福岡県では数少
ない農業施設も作られ現在も現役の農業
施設として稼働していますが、もはや、農
業遺産クラスの貴重な建造物です。
現地説明会は昨日の他に明日8月3日(土)
現地説明会は昨日の他に明日8月3日(土)
9時から再度、桜橋の旧川魚料亭幸楽跡に
建つ老人介護施設隣の井堰記念碑の前
で行われます。参加費は無料、事前申し
込みも不要で現地集合です。ご興味のあ
る方はぜひご参加ください。(近辺に駐車施設
はありませんので公共機関(バス、モノレール)の利用でお越
しください。
門司新四国霊場( 87番札所 黒甲大師堂)
2024年07月29日
門司区の伊川地区から山越えで大里
方面へ進み北九州都市高速が走って
いるあたりが奥田地区でこの周辺には
お堂がいくつかあります。ただ、この近
辺のお堂は私が調べている旧企救郡
の二市一郡新四国霊場とは別系統の
門司新四国霊場のお堂があります。
門司新四国霊場は二市一郡の霊場を
調べる中で何ケ所か見つけたのですが、
まとまった資料が見当たらず謎が多い
新四国霊場です。何か情報をお持ちの
方は教えていただけるとありがたいです。
二市一郡の方ですが、おかげさまでもう
少しで全容がはっきりします。10年近く
調べてきてもう一息の所まで来ました。
黒甲大師堂は奥田1丁目11番のこの場所から谷川沿いに10分ちょっと遡った場所にあります、
黒甲大師堂の本堂です
お堂の中に87番札所の看板が見えました。
旧門司市の二市一郡新四国霊場(65番奥の院 伊川観音堂)
2024年07月24日
伊川1238番地の伊川観音堂は古い集落
の真ん中あたりにあります。他のお堂と比
べても規模も大きく敷地も広くお堂の前に
は広場もあります。すぐ近くには古い土壁
の土塀も残っており趣いっぱいです。
旧門司市の二市一郡新四国霊場(第38番前札平山釈迦堂)
2024年07月23日
38番前札の平山釈迦堂は38番札所の
平山観音堂の手前、およそ1㎞強の道す
がらにあります。隣には貴船神社もあり付
近の伊川集落の方々の信仰の中心地で
す。奥の平山観音手前にありまさに前札に
ぴったりです。