紫川流域の製茶事情

2020年01月28日

紫川流域に当たる東谷を含む三谷地域では自家
用のお茶を各家庭で作り飲んでいたことは以前書
きましたがもう少し詳しい事情を知りたいと思い調
べていくと旧東谷村時代(明治から太平洋戦争の
前後まで)園芸作物として柿、ミカン、ビワの作付け
を奨励していましたが本格的なお茶の生産につい
ては記載がありません。そこでもう少し範囲を広げ
て、旧企救町(紫川中流域で桜橋以北、城野あたり
まで)で郷土史を研究されている松本洋一氏の力
作の「新企救風土記(旧企救町管内の歴史物語)の
増補改訂版」の増補部分の7pに写真付きで守恒団
地が出来る前(昭和の30年代ごろまで)は守恒団地
周辺の丘陵地ではお茶畑が広がっていました。著者
の了解を得ていないので写真をのせるわけにはい
かないのですが新企救風土記の表紙写真を載せて
おきます。一度現地を詳しく調べてみたいと思います
。どこかに今でもお茶畑の痕跡があるかもしれません。



  

Posted by メドウおじさん at 20:58Comments(0)東谷(北九州)の紹介