旧小倉市(小倉北区11番札所曹洞宗安国寺)企救郡12番札所
2024年04月22日
曹洞宗安国寺は足利尊氏の時代に
現在の二市一郡では11番札所となっています
発願され全国に建てられ豊前安国
寺として作られました。その後、細川
公が小倉入府に伴い豊前から現在
地の竪町に移設されました。その後
明治30年代に第27代住職の玉水
師が当時小倉に赴任していた文豪、
森鴎外と親交を重ねています。二市
一郡の札所としては明治26年発足
当初からの前身の企救郡八十八か
所四国霊場の12番札所としてはじま
り、発足当初の札所寺院が移転な
どを機に八十八か所霊場から離脱
した中、今も看板を掲げて残ってい
る寺院です。
旧中谷村の二市一郡・三谷新四国霊場?(頂吉本村薬師堂もしくは阿弥陀堂 )
企救郡四国八十八か所(25番、徳力 浄(定)林寺)
旧小倉市(小倉北区 三番奥の院 正福寺)
旧小倉市(小倉北区 53番札所 禅宗 延命寺)
旧小倉市(小倉北区上到津(旧は堺町) 番外 編照院金剛密寺)
企救郡四国八十八か所(25番、徳力 浄(定)林寺)
旧小倉市(小倉北区 三番奥の院 正福寺)
旧小倉市(小倉北区 53番札所 禅宗 延命寺)
旧小倉市(小倉北区上到津(旧は堺町) 番外 編照院金剛密寺)