門司往還

2015年10月19日

往還とは昔の街道などで特に人の行き来が多い道の事で
北九州だと小倉~大里間が門司往還と呼ばれていました。
これは私の想像ですが大里が宿場として栄えたのは京、
大阪、江戸への船旅の起点となったからだと思います。
紫川河口も昔の絵図などを見ると港として整備されて
はいましたが近くに砂津という地名があるように砂の
堆積した遠浅の海岸だったようで大型の和船は停泊し
にくかったのだろうと思います。大里宿が起爆剤にな
ってその後の明治、昭和前半の門司港の発展につなが
ったのだと思います。門司港は衰えたとはいえ、新門
司を含めると今も九州で有数の貿易額です。また門司
港レトロ街は観光資源として定着していますが素通り型
観光が主体で宿泊型にならない点が苦戦しています。
世界遺産などと連携した新たな観光プログラムが必要
だと思います。


門司往還

門司往還の起点もここ、常盤橋からです。


門司往還

門司往還は常盤橋の東正面の京町商店街を通っていました。


門司往還

京町商店街を抜け平和通りを渡り井筒田コレットの前に進みます。


門司往還

門司往還

井筒屋コレット前の歩道に門司往還のルートを示す銘板が埋め込まれています。


門司往還


門司往還

往還道はコレットの中を東に進みます。


門司往還


門司往還

東口を出たところに説明版が設置されています。サムネイルをクリックしていただくと説明が読めます。


門司往還

正面の道が門司往還道です。




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この記事へのコメント
往還道がコレットの中を通っている事は知らなくてちょっとビックリですが、
考えれば後でコレットが建っただけの事なので
何も驚くことでははなかったですね~(笑)(^_^;)
Posted by チョコミント at 2015年10月20日 07:00
そうですね、私も最初はちょっとびっくりしました。昔はコレットからもう少し先の
砂津川辺りまでが城下だったみたいです。タモリクラブである昔の地図と現代の地図を重ねてみることが出来る地図があると街歩きも楽しくなるでしょうね。そんな地図があれば真っ先に買います、(笑い)
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年10月20日 18:02
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