新道寺小学校の沿革

メドウおじさん

2014年08月16日 10:12

東谷の新道寺小学校は私の母校で明治10年に山ヶ迫
の法円寺さんのお堂の一部を間借りしてスタートしたそ
うです。翌年山家酒造のご当主が自分の敷地の一部を
提供して本格的にスタートしたそうです。山家先生は後
に中谷高等小学校の設立にも尽力された篤志家で明
治の文豪森鴎外とも親交があり方円寺に残されている
碑文は欧外の書と言われています。その後小学校は
現在地の丸山の丘陵地の奥に移転しました。明治
35年には木造の講堂をもつ立派な校舎が完成してい
ます。学校創立130周年を記念して作られたHPにアー
カイブとして保存されています。私が在学した50年前に
も木造校舎の一部と講堂は残っていました。当時のメイ
ンの校舎は木造のモルタル二階建てで4年生になると新
校舎へ移ることが出来ました。1~3年までは古い木造
校舎で冬はとても寒かったのを覚えています。130年記
念のHPのアーカイブには古い写真が多く寄せられてお
り懐かしい恩師の先生の写真も見つけて懐かしい思い
になりました。


新道寺小学校は始め、ここ方円寺さんのお堂の一部を借りてスタートしました。



明治の初年から東谷地区の教育に尽力した山家先生の碑が方円寺にあります。
碑文は親交のあった森鴎外の書と言われています。



山家家屋敷地の奥のほう、山家家霊廟の下のほうにちょっとした空き地があります。
はっきりと確認したわけではありませんが昔語りによるとどうやらここに方円寺の
仮住まいから脱した新道寺小学校がスタートしたようです。近いうちに現当主の方に
確認してみたいと思っています。


明治時代の新道寺小学校です。当時としては相当立派な部類に入ると思います。



昭和30年代後半の校庭と校舎の様子です。私がちょうど在校した自分の様子です。
写真はたぶん卒業式の様子だと思います。鼓笛隊が卒業生を合奏で見送ります。

上の明治時代と校舎の2枚の写真は130周年記念アーカイブからお借りしました。
先日、市報に入っていた地区のお知らせの中に市民センターに大正時代に書かれ
た東谷村誌が残されているようなので一度読んでみたいものです。

関連記事