東谷要覧24(西光寺旧跡と古鐘、古城跡、)
2021年08月29日
今から500年以上前、時代は戦国
時代初期に井手浦の地にあった西
光寺という寺院がありました。当時
大野庄と言われた東谷一帯では大
内氏、大友氏、少し時代が下ると
島津氏の勢力が争い、この地の神社
島津氏の勢力が争い、この地の神社
仏閣はその多くが戦災にあい灰燼に
帰したところが多くありました。西光寺
もそうした戦災にあった寺院の一つ
ですが当時の村人が戦禍にあう前に
寺院の梵鐘を土中に埋めて難を逃れ
たものが後に発掘されてその銘文から
室町時代のものとわかりました。梵鐘
室町時代のものとわかりました。梵鐘
自体は現在は市の埋蔵文化センター
に保存されています。東谷を含む三谷
では今も梵鐘を持つ寺院が多いです。
多くは太平洋戦争で軍に徴集され
たものが多いですが戦後復元して
たものが多いですが戦後復元して
今も朝夕時を知らせてくれる鐘がありま
す。また戦国大名が争ったこの時代は
三谷の山には山城が多く築かれました
。今もかすかに当時をしのぶ跡を感じ
ることが出来ますが、このままではいず
れ朽ちていきそうです。
要覧の85ページから86ページにかけ
要覧の85ページから86ページにかけ
て茶臼山城、木下城、塔が峰城に書か
れてれていますが私は以前平尾台の
峰続きの塔が峰城に登りました。峻険
な頂きの頂上に築かれたものでしたが
ベテランの山登りの知人に案内されて
ベテランの山登りの知人に案内されて
急な斜面を這うように登ったのが懐か
しいです。
東谷の峻険、塔が峰です。
頂上からの眺望です。正面手前の少し低い山並の頂上に当時敵対した木下城がありました。
塔が峰城は木下城をけん制する目的で作ろうとした説がありますが完成前に落城しました。
頂上部にわずかに残された平地でここに櫓が作られたようです
頂上部には貫の巨石を思わせる巨岩が点在しています。
写真の巨岩はノミ跡が入っているので築城の石材を切り
出そうとしたのかもしれません
東谷要覧解説28(後記、各種寄稿文)
東谷要覧解説27(尻振り祭り、お糸伝説)
東谷要覧26(人物伝記 島村志津摩伝2と原口九衛門伝)
東谷要覧25(人物伝記 島村志津摩伝と金辺峠碑文)
東谷要覧23(古代平尾台、平尾台の石灰洞、下澤農園・山村農園)
東谷要覧22(呼野金銅山、石灰岩採掘所、雪舟庭園、木下金山)
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Posted by メドウおじさん at 18:38│Comments(0)
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