企救郡四国24番門司二十日町観音堂

2025年05月03日

門司区二十日町の観音堂ですが、
古文書研究家の本田先生が作成
したリストに、その名前は載ってい
るのですが先生もその場所の特定
はできておらず不明の札所だとの
ことでした。二十日町自体は国道
3号線より南側の山裾に広がる住
宅地ですが、山よりの上二十日町
に観音山団地と言う地名を見つけ
ました。観音山と名前がついてい
るので怪しいと思い地図とグーグ
ルのストリートビューで付近を探
索したところ団地の麓に地域の
共同墓地があり、その中に寺院
の地図記号が載っていました。
そこでこの場所に目星をつけて
現地に行ってみるとそこは寺院
ではなく墓地の中にあるお堂でし
た。お堂はコンクリートで作られ
たもので古さはありますが、築5,
60年と言ったところです。お堂は
観音堂ではなく阿弥陀堂と看板が
架けてありました。お堂自体はも
う、お世話されておらずかなり荒
れていました。内部には阿弥陀蔵
と思われる仏像が置かれています
が、もう一体、観音像と思われる仏
様もいらっしゃいました。お遍路霊場
を示す看板などもないので確かなこと
は言えませんがお堂の前には修行
大師の立像もありお遍路霊場の特徴
はありました。ここから先は私の推論
ですが。もともとこの場所には観音堂
があり、その後二市一郡新四国霊場
には参加せずに離脱し、お堂はその
後立て替えられその時に阿弥陀堂に
変わったのではないかと推察します。
ちなみに場所の住居表示は門司区
上二十日町4番の裏の共同墓地の
中です。共同墓地には上二十日町
5番横の階段を上った先にあります。

上二十日町のお堂は観音山団地の麓の墓地の中にあります




お堂と内部の様子です





  

Posted by メドウおじさん at 07:35Comments(0)企救郡四国八十八か所霊場

東谷郷土資料館便り13 溝口 連翁と昔語り

2025年05月03日

溝口 連氏は明治36年(1903年)
3月26日に木下の本村でお生まれ
になり平成元年真下(1989年)6月
6日にお亡くなりになりました。享年
86歳とお聞きしています。その一生
を東谷の発展に尽くされました。その
功績はあまたありますが郷土史愛好
会「三谷昔語りをする会」の中心同人
として活躍され、旧郷土資料館の設立
にも貢献されました。また昭和40年代
に行われた北九州市の民族調査にも
東谷地域の担当として多くの伝承や昔
話などを収集し残されました。また聞き
取られた話を元に多くの物語を創作さ
れました。代表的なものは原口九右衛
門さんの企救一揆を扱った「企救一揆」、
木下の本村に伝わる「椋木の神様」の
お話、呼野の「お糸物語」、平尾台の
「虚無僧奇譚」、井手浦の悲恋物語「みょ
うと(めおと)星」などがあります。これら
の物語は「三谷昔語り合本」「企救一揆」
などりっぱに製本されたものもありますが
中にはガリ版刷りの三谷昔語りの会報に
のみ掲載されたものもあります。今年度は
この溝口 連氏の創作を折を見てご紹介
していきたいと思います。

  

Posted by メドウおじさん at 06:45Comments(0)三谷昔語り企救郡四国八十八か所霊場