手もみ新茶2024 試しづくり

2024年04月15日

次のGW中に「二市一郡新四国霊場
などを語る会」のメンバーで新茶のお
茶づくりを予定しています。お茶につ
いては私の住む東谷では昔、(昭和
の20年代ぐらいまで)お茶は各家庭
で自家製のものを作っているところが
結構ありました。特に農家さんでは自
宅の敷地の片隅とか自宅近くの畑の
端などに茶ノ木を植えて自家製のお茶
を作っていたことが郷土誌の三谷昔語
りに書かれています。私の家にも、そ
の頃の名残りなのか、茶ノ木が何本か
あり自家製で緑茶や紅茶、ほうじ茶や
番茶などを趣味で作っています。今回
は二市一郡のメンバーと一緒にお茶づ
くりをワークショップの形でやることにし
ました。今回は手もみの緑茶、紅茶、桜
の葉を発酵させた桜紅茶、椿の葉で作
る椿紅茶を作る予定でそのリハーサル
を兼ねて試作しました。緑茶と桜紅茶は
うまくできましたが、椿紅茶が発酵がうま
くいかずに微発酵の台湾茶の白茶風に
なりました。これはこれでおいしいのです
が、狙い通りにいかなくて残念でした。
原因ははっきりしていて、手もみ後の発酵
過程の気温が低めだったので最初に少し
過熱して発酵酵素を活性化する予定でレン
チンしたのですが加熱時間が長すぎて発
酵が最初から止まってしまいました。本
番はそのあたりをうまくコントロールした
いと思っています。



今回の材料です。上が茶葉、下左が桜の葉、下右が椿の新葉です



手で揉んだ後、鍋で焦がさないように弱火で加熱して水分を飛ばします。



カリカリに乾燥したら出来上がりです。



涼やかで甘みのある手もみ新茶ができました

  

Posted by メドウおじさん at 20:35Comments(0)和ハーブ

旧曽根村の二市一郡新四国霊場(24番前札中吉田今福堂)

2024年04月14日

旧曽根村中吉田には二市一郡
新四国霊場は、番外の宗林寺は
以前お参りしましたが、今回すぐ
近くに今福堂という別のお堂があ
ることが一緒に二市一郡新四国
霊場のことを調べている仲間から、
今福堂というお堂があることを聞
きました。現地を確認すると宗林
寺同様、かなり荒れた状態でした
が、白いプレートも存在し、板碑の
ご本尊も安置されていました。詳
しいことはわかりませんが、外壁
に小笠原家の家紋があり、古くは
何らかの関係があったと思われま
す。荒れた状態なのは残念ですが、
消滅する前に確認できてよかった
です。





お堂の中に白いプレートが架けてあります




板碑のご本尊です



今福堂は宗林寺同様、吉田の市民センターの近く、中吉田6丁目付近にあります。


  

市丸の菅原神社

2024年04月13日

市丸の大清水神社は霊水の湧き出る、
霊験のあらたかな神社として平安朝初
期のころから大宰府より毎年、幣を賜っ
ていました。道真公は宇多天皇、醍醐
天皇に重用され右大臣まで上り詰めら
れましたが901年昌泰4年左大臣の藤
原時平の讒言により大宰權帥として流
され大宰府で亡くなられました。その道
真公が大宰府に下向する途中、大清水
神社に立ち寄ったとの言い伝えが当地
には残されており、そのことを喜んだ村
人が菅原神社を祀ったと伝わっていま
す。そのほかにも井手浦にも貫山越え
で大宰府に向かった道真公一行が井手
浦に立ち寄ったという言いつ和えもあり
ます。




市丸町内の梅木にある菅原神社です。境内に由緒書きなどはないので事情をご存じない方は何の
神社かわからないかもしれませんが由緒あるお宮です。

 

境内への参道もきれいに草刈りされていますが、場所がややわかりにくいかもしれません。


  

Posted by メドウおじさん at 09:29Comments(0)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り

旧小倉市(小倉北区熊本町 23番奥の院 熊本観音堂)

2024年04月11日

熊本町一丁目5番の近くの道沿いに
熊本観音堂があります。立派な観音
堂で地域の方が大切にお守りしてい
ることがよくわかります。23番の札所
は白いプレートこそありませんが近く
の萩崎にお堂があります。三萩野
近辺にはほかにもいくつかお堂が
あります。




23番奥の院の熊本観音堂です。途中で建て替えられた立派なお堂があります。
お堂は地域の方がきれいに維持されています。



お堂内部にある御詠歌です。23番の猜書かれています



内部のご本尊で十一面観音様が祀られています


  

企救郡四国八十八か所(25番、徳力 浄(定)林寺)

2024年04月06日

二市一郡新四国霊場の前身の企救郡
四国では25番札所として徳力の定林
寺がありました。定林寺は徳力の小字、
屋敷にあったことが嵐山山麓にあった
とされます。定林寺はその後、古川の
大満寺に合併されましたが、(このあ
たりのいきさつは企救郡誌の第九章
に書かれています)札所はその後現在
の日限地蔵堂が25番札所を引き継い
だと思われます・(私の個人的見解です)



  

Posted by メドウおじさん at 13:36Comments(0)企救郡四国八十八か所霊場

旧小倉市(小倉北区 三番奥の院 正福寺)

2024年04月05日

高野山真言宗三番奥の院正福寺は
小倉北区の繁華街の中心部の鍛冶
町筋にあるお寺で、すぐ近くには明治
の文豪、森鴎外が小倉時代に住んで
いた旧居近くにあります。二市一郡の
三番奥の院ですが、二市一郡の前身
の企救郡四国の発足時からの霊場で
す。発足時は三番札所でした。二市
一郡は明治34年ごろ、企救郡の門司
市、小倉市が発足して名称が二市一
郡新四国霊場と変わりました。発足時
の霊場で札番号の一桁の若い番号は
小倉中心部のお寺が多かったのです
がその後中心部の発展とともに各寺
院が旧城下町外に移転していき、正福
寺は残った数少ない霊場の一つです。
さらに企救郡四国発足時の寺院霊場
の多くは、その後、二市一郡新四国霊
場から離脱したところが多いのですが、
正福寺は残った数少ない霊場の一つ
です。境内には今も修行大師像が遺さ
れています。坊守の方に少しお話を伺
ったのですが、千人参りが途絶えた後、
現在はお遍路に関する活動はないそう
です。





北九州市小倉北区の繁華街のど真ん中に正福寺はあります。

  

旧小倉市(小倉北区番外霊場 中井極楽寺)

2024年04月04日

中井の極楽寺は曹洞宗のお寺で築上
郡から現在地に移転してきました。こ
のお寺には木造の一刀彫の聖観音像
が安置されていて現在市の有形文化
財に指定されています。二市一郡の白
いプレートなどは見当たりませんが境
内には多くの石仏や不動明王像などが
置かれ一般の曹洞宗のお寺とは少し感
じが違います。千人参りの行程表リス
トに載っていなければわからない霊場で
した。






境内には多くの石仏が置かれ、二市一郡の霊場っぽさが見えます。

 

このお寺の聖観音像は北九州市の有形文化財に指定されています。


  

旧小倉市(小倉北区鋳物師町、番外霊場・地蔵堂)

2024年04月02日

鋳物師町の日栄自動車の隣に地蔵堂
があります。今も、熱心にお参りされる
方も多いようで私がお参りさせていただ
いた時もお線香の香りがしていました。
ここは以前は鋳物師町大師堂で二市一
郡のお堂の一つのようでしたが、現在は
お大師様のご本尊はなく、お地蔵様だけ
になっています。現在は二市一郡の霊場
からは外れているようですが、かっては
霊場の一つで千人参りの行程表にも載
っていました。



鋳物師町のお堂です



日栄自動車さんのお隣です。


  

旧小倉市(小倉北区中井、焼山寺霊場)

2024年04月01日

小倉北区の中井の極楽寺の近くの
小倉北市民センター近くに焼山寺と
いう二市一郡新四国霊場のお堂の
名目が千人参りの行程表に載ってい
たので調査してきました。住居表示
の場所は個人のお宅で外部から見
た感じではお堂らしきものは見当た
りませんでしたが、お宅の隣に青い
ペンキのトタンで囲われた小屋があ
り、小屋はお宅の前の道に面してい
て、いかにもかつては、お堂だったよ
うな雰囲気があります。今回はこれ
以上のことはわかりませんが、個
の敷地にあるお堂は、撤去されたり、
閉鎖されているところが多いので、こ
こもそうなのかもしれません。




沿いトタンでふさがれていますが、お堂だったような気がします


 




  

原口九右衛門さんを偲ぶ会

2024年03月22日

昨日明治2年の企救一揆のリーダーだ
った原口九衛門さんのご供養でした。
東谷では地域の義民九右衛門さんを
偲び、毎年命日に近い3月中旬以降
に興農会館敷地の九右衛門さんの
顕彰碑前で行ってきました。今年度
からその運営を郷土資料館が引き
継ぐことになりました。せっかく郷土
資料館が運営するのでそれらしい
企画を併設したいと考え、今回は
ご供養の後、企救一揆のDVD上映
と九右衛門さんが最晩年に過ごし
た日田の豆田牢の現状などをお話
ししました。DVDは元新道寺小学
校の校長先生の高田晋仁先生と
ご友人の磯部 学氏が作られた
ものです。今回は昨年末に発行し
た東谷郷土誌個人協賛でご購入
いただいた方で連絡先が分かる方
に約30名の方にご案内しました。
今回は出欠をしらべなかったので、
どのくらいの方が聴いていただけ
るか若干不安もありましたが15名
の方が聴いていただきました。今
回の企画で今年度の資料館の活
動は終了ですが4月以降も地域の
皆さんが興味を持っていただき資
料館の認知度が上がるよう考えて
いきたいと思います。引き続き皆
さんよろしくお願いします。



高田先生と礒部つj暗れたDVDと絵本です。



九右衛門さんご供養の場所です


  

Posted by メドウおじさん at 05:53Comments(0)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り

南天実でのどの痛み・咳止め薬作り

2024年03月21日

先日のムカデ刺され疑惑の続報ですが、どうやらムカデではなくマダニに刺されたようです。というのもブログをアップした二日後に太腿の裏の最初に刺された場所とは違う部分がやけに痒く、触るとポロッタと5mmほどの丸い虫のようなものが落ちました。よくみると足のようなものがあり、もぞもぞ動いていました。直感的にマダニを疑い、すぐに皮膚科の病院に行き診てもらいました。マダニと思われる虫を持って行かなかったので同定はできないがマダニの可能性は高いであろうと言われました。マダニはライム病などの重篤な感染症を引き起こす可能性があるので念のために抗生剤とステロイド軟膏を処方されました、自分は抗生剤を服用すると腸内細菌がやられるせいか、お腹の調子が悪くなります。今回も調子が良くないのですが感染症も怖いので医師の処方に従っています。おかげで刺された部分は快方に向かっています。さて本日の本題です。最近寒の戻りで寒いので少し風邪気味で2,3日前からのどが痛み、咳が少し出ます。ちょうどよい機会なので南天実の
咳止めせんじ薬を作って飲用しています。また結果の後ほどです。


今の時期の南天実です。実は完熟していて触るとポロポロ落果する直前で
今シーズンギリギリ間に合いました。



南天は全草に有毒物質を含むので大量にとるのは危ういので、今回は少なめに作りました。
薬草ではよくある毒にも薬にもなるという薬草アルアルです。初心者が扱うにはややハードルが
高そうです。

  

Posted by メドウおじさん at 19:23Comments(0)和ハーブ

中谷の二市一郡新四国霊場(道原竹の下、地蔵堂跡地)

2024年03月19日

道原の竹の下地蔵堂は現在の住所で
いうと道原1793番地でした。10年ぐ
らい前までの平成25年の千人参りの
リストには掲載されていたので当時は
まだお堂が残っていたのかもしれません。
ここは二市一郡の前の企救郡四国の頃
からの霊場でした。未確認ですが三谷
新四国霊場も兼ねていたと思います。お
堂があったと思われる場所は道から一段
高くなっている場所で今は空き地が残って
いるだけで石仏などそれらしきものはない
のでどこかに移転したものと思います。


一段高くなっている場所がお堂の跡だと思います。住所は道原1793番地です。



今は空き地になっています。



お堂跡のすぐ下のお宅の敷地の中に気になる建物がありました、個人の敷地の中なので勝手に
確認できませんでしたがなんとなく造りが小ぶりながらお堂の作りのような気がします、まあ、単
なる物置小屋かもしれませんが。
  

中谷の二市一郡新四国霊場(道原向方、地蔵堂跡)

2024年03月18日

向方地蔵堂跡は道原の楽庭堂前の道を
50mほど先に行った場所を山側に石段
を登っていきます。
石段の先は道原本村集落の共同墓地
になっていて、階段を登り切った場所が
現在はコンクリ敷きのスペースになって
います。この場所が向方の地蔵堂の跡
だと思われます。ご本尊などはどちらに
移されたのかは不明ですが、私の感で
はすぐ近くの楽庭堂へ移されたのでは
ないかと思っています。 平成25年度の
千人参りの行程表には記載されている
のでここ10年ほどの間に撤去されたと
思われます。


向方地蔵堂跡へは石の階段を山の中に入っていきます










現在は基壇の跡だけが残っています


  

西谷の二市一郡新四国霊場 合馬(原)39番札所 西福寺(観音堂)

2024年03月17日

合馬の二市一郡39番の霊場は前札、
札所、奥の院と三つがきれいにそろっ
ています。39番札所の西福寺は原町
内の自治公民館の前の道を100mほ
ど先に進んだ高速道路近くにあります。
西谷の合馬は東谷、中谷と並んで二市
一郡のお堂の多い場所です。さらに昭
和2年には西谷、中谷、東谷で新たに
三谷新四国霊場が設立されています。
三谷新四国はそのお堂の多くが三谷
地区の二市一郡のお堂に併設される
形で設立されていますが、一部は二市
一郡とは別のお堂もあります。そちらも
おいおい紹介していきたいと思います。




西福寺のお堂です。





合馬の原町内の自治公民館です。お堂は公民館前の道を先に進んだ場所にあります。
  

ノキシノブの効能

2024年03月16日

先月痛風発作が出た時に尿酸値を
測るために血液検査をしたのですが
腎臓のEFGR値が54でした。数値
自体は4年前と変わっていませんで
したが、60以下は要注意範囲なの
で腎臓の活性化につながる薬草を調
べたら中国南部や台湾に生育するハ
カマウラボシというシダを原料にした
骨砕補という漢方薬が効果があること
がわかりました。骨砕補は4年前に足
首の上を骨折したときに服用し効果を
感じました。骨は常に造骨と砕骨を繰
り返しているのですが、その指示を腎
臓から出る成分がコントロールしてい
ます。ハカマウラボシは腎臓を活性化
することで骨の造骨作用を活性化して
いるということです。ハカマウラボシは
その名前の通りシダのウラボシ科で日
本にもいろいろな種類が自生しています。
調べたところヒトツバとノキシノブが民間
伝承として腎臓の活性化作用があること
がわかりました。そこでこれらをハカマウ
ラボシの代用で使ってみます。ヒトツバは
先日紹介したので今回はノキシノブです。
ノキシノブは古い瓦屋根や古木の樹皮な
どに着生するシダで身近でよく見かけます。
庭の古木に自生していたので早速採取し
て乾燥して使います。きれいに水洗いして
よく乾燥させて小さく刻んで煎じて飲用し
ます。即効性は期待できないので他の薬草
茶とブレンドして使っています。


庭の苔むした石に着生しているノキシノブです



採取してよく水洗いしてドライにします


禅僧を細かく刻んで煎じて飲みます。もっぱらメグスリノキとブレンドして使っています。


  

Posted by メドウおじさん at 11:27Comments(0)和ハーブ

旧小倉市(小倉北区 二市一郡17番札所 中津口薬師堂)

2024年03月15日

国道三号線の中津口バス停から北側
に路地を少し入った場所に中津口の
薬師堂があります。この辺は都会の真
ん中で周辺にはドン・キホーテなどの
店も多く表通りはまさに繁華街なので
すが一歩裏に入ると古くからの中津
口の民家なども残り、17番薬師堂も
路地裏の道沿いにあります。ここのお
堂は熱心な住民の方がいつもきれい
に維持してくれています。お堂の中に
はご本尊像などもあるので普段は施
錠されています。内部の拝観はできま
せんが外からお参りさせていただきま
した。これからもきれいに維持してい
ただけると嬉しいです。







  

旧小倉市(小倉北区 二市一郡 53番奥の院 赤坂水かけ地蔵堂)

2024年03月14日

門司区と小倉北区の3号線の境
にある田向山トンネルの小倉側
手前、山側に赤坂水かけ地蔵堂
があります。以前(明治時代の初
め)はトンネルの北側の崖下は
波が打ち寄せる波際で門司往還
道の難所でした。海が荒れたりし
たときは、この崖下の道は通れ
ずに、田向山の南側を迂回した
そうです。地蔵堂は田向山トンネ
ルができ3号線と電車道ができた
時に山側に移されました。現在は
国道側から山側に少し入り、霊場
らしい雰囲気の場所になっていま
す。


53番奥の院は赤坂田向山トンネル手前の右側の山に少し入ったところにあります

 

入り口には水かけ地蔵尊の旗も建てられています



階段を上った奥が霊場です



白いプレートと由緒書きが置かれています


  

ムカデに刺された?

2024年03月14日

今回ムカデに刺されたと思われる画像が
最初に出てきますので気持ちが悪いと思
われる方はスルーしてください。
また薬草による自己治療はあくまでも私
の自己責任で行っていますので私以外
の責任は持てないのでお含みください。

昨日、どうやら寝ている間にムカデに刺

されたようです。はっきり確認できたわけ

ではありませんが患部がミミズが這った

ように腫れています。子供の頃にムカデ

に刺された記憶によく似ているのでた

ぶん、そうだと思います。刺されたもの

は仕方ないのでちょうどよい機会なの

で薬草を使って自己治療してみます。

ドクダミ+ヨモギ+ビワ葉+マコモで

アルコールチンキを作って塗布します。

以前蜂に刺されたときは、これで腫れ

やかゆみが収まりました。経過は

また報告します。




ミミズ腫れになっているので、多分ムカデです



ドライにした薬草をラップでくるみレンチンして蒸します



消毒アルコールにつけてチンキにします


  

Posted by メドウおじさん at 06:53Comments(0)和ハーブ

二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー

2024年03月11日

LINEグループ、二市一郡新四国霊場等を
語る会で貫方面の霊場散策と企救の名水
を汲んできました。企救の上貫の西鉄バス
終着停留所に隣接する形で「企救の名水
」の自動販売所があります。100円のワン
コインで10ℓ以上出るとありましたが、実
際は100円で20ℓ容器一杯が出ます。多
分夏の渇水期などの水量を考慮して控え
めに表記されているのだと思いますが今
の季節なら20ℓが楽に汲めました。企救の
名水は貫山系の花崗岩質で磨かれたスッ
キリした軟水の正真正銘の名水です。帰着
してさっそくコーヒーを淹れましたがとてもお
いしかったです。○○の名水というのは最近
各地にありますが、ここは本当においしいで
す。上貫のバス停までは道も広くわかりや
すいので、水好きの方にはお勧めです。
そのほかで近くの下畑・上畑集落の二市
一郡のお堂を見て回り、八番奥の院の観音
堂ではお堂を管理されておられるご夫婦か
らほうじ茶のご接待までいただきました。ご
夫婦のお話ではお堂をお守りできるのも私
たちの世代までだろうとおっしゃっていまし
たが、自宅の敷地の一部を提供されて立
派なお堂がきれいに維持されていました。





菊の名水の水汲み場です



  

旧小倉市(小倉北区 53番札所 禅宗 延命寺)

2024年03月09日

上冨野の 延命寺は53番札所です。二市
一郡の札所であると同時に北九州西国三
十三か所観音堂の札所でもあり、本堂の前
の柱に刻まれています。延命寺は古くから
のお寺で旧二市一郡の企救郡四国の札所
でもあります。住居表示的には上冨野4丁
目2-18です。刻rs上の東北鬼門の守り寺
で正式名称は東北山延命寺で黄檗宗の
お寺です。



延命寺正面です





本堂正面の柱と壁に北九州西国三十三か所観音堂が刻まれた柱と壁に架けられた
二市一郡の白いプレートが見えます



延命寺の縁起のサムネイルです。クリックで拡大できます