目倉谷の伝承
2022年12月04日
目倉谷は高津尾の郷原と目倉の境を
流れる谷川で一年中水が枯れること
のない谷川です。新322号線から旧
322号線に入ったところにある会社の
南隣(石原町側)を流れています。
この谷川は古くからあれこれ興味深い
この谷川は古くからあれこれ興味深い
伝承がいくつもあるので石原町町内
の北隣の他の町内になりますが石原
町とも古くから何かと関係があったの
でここで紹介させていただきます。
今回の伝承は市丸町内に住んでおら
れたM氏のお話しを石原町在住で、
かつて昔語り同人であったK氏が再構
成して記事に書かれたものです。
原典のⅯ氏の記事は昔語り52年10月
原典のⅯ氏の記事は昔語り52年10月
号11pに掲載されたものとK氏が書か
れた昔語り52年11月号5p~7pに掲
載されたものです。
目倉谷の伝承で一番古いものは垂仁
目倉谷の伝承で一番古いものは垂仁
天皇の御世、天皇が重い眼病を患った
ときにこの地の豪族、物部真椋連
(モノノベノマクラムラジ)、その一族の
物部兄奇が目倉谷の清水を天皇に献
上し治療したところ見事に完治したとの
ことです。その功で物部真椋連・物部
兄奇は天皇より巫部(カンナギベ)の姓
を賜ったと言います。物部真椋は子孫
は曽我氏とともに古代大和朝廷の大黒
柱となる物部氏の祖先にあたります。
この地に残った巫部の姓を賜った一族
はその後、神理教の官長を務めていま
す。また時代は戦国時代末期、豊臣秀吉
が九州侵攻をした際に目倉谷で休息し、
ここの清水でのどを潤したと企救郡誌に
書かれています。また昭和になってから
は旧秋月街道(香春街道)の休憩所とし
てお茶屋が置かれ旅人の喉を潤したと
言われていますがこのことは別の機会
でお話しできたらと思います。
以下は三谷昔語りに書かれた目倉谷
の記事のサムネイルです。クリックすると
拡大するので興味のある方はお読みくだ
さい。
上の4つが三谷昔ばなしの記事のサムネイルです。
以下は4,5年前の目倉谷の様子です