昔の遊び場

2016年10月18日

私が小学生の頃は運動場も放課後は速やかに下校しなけ
ればならずあまり使用できませんでした。今は東谷興農会
などの立派な施設がありますが当時はもっぱら休耕田や野
原やお寺の境内がグランド替わりでドッジボールやソフトボ
ール、流行り始めていたサッカーなどしていたように思いま
す。稲を刈り取った後の刈穂に足を取られてよくひっくり返
っていました。当時山ヶ迫との境にあった日の丸原と呼ば
れていた原っぱが遊び場でした。今は何かの工場になっ
ています。あの場所がなぜ原野だったのか今考えると不思
議ですが改めて考えるとあの場所は東谷川があふれたとき
溢水地 のような役割をしていたのかもしれません。

昔の遊び場

日の丸原は写真奥の東谷川堤防の手前にありました。今は水田に代わっています。




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Posted by メドウおじさん at 18:31│Comments(2)東谷(北九州)の紹介
この記事へのコメント
遊水地を作るゆとりがあると、
数年前の高津尾の水害は防げたのではないか、と思います。
遊水地に溜まった水は、そこの水田はダメにするかもしれないが、
洪水にはならない。
無謀な住宅開発、その住宅を守るための護岸工事や浚渫工事。
お金の使い道を考えないと、税金をムダに浪費する事になる。
この時代、住宅地を作る事よりも、ゆとりにお金を使ったほうが安上がり。
そう私は考えるのですが、どうなんでしょう。
Posted by ひなばった at 2016年10月19日 22:20
昔の治水対策は遊水地など自然と折り合いをつける対策だったように思います。現在は川床浚渫、護岸改修、堤防のかさ上げ、流路変更などが中心でとにかく増水を下流に流しきる事、水を溢れさせないことが中心です。遊水地のように溢れさせる事で水量を調節するという考え方は、溢れさせるという事自体が今の世の中には受け容れてもらえるのが難しいのかもしれません。素人なので確かなことは言えませんが遊水水田なら原状復帰をしても低コストのような気がします。現在の「安全」は高コストですね。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2016年10月20日 18:33
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