八幡大空襲

2015年06月22日

八幡東区の前田から春野町にかけて八幡製鉄所正門
一帯の繁華街は太平洋戦争中3度にわたり米軍の空
襲を受けました。特に終戦直前の1945年8月8
日の空襲では2500名以上の方が死傷され八幡駅
一帯は完全に壊滅しました。私の母は当時八幡製鉄
所に勤務しておりこの空襲では眼前で親しい友人を
亡くしたそうです。生前、この話を何度となく聞か
されました。今国会では集団的自衛権を行使できる
ようにする法改正が安倍政権によってしゃにむに進
められています。その論議の内容や手法を見ている
と一抹の不安を覚える方も多いのではないでしょう
か?現在の八幡駅周辺で戦争の爪跡を見ることはな
い位に見事に復興していますが、八幡駅前から山側
に坂を上り市民会館前のロータリーに空襲で亡くな
った方を悼み平和を希求するブロンズ像が設置され
ているのとその横の公園に供養塔が、わずかに残さ
れているぐらいです。戦後70年の節目に当たる今
年、先の大戦で尊い命を落とした日米をはじめすべ
ての兵士と民間人の方々のご冥福を祈らずにはいら
れません。


八幡大空襲


八幡大空襲



同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事画像
市丸の菅原神社
原口九右衛門さんを偲ぶ会
二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー
日は恒例の餅つきです
三谷昔語り合本続巻のつづきについて
東谷郷土誌、頒布開始
同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事
 市丸の菅原神社 (2024-04-13 09:29)
 原口九右衛門さんを偲ぶ会 (2024-03-22 05:53)
 二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー (2024-03-11 20:20)
 日は恒例の餅つきです (2023-12-27 19:25)
 三谷昔語り合本続巻のつづきについて (2023-12-25 08:37)
 東谷郷土誌、頒布開始 (2023-12-23 18:26)

Posted by メドウおじさん at 20:57│Comments(4)東谷(北九州)の紹介
この記事へのコメント
安部さんが、急いでいるのは、なんか裏で逼迫した状況なのかな?
とか思ってしまいます(汗
中東もあれですが、隣近辺もあれですから・・・(ーー;)

うちの大叔父さんが特攻隊でしたが、負傷して生き残り、
ずっと生き残ったことを悔いて死んで逝きました。
きっとあちらで仲間の隊員さんたちと酒でも飲んでると思います。
Posted by ゆこむし at 2015年06月25日 00:18
北九州は太平洋戦争中は軍事産業都市だったので八幡以外も空襲の被害を受けています。あまり知られていませんが山ヶ迫の裏の西谷山には防空監視所の遺構があります。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年06月25日 10:51
母が、戦争中、ちょうど黄金町付近に住んでいたので
空襲の時とか大変だったそうです(^^;
でも、防空壕に入るのが嫌と駄々をこねて
祖母がじゃあ、家に居るかね!ということで
入らなかったそうです(^^;
ある意味、肝の太い一家かもしれません(汗
Posted by ゆこむし at 2015年06月26日 11:31
ハハハ、ゆこむしさん、そりゃ間違いなく遺伝子のなせるわざでしょうね。(^^)
昨日NHKのローカルニュースで八幡大空襲の体験者の方の聞き取りをされている方を取り上げていました。あと10年もすると戦争体験者の方はぐっと少なくなりそうです。生の声を残すのなら今しかないのでしょうね。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年06月26日 13:43
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。