秀吉公ゆかりの谷水

2015年08月02日

高津尾の郷原と目倉の境になっている目倉谷の小さ
な流れは戦国時代末期豊臣秀吉が島津成敗で旧秋月
街道を進軍中休憩してのどを潤したと言われていま
す。
水量は少ないものの今も流れは続いています。江戸
時代以降はお茶店があり宿場町であった石原町の出
入り口に当たるこの場所で多くの人が一休みしました
。また明治以降昭和の初めまでここには祝出屋さんと
いう旅館があり昭和初期の漂泊の自由律俳句の種田山
頭火が宿をとって作品を残しています。このように長
い歴史と謂れのある流れがどうなっているか気がかり
でした。旧322号線を横切る辺りは夏草に覆われて
源流のあたりの様子がわかりませんので見に行きまし
た。


秀吉公ゆかりの谷水
道路横の目倉谷の流れですが夏草に覆われて様子がわかりませんが
意を決し川底におります。


秀吉公ゆかりの谷水

水量は少ないものの一年中流れがあります。


秀吉公ゆかりの谷水

少し流れをさかのぼると水量も多少多くなります。


秀吉公ゆかりの谷水

川岸の湿地がイノシシのヌタバになっていました。

秀吉公ゆかりの谷水

途中に炭焼きの窯跡がありました。しっかりしたつくりでまだ使えそうです。


秀吉公ゆかりの谷水

東谷では見かけないと思っていたチャルメラソウです。


秀吉公ゆかりの谷水

これも東谷では見かけないと思っていたヒメウコギです。


秀吉公ゆかりの谷水

ヒトツバ(シダ)の大群落です。


秀吉公ゆかりの谷水

照葉樹の森の流れがいい感じです。

注意:ここの水が美味しく飲めたのは昭和の初めまでの事で現在は水量も少なく
谷川の周辺にはイノシシなどが出没しヌタバもあちこちにあるので水質は相当
汚染されていると思われます。煮沸しても飲用には向かないと思われるのでくれ
ぐれも口にしないでください。


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Posted by メドウおじさん at 18:53│Comments(6)東谷(北九州)の紹介
この記事へのコメント
最近、目倉のほうの道を通ると、なんか空家も多くて
放置な感じがしますが、昔は栄えていたんですね~。
で、ときどきパトカーが隠れててネズミ捕りしてますねw
Posted by ゆこむし at 2015年08月02日 19:37
意を決しての散策。おかげで豊かな自然を見せていただきました。
ありがとうございます。
水がきれいだと、自然は生き返るみたいですね。
このまま、人の手が入らなければもっとたくさんの野草が復活するかもしれませんね。もともと自然豊かな土地柄なので、昔はもっと美しい森が広がっていたのでしょうね。
Posted by yummy at 2015年08月03日 13:57
こんにちは。ご無沙汰してます!毎日暑いですね(汗)
秋月街道!今もっとも興味をそそられるキーワードに食いつきました(笑)
そして、意を決しての散策に脱帽です。
無知な質問なのですが、秋月街道=香春街道なのでしょうか?
Posted by あゆっち at 2015年08月03日 14:51
ゆこむしさん、現在は、なぜか目倉は高津尾(郷原)の町内で中谷地区になります。昔は目倉谷より南は東谷だったんですけどね。ネズミ捕りは生コン会社の前が定番ですね。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年08月03日 19:10
yummyさん、目倉谷は昔の山道の入り口が肥料会社の敷地になっているのでほとんど山に入る方はいないようです。イノシシの楽園になっているみたいです。旧国道横の谷川を藪漕ぎして分け入りましたが、それでも先人の方が標識などを木に括り付けていましたね。源流はかなり奥の方で今回は最初の一滴まではたどり着けませんでした。冬場の猟期前にもう一度チャレンジしてみたいです。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年08月03日 19:19
あゆっちさん、暑いですねぇ。夏バテしないようにしてくださいね。「秋月街道」何故かいい響きですよね。言霊を感じます。さてご質問の、秋月街道=香春街道?ということですが、一般的にはその解釈でいいと思いますが厳密には小倉藩領内の田川辺りまでを香春街道と呼んでいるようです。小倉藩としては自国内の街道を他藩、それも伝統的にあまり仲の良くなかった福岡藩の支藩の秋月の名前で呼ぶのは憚れたのだと思います。城下町との番所のあった地名が香春口と呼ばれているのでもわかります。東谷を通る秋月街道の事はここで10回くらいに細かく分けて書いていますのでよろしければ読んでみてください。感想を頂けると嬉しいです。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年08月03日 19:32
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