古代の産業史

2016年09月04日

私が学生のころは弥生時代後期の倭国大乱と言われる九
州北部の小国同士の騒乱が続きましたがこれは主に稲作
適地をめぐる争奪の戦いであったと習ったように思います
が近年の考古学では稲作適地というより鉄器製造や金属
加工技術をめぐる争奪戦であった可能性が高いそうです。
また弥生文化の伝播も稲作技術が重要ファクターだった
と思いますが、金属加工技術の伝播と歩調を合わせてい
る節が感じられるそうです。東谷地域では古くは奈良時代
の大仏製造にこの近辺の銅が使われたそうですしそれ以
前の古代においても香春の採銅所近辺では渡来系の人
々による金属加工が盛んにおこなわれたようです。ここの
呉川ダムには呉という中国由来の地名が残っていますし
、神功皇后がこの地の鏡山で戦勝祈願を行ったという言
い伝えも残っています。また鏡山神社の隣には河内王と
いう天武天皇に由縁のある皇族の墳墓が残されています。


古代の産業史

呉川にかかる石橋です。


古代の産業史

香春の鏡山神社です。鳥居の前は古代官道が通っています。神功皇后ゆかりの
神社です。


古代の産業史

河内王の墳墓(古墳)です。この近辺は古代の香り豊かな地域です。





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Posted by メドウおじさん at 19:00│Comments(2)古代史
この記事へのコメント
>鉄器製造や金属加工技術をめぐる争奪戦であった可能性が
(今まで↑そのように考えてもみなかったが)
弥生時代だと金属関係技術は最先端技術になるでしょうから
争奪戦があったであろうと言う説には納得できますね。
でも、
人類の歴史って、戦い続きの歴史でもあるように思えて
複雑な気持ちになってしまいます。
Posted by チョコミント at 2016年09月06日 06:49
日本も弥生時代以降、鉄器が入り武器が急速に発達してからは江戸時代まで内線の戦いが絶えませんでしたね。ただはるか縄文時代は一万年近く、大きな戦いはなく、平和で素朴に暮らしていたようです。ヨーロッパでもネアンデルタール人は平和な種族だったみたいですね。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2016年09月07日 17:26
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