常盤橋
2011年12月19日
常盤橋は細川公が入府したときに城下町整備の一環として
作られ当時は大橋と呼ばれていました。
常盤橋と呼ぶようになったのは江戸中期からです。当時より
長崎、唐津、中津、秋月の各街道、門司往還の起点終点として
重要な役割でした。江戸時代は旅人は小倉から下関へ船で
渡るのが一般的でしたので常盤橋周辺は風待ちのスポットとして
賑わいました。現在の橋は平成になって、リバーウォーク整備
の一環としても当時のイメージを再現した木製の橋に架け替え
られました。橋がクラッシックな感じになったのですから周辺の
町もそれにあわせて整備されると良いと思うのですが中々難しい
ようです。うまくできれば、門司から小倉へかけての海岸部が
観光資源として生きると思うのですがどうでしょう。
作られ当時は大橋と呼ばれていました。
常盤橋と呼ぶようになったのは江戸中期からです。当時より
長崎、唐津、中津、秋月の各街道、門司往還の起点終点として
重要な役割でした。江戸時代は旅人は小倉から下関へ船で
渡るのが一般的でしたので常盤橋周辺は風待ちのスポットとして
賑わいました。現在の橋は平成になって、リバーウォーク整備
の一環としても当時のイメージを再現した木製の橋に架け替え
られました。橋がクラッシックな感じになったのですから周辺の
町もそれにあわせて整備されると良いと思うのですが中々難しい
ようです。うまくできれば、門司から小倉へかけての海岸部が
観光資源として生きると思うのですがどうでしょう。
常盤橋の由来説明板です
江戸時代の小倉藩の古地図です
Posted by メドウおじさん at 18:02│Comments(0)
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