旧九州鉄道大蔵線尾倉橋梁2
九州鉄道大蔵線は当初計画では現鹿児島本線の海沿いの沿岸を走る予定でしたが当街道沿いを時
の陸軍の意向で山沿いのコースを走ることになりま
した。旧長崎街道沿いを走り黒崎へ出ていました。
尾倉橋梁の元線路は生活道路になっており微妙な
カーブに線路の跡を感じます。一方橋梁の下も生活
道路ですが山肌からの下り道で、かつては谷川だっ
たように思えます。橋梁の下のアーチ部も煉瓦造り
で100年以上たった今でも線路はなくなりましたが
生活道路を立派に支えています。茶屋橋橋梁が
モニュメント化している今、尾倉橋梁は昔の様子を
とどめている貴重な鉄道遺産です。
南側、山側の橋梁です。
橋梁内部から見た天井のアーチです。
北側、海側の入り口です。
橋梁の上から見た図ですが、家が建ちこむ前は溝か谷川だったように思えます。
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