旧陸軍12師団司令部跡地

2016年09月11日

小倉城は幕末期対長洲戦争時、小笠原藩の手によって自
ら自焼しました。明治になってからは本丸、二の丸跡地に
陸軍の12師団司令部や第12旅団の司令部がおかれま
した。その後は終戦時まで小倉北区は軍都として機能して
きて小倉城周辺は造兵省の軍需工場が立ち並びました。
終戦直前には米軍による原爆投下目標でしたが運命の
8月9日は小倉上空は厚い雲で覆われ目標を特定でき
なかったため、原爆を搭載したB-29は第二目標の長
崎に向かいました。戦後軍需工場は閉鎖されその跡地は
長く放置されてましたが昭和40年代から本格的に再開発
が始まり現在は勝山公園として広く市民に親しまれていま
す。今、小倉が軍都であったことを示す数少ない遺構の一
つです。



陸軍12師団司令部正門跡です。本丸跡にあります。





こちらは隣の第12旅団司令部跡地です。



明治時代の野戦砲が野外展示されています。

  

Posted by メドウおじさん at 08:52Comments(2)東谷(北九州)の紹介戦争遺産