小倉藩の若き家老、島村志津摩
2013年12月25日
幕末から明治維新にかけての時代、現在もスポットが
当たるのは維新側の薩長土肥の志士たちがほとんどで
すが敗れた幕府側にも多くの開明の士がいました。
その多くの方は維新後は市井の一般人として生きた方
が多かったです。勝海舟などはその典型だと思います。
幕末の小倉藩は幕命により第二次長州征伐で小倉口の
主戦として戦いました。当時小倉藩を率いたのが20
歳代の若き家老、島村志津摩でした。奮戦むなしく小
倉藩は高杉晋作が率いる奇兵隊と今の赤坂海岸付近で
激しい戦闘になり武運つたなく敗れ、その後小倉城を
自焼させ秋月街道を南に落ち香春を拠点にし東谷と田川
郡の郡境の金辺峠に陣を張りゲリラ戦を展開し長州軍を
足止めしました。維新後、小倉藩は香春に政庁を置き
後に豊津に藩庁を移し小倉藩を存続させました。
呼野から香春の採銅所へ抜ける金辺峠には今も志津摩
を顕彰した立派な顕彰碑が残されています。
幕末期から明治維新期に小倉藩を支えた若き家老がいた
事を知る人は少ないかもしれません。またそちらは詳し
くご紹介したいと思います。
当たるのは維新側の薩長土肥の志士たちがほとんどで
すが敗れた幕府側にも多くの開明の士がいました。
その多くの方は維新後は市井の一般人として生きた方
が多かったです。勝海舟などはその典型だと思います。
幕末の小倉藩は幕命により第二次長州征伐で小倉口の
主戦として戦いました。当時小倉藩を率いたのが20
歳代の若き家老、島村志津摩でした。奮戦むなしく小
倉藩は高杉晋作が率いる奇兵隊と今の赤坂海岸付近で
激しい戦闘になり武運つたなく敗れ、その後小倉城を
自焼させ秋月街道を南に落ち香春を拠点にし東谷と田川
郡の郡境の金辺峠に陣を張りゲリラ戦を展開し長州軍を
足止めしました。維新後、小倉藩は香春に政庁を置き
後に豊津に藩庁を移し小倉藩を存続させました。
呼野から香春の採銅所へ抜ける金辺峠には今も志津摩
を顕彰した立派な顕彰碑が残されています。
幕末期から明治維新期に小倉藩を支えた若き家老がいた
事を知る人は少ないかもしれません。またそちらは詳し
くご紹介したいと思います。