中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)

2021年05月30日

一昨日梅雨の合間を縫って頂吉の
集落へ行ってきました。頂吉は小倉
南・北区を縦断する紫川本流の上
流部にある北九州の水がめ鱒淵
ダムのさらに奥に残る集落です。現
在はダム上流部にわずかな戸数が
残るだけですが、その大部分は昭和
47年完成の増渕ダムの完成ととも
にそのダム湖底に沈みました。湖底
には頂吉小学校をはじめ集落の大部
分の神社仏閣も運命を共にしていま
す。伝え聞いたところでは二市一郡新
四国霊場の関係では三つのお堂が沈
んだと聞いています。それでもどこか
ほかの場所に移設されているかもし
れないと思い現地へ出かけました。
頂吉に入るには二つのルートがあり
ます。一つは旧道原小学校跡から鱒
淵ダムへ進むとやがて正面に巨大な
ダムの堰堤が現れます。堰堤の東側
にダム湖の周回道路が走りこれを上
流部に進むとダムが切れるとそれよ
り上流部に向かっておよそ10件程度
の集落があります。もう一つのルート
は東谷を走る国道322号線の金辺
峠トンネルの手前の老人ホームの横

を右折して七曲の道を登り下ると頂

吉の上流部の集落に出会います。

今回は行は道原からダム横を走る道

を登り帰りは峠を越えて322号線へ

出ました。お堂は集落から322号線

へ抜ける坂道の途中左側に神社が

あります。高倉神社です。残念なこと

に長期間放置されて拝殿は朽ち果て

て壊れており本殿も半ば朽ちています

。本殿の両脇にお堂があり右側のお

堂に二市一郡新四国霊場のプレート

が架かっていました。札番号なしの高

倉神社観音堂と記されています。ちな

みに頂吉には旧頂吉本村に二つ(59

番札所、奥の院)下頂吉に一つ(84番

念仏寺)吉原に(観音堂)と聞いていま

す。個人の見解ですが吉原の観音堂

が高倉神社のお堂のことだと思ってい

ます。これも個人的見解ですが二市一

郡のお堂についてはおよそ30%近く

が所在不明、もしくは廃堂になってい

る気がします。残念ですがだからこそ、

今あるお堂の記録を残しておきたい

思っています。

中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)

高倉神社本殿の右わきにお堂が残されています


中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)


中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)

高倉神社の観音堂ですが吉原の観音堂と同一だと思います


中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)

高倉神社の遠景です。残念なことに拝殿は倒壊しており本殿も
かなり傷んでいます


中谷・西谷の新四国霊場巡り2(頂吉、高倉神社観音堂)

高倉神社のお堂は322号線へ抜ける峠越えの26カーブの手前左わきにあります




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