志井茶屋集落の禁足地

2020年06月24日

志井の茶屋集落は母原の隣で小高い
尾根を挟んだ北側にあたります。母原
は旧東谷村で茶屋のある志井は旧企
救町になり古くから別の行政区でした。
そんな茶屋の少し奥まった水田の中
に小さな(直径10m)ほどの円形に盛
り土された場所があります。笹竹に覆
われて人の手が入った様子がないち
ょっと異質な場所です。三谷昔語りに
よると、この場所は古くから禁足地に
なっていたようです。禁足地とは昔か
ら何らかの謂れがありむやみに足を
踏み入れてはいけない場所です。
その多くは古墳や墓地、もしくは伝承
のある聖地だったりします。その正体
は昔語りには書かれてないのですが
私はその形状から古くからの謂れの
ある墓地もしくは古墳だったのではな
いかと思っています。先日自転車を新
しくしたこともあり久しぶりに現地に行
ってみたところ、なんとその禁足地を覆
っていた笹竹はすべて刈り取られ盛り
土も重機が入って半分削られていまし
た。気になったのは半分工事をしてそ
のまま放置されていることです。何も
なかったのならいいのですが少し心配
しています。




茶屋の禁足地の竹藪です。2012年12月の撮影です



2020年6月の様子です。写真は正面ですが反対の裏側は半分重機で削られています。


  

Posted by メドウおじさん at 20:20Comments(0)東谷(北九州)の紹介

花カフェkokia

2020年06月22日

小倉南区の中谷地区の322号線沿いの
徳吉のダイソーやGEOなどの店舗が集
まっている場所の一角に花カフェKokia
があります。2年前にオープンしたドライ
フラワーの雑貨店+カフェのお店です。
メニューも豊富でオープンテラスもある南
国テイストでおしゃれなお店です。うどん
屋さんが目立つ322号線では珍しいおし
ゃれなお店です。なかなか新規のお店が
定着しない中、もう開店して2年になるの
で定着していると思いますが最近のコロナ
騒動で厳しい面もあるかと思いますが頑張
って欲しいと思います。


花カフェkokiaのオープンテラスです。



kokiaのメニュー表です。南国テイストの品が多いです。


お店の中の様子ですが外から撮ったので反射して良く撮れませんでしたが
店内はカフェと大量のドライフラワーがディスプレイされています。


  

Posted by メドウおじさん at 18:40Comments(0)東谷(北九州)の紹介

皿倉山の山桜と祇園町の桜並木

2020年04月12日

もう、ピークは過ぎてほとんど散ってしまった
山桜ですが八幡東区の皿倉山の頂上付近
に多くの山桜があることは不覚にも今まで
知りませんでした。ケーブルカーの終着駅
付近から山頂にかけてかなりの数の山桜
があります。吉野の山桜とはいきませんが
それでもかなり見ごたえがあります。来年は
ぜひまじかで見たいと思います。また皿倉
山の麓からJR八幡駅近くの坂道にはソメ
イヨシノの見事な並木があります。一年の
うちのほんの10日ほどの見ごろでしょうが
見事な景観を作っています。きっと地元の
方にも愛されているのだと思います。ここも
もう、終わりごろでピークの時を見れなかっ
たのは残念でした。


頂上付近でピンクに見える部分が山桜です



祇園町の桜並木です


  

Posted by メドウおじさん at 18:45Comments(0)東谷(北九州)の紹介

東谷要覧解説10(主編(七)教育、前半)

2020年03月11日

東谷要覧主編の(七)は教育の項で当時の東谷
村の教育の事が詳しく書かれています。その前
半は教育村是とその目的設立の経緯や内容が
詳しくなされています。後半は社会教育ですが
これは次回に書きます。
学校は第一尋常小学校(現、新道寺小学校)と
第二尋常小学校(現、市丸小学校)が設立され
ました。なお明治のはじめにはいち早く、当時
の三谷の中心地の加用に高等小学校(今の
中学校)が開かれました。加用の高等草学校
はその後、第一尋常小学校に併設された高等
小学校にその任を引き継ぎました。加用の高等
小学校については本ブログの2014年6月17日
に詳しく書きました。さらに学校教育としては農
業を中心とした実業の補習学校を第一、第二
尋常学校に併設し村として積極的に進学を推奨
していたようです。また村立の図書館も持ってい
ました。補習学校については詳細はわかりませ
んが農業技術の普及を目指していたものと思
われます。当時の独立した行政機関の村立の
学校教育としては格調の高いものだったことが
伺われます。次回は学校教育以外の社会教
育について触れます。


















サムネイルをクリックしていただくと拡大できます


  

Posted by メドウおじさん at 22:32Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

牧山の御馬橋

2020年03月01日

北九州市戸畑区の戸畑警察署の横を流れる
天籟寺川に架かる橋の欄干に馬のブロンズ像
が置かれており以前から気になっていました。
橋のたもとに説明書きによると、この橋から南
側の丘陵地一帯は牧山とよばれ、古くから馬の
産地だったそうです。鎌倉時代初期には源頼
朝の愛馬もここの産だったそうです。その後も
江戸時代まで牧場として歴史を刻んでいきま
す。ところでここからは私、個人の考察ですが
牧山の牧場としての歴史はもっと古くさかのぼ
るのではないかと思っています。牧山のように
丘陵地が海岸に迫っている場所で宗像から
津屋崎にかけても同じような地形があり、そこ
では弥生時代後期から古墳時代にかけて軍馬
が生産されていました。当時響灘から玄界灘
沿いの古代豪族の領地で軍馬の生産拠点が
点在していたのではないかと思っています。



御馬橋のブロンズ像です。



古い橋柱と由来書きです



南側の丘陵地です。この辺りが牧場だったと思われます



  

Posted by メドウおじさん at 08:59Comments(0)東谷(北九州)の紹介古代史

東谷要覧解説9(主編(五)から(六)

2020年02月13日

主編の2回目です。今回は(五)から(六)で人情・
風俗、戸数・人口で(五)の人情風俗に次のような
記述があります。
旧藩時代より金・銅の採掘業があり明治になり銅
山業の復活や石灰岩採掘で労働者の移入もあり 
「これらの影響のため他の山間地に比して
文化程度の進みたるに比例して比較的農村として
の純朴さを欠ける嫌なきにあらず。されど村全体を
通ずるときは農村としての特質を失わず」

と書かれています。中々言い得て妙で今に通ずる
東谷人の気質を表しているようです。戸数・人口は
大正12年末の調べで戸数753、人口男女合わせ
て4183人となっています。ほぼ100年後の現在
人口は当時とほとんど変わらない状況でほぼ足踏
み状態です。近隣の旧企救町や曾根村が大きく発
展しているのに比べると後れを取っているのは否
めません。逆に言えば古きよきものも多く残ってい
るという事でこれからはこれをうまく生かすことが
大事な気がします。





上のサムネイルをクリックしていただくと拡大版がご覧いただけます
 
  

Posted by メドウおじさん at 20:41Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧解説8(主編(一)から(四))

2020年01月30日

さあ、いよいよ主編に入ります。主編は(一)から
(十四)まで書かれています。
(一)位置、広さ (五)人情・風俗  (九)衛生 (十三)団体整理
(二)地勢     (六)戸数人口   (十)産業 (十四)経済
(三)地味     (七)教育      (十一)土木
(四)交通     (八)本村の学校  (十二)納税

今回は(一)から(四)までです。要約すると南は金辺
峠、東は平尾台  西は福智山山系に囲まれ中央を
紫川支流の東谷川が流れる中山間地で決して広く
はありませんが稲作を中心とする農業に適した
地域です。交通は南北には東谷川に沿うように
古くは香春街道(秋月街道)が大正年間には小倉
鉄道が開通していました。東西は古くから東は平
尾台を越えて苅田行橋へ抜け、西は中谷との境の
櫨が峠を越えてさらに合馬、田代・畑と旧筑前国
へ抜けていました。

サムネイルをクリックすると拡大できます。  

Posted by メドウおじさん at 19:19Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

紫川流域の製茶事情

2020年01月28日

紫川流域に当たる東谷を含む三谷地域では自家
用のお茶を各家庭で作り飲んでいたことは以前書
きましたがもう少し詳しい事情を知りたいと思い調
べていくと旧東谷村時代(明治から太平洋戦争の
前後まで)園芸作物として柿、ミカン、ビワの作付け
を奨励していましたが本格的なお茶の生産につい
ては記載がありません。そこでもう少し範囲を広げ
て、旧企救町(紫川中流域で桜橋以北、城野あたり
まで)で郷土史を研究されている松本洋一氏の力
作の「新企救風土記(旧企救町管内の歴史物語)の
増補改訂版」の増補部分の7pに写真付きで守恒団
地が出来る前(昭和の30年代ごろまで)は守恒団地
周辺の丘陵地ではお茶畑が広がっていました。著者
の了解を得ていないので写真をのせるわけにはい
かないのですが新企救風土記の表紙写真を載せて
おきます。一度現地を詳しく調べてみたいと思います
。どこかに今でもお茶畑の痕跡があるかもしれません。



  

Posted by メドウおじさん at 20:58Comments(0)東谷(北九州)の紹介

東谷要覧解説7(東谷村沿革3)

2020年01月13日

明治三年の廃藩置県を受け企救郡は日田県に
属し豊津藩(旧小倉藩)の配下に入るとあります。
話は変わりますが前年に発生した企救一揆の義
民、原口九右衛門さんの裁判が日田で行われ処
刑されたのは当時の企救郡が日田県の配下にあ
ったためと思われます。この項には当時の各村の
村長の氏名が記されています。
明治4年豊津藩は豊津県に改称、さらに近隣の諸
県と合併し小倉県となりました。明治5年3月に庄屋
・名主排し「扱所」を置く。明治7年土地法を改正し旧
地券台帳を廃し土地台帳を作る。明治8年7月小森
手永を18大区の7小区とし、正戸長2名と副戸長2名
を置く。明治10年、戸長を一名とし、副戸長を書記と
する。明治22年市町村制発布、旧行政区画九村
(呼野、小森、市丸、木下、井手浦、新道寺、石原町、
母原、矢山(平尾台))をもって東谷村としてスタート
する。明治32年矢山を京都郡諌山村に移管する。
明治37年、38年の頃より呼野銅山を再開する。
明治41年村是をたてさらなる発展を期する。




サムネイルをクリックすると拡大版が見れます。

解説の冒頭で「明治3年の廃藩置県を受けて・・・」と書きましたが廃藩置県は明治4年なので
何かの間違いかとも思いましたが、今回はあえて原文のままに解説を書きました。日田は江戸幕府の
天領でしたが倒幕直後の慶応4年には廃藩置県令に先駆けて日田県を設置していますので、その意味で
廃藩置県としたのかもしれませんが詳細は不明です。
  

Posted by メドウおじさん at 16:49Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧解説6(東谷沿革2)

2020年01月07日

小笠原藩政の時代になると藩内の農村部は手永制
という農村行政組織が整備され大庄屋が統括しまし
た。東谷地区は小森手永になります。その範囲は東
谷に加え中谷、西谷の一部を含みます。この手永制
は明治になるまで続き小笠原藩政の農村統治の要
になりました。以下は東谷要覧には書かれていませ
んが幕末から明治の初年にかけての東谷の沿革で
す。小倉藩(小笠原藩)は幕末の対長洲戦の小倉口
の戦の主力として九州の大名連合の中心として戦い
敗れ、小倉城を自焼して幼い城主以下、田川郡香春
方面へ落ち、小宮民部や島村志津摩など残った小倉
藩幹部が曽根方面から平尾台にかけて最終防衛線
を敷きこれを背水の陣として山縣狂介率いる長州軍
にゲリラ戦を仕掛け勇猛に戦いました。そしてついに
降伏ではなく藩存続の講和を勝ち取りました。
東谷、中谷、西谷はその場所から戦場となり多くの
農民が苦しむ所となりました。また戦後は企救郡は
長州藩の管轄となり農村の行政は大混乱をきたし
ました。このとき発生したのが原口九衛門さんの
企救一揆です。以上が幕末から明治初年にかけて
の東谷沿革の補填です。
話がだいぶそれたのでそろそろ元に戻します。



次回は版籍奉還から廃藩置県、市町村令発布までの東谷の変遷を紹介します。
  

Posted by メドウおじさん at 21:26Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧解説4(目次)

2019年12月29日

東谷要覧の構成は前編、主編、後編になっています。
それぞれの解説は詳細解説の3で書きましたので今
回は写真だけご覧ください。最近話題が少ないので
しばらくは、東谷要覧の紹介が続きます。






以下サムネイルです。拡大できます。







  

Posted by メドウおじさん at 18:16Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧詳細解説3(緒言)

2019年12月26日

村是の次は本編に入る前に当時の村長さんの緒言
が掲げられています。前編は上古の時代から始まる
東谷の歴史語られ、主編は村誌として村自治の計画
案が書かれています。後編は郷土の歴史、地理が書
かれています。要覧は村役場や学校図書として広く
村民に閲覧されることを希望しています。
この要覧は大正13年に書かれたものですが、主編
の村自治計画案は大正3年の計画案を基に記され
たものです。


当時の村長による緒言(巻頭言)です



サムネイルです。拡大版がご覧いただけます。

  

Posted by メドウおじさん at 19:49Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧詳細解説2(村是・政策)

2019年12月25日

村是の三番目はその政策について記されています。
村が行う八つの政策が具体的に記されています。
ここで特筆されるべきは「教育」がその筆頭に書か
れていることです。当時決して裕福であったとは
思えない時代でその筆頭政策が教育であったこと
はその視点が将来を見越していることがわかりま
す。その内容も初等教育の充実を掲げ、何をやる
べきかを具体的に掲げています。勧業(産業政策
)の項目では農業の米作と果樹栽培を挙げ、米作
では取り組む具体的項目、果樹栽培では推奨す
る果樹(柿、ビワ、柑橘)を指示しています。現在
もこの三種類の果樹は東谷でよく見かけます。
ちなみに私の庭にも先代の所有者からの古い株
が残っています。このような村是の政策を読むと
身びいきを差し引いても当時の行政官の優秀さ
が読み取れます。 









サムネイルをクリックすると拡大版になります。

  

Posted by メドウおじさん at 10:07Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧詳細解説1(詔書・勅語)

2019年12月23日

先日、自炊(PDF化)が完成した東谷要覧を少し
ずつ解説したいと思います。まず表紙の次に三つ
の詔勅が掲載されています。詔勅とは天皇陛下
のお言葉で「戌申詔書」「教育勅語」「民心作興
詔書」です。戌申詔書(ボンシン詔書)は日露戦
争後、戦争に勝利したものの戦争中の戦役や
増税などで疲弊した国民(当時は臣民)の心を
鼓舞し、質素倹約に努め一等国に列するための
道徳基準を示したものです。この詔書がきっかけ
となり、地方改良運動(今でいう地域おこし)が進
展していきました。当時の東谷村もこの精神に
のっとり自主で村の発展を期そうとしたものと思
います。教育勅語は言わずと知れた大日本帝国
憲法下の国家の教育方針です。今もその内容に
は賛否両論が絶えないですが、当時の東谷村で
はその精神にのっとり二つの小学校を建設し、隣
村と協力して高等小学校を作り教育に力を入れ
ました。このことは要覧の中で後に詳しく述べら
れています。民心作興詔書(ミンシンサコウ詔書)
は正確には国民精神作興詔書と言い第一次世界
大戦の世相を憂慮する政府やや関東大震災で不
安におののく民心を鎮め、先帝(明治天皇)の精神
に立ち返ることを大正天皇名で詔書を発したもの
です。教育勅語と国民精神作興詔書は昭和23年
の国会で無効決議がなされました。
上記の三つの詔書は当時の国家の大方針で東谷
村運営の方針として掲げられました。





表紙裏ページに三つの村是が書かれています。





三つの詔書と直後です。もう一つの村是の政策は次回に書きます。






サムネイルをクリックすると拡大版が見られます
  

Posted by メドウおじさん at 20:48Comments(2)東谷(北九州)の紹介東谷要覧

東谷要覧、自炊(PDF化)完成

2019年12月14日

先日記事にした東谷要覧ですが、やっとPDF化が完成
しました。ソフトの使い方がよくわからなかったので試行
錯誤しました。スキャナは手持ちのプリンターにスキャナ
機能があるのでそれを使いました。
東谷要覧は大正年間の編纂なので文語体なので難解
な部分もありますがその文調は格調高く郷土の一級資
料として貴重です。内容はおいおい少しずつご紹介した
いと思いますが今回は全体像を掴むために目次を掲載
します。








  

Posted by メドウおじさん at 22:35Comments(0)東谷(北九州)の紹介

東谷村村誌要覧

2019年12月07日

先日東谷地域に柿やビワ、柑橘の果樹が多く残って
いるのは明治、大正、昭和の前半(太平洋戦争が終
わるまで)まで東谷が独立した自治体として存在し果
樹栽培が村の方針として奨励されていたからです。
なぜそう言えるのかというと大正年間に東谷の教育、
産業政策など地勢をまとめた村誌要覧が発行されて
いたからです。その貴重な写本が市民センターに保
管されていて一度閲覧したのですが貴重な資料のた
め貸し出しが出来ずにその後閲覧する機会がありま
せんでした。ところが先日亡くなった父親の資料を整
理していたらなんと東谷要覧の写本が出てきました。
これで少なくとも私の所とセンターの2か所に存在する
ことになるのでこの貴重な資料が消失することはあり
ませんが、こうして新たに見つかったのも何かの縁で
すのでこれを機にPDF化して保存することにします。
また内容も少しずつ紹介したいと思います。


  

Posted by メドウおじさん at 22:06Comments(0)東谷(北九州)の紹介

ロフトからお宝発見

2019年11月01日

先日ロフトからちょっとしたお宝が出てきました。お宝
と言っても私以外の人たちにとってはほとんど興味の
ないものかもしれません。それは三谷昔語りの会報と
同人の方が東谷公民館で行われた歴史講座の原稿
などなどです。会報は当時2ヶ月に一回発行されてい
ました。その内容の大部分は6巻の合本に収録され
図書館などでも閲覧できますが会報は会が解散して
からは散逸してほとんど残っていません。会報には
合本に収録されなかったものもあり、貴重なものです。
私も以前から探していましたが、父親の所蔵物からそ
の一部が出てきました。まだ詳細は精査していません
が近いうちに整理したいと思います。



上の5冊が三谷昔語りの会報誌です。
下の資料は同人の方が執筆した公民館講座の資料や原稿です。


  

Posted by メドウおじさん at 22:03Comments(0)東谷(北九州)の紹介

東大野神社秋季例大祭準備(注連打ち)

2019年10月27日

今日10月27日は、11月3日の東大野神社秋季
例大祭の準備の注連打ちを行いました。私の町
内は神社正面の一の鳥居に架ける注連縄を作り
奉納する名誉を頂いています。朝は8時から町内
総出で作り、午後3時半過ぎに今年も無事架ける
ことが出来ました。朝から晴天で八幡様のご加護
も頂きました。これで町内の準備は完了です。
昨年は石原町町内が10年に一度の当前だったの
で大変でした。今年はお隣の町内が今から追い込
みの準備で大変だと思いますが頑張ってほしいです。


今年も無事一の鳥居に架けることが出来ました。
  

Posted by メドウおじさん at 18:34Comments(0)東谷(北九州)の紹介

ウェールズ、祝ベスト8進出

2019年10月13日

にわかラグビーファンのメドウおじさんです。北九州市
ワールドカップの合宿を行っているウェールズがベスト
8に進出しました。小倉駅周辺や商店街ではウェール
ズの赤い旗一色で歓迎ムード満点です。
とはいえほとんどのファンは私と同じようなにわか
ファンが多いようです。試合のある博多では初戦から
パブリックビューイングが行われましたが北九州は合
宿を行っているミクニスタジアムがパブリックビューイン
グの設備がないこともありウェールズの最終戦になっ
て急遽紫川沿いの水環境館(北九市の公共施設で
紫川に生息する淡水生物の水族館)の大型モニタ
ーを使ってパブリックビューイングが行われ盛り上
がりました。NHKの夕方のローカル情報番組でも
特集が組まれ徐々に盛り上がってきています。
ウェールズはイングランド、スコットランドとともに
出場しているティア1メンバーでなかなかの強国で
す。今回強国オーストラリアに一矢報いたことで大
いに士気が上がっています。決勝トーナメントでも
活躍を祈っています。また本日夜はわれらのブレ
イブ・ブロッサムJAPANがスッコットランドと運命
の因縁の試合があります。今夜はテレビから目が
離せません。ガンバレNIPPON。







北九州市の玄関、小倉駅周辺はウェールズの赤で染まっています



駅前の商店街もウェールズ一色です。
  

Posted by メドウおじさん at 18:14Comments(0)東谷(北九州)の紹介

小倉造兵廠跡地モニュメント

2019年10月12日

旧小倉造兵廠跡地の南端部、現在の大手町公園の
一角に旧造兵廠の戦争遺跡の一部とモニュメントが
残されています。一つは防空監視塔の先端部でもう
一つは当時の給水塔の1/2レプリカです。現在の旧
造兵廠跡地にはこの二つ以外は当時のものは残っ
ていません。同じ場所には当時の造兵廠の敷地図
や説明板が建てられていて当時の様子を想像する
ことが出来ます。造兵廠跡地は昭和40年代から
勝山公園として整備が進み公園内には大型公共
施設が建てられ周辺には官庁、や大型マンション
などの建設が今も進んでいます。


防空監視塔の先端部です。



boukuukannsitouno 

給水塔の1/2レプリカです



旧造兵廠の全体敷地図です。

  

Posted by メドウおじさん at 18:33Comments(0)東谷(北九州)の紹介戦争遺産