東谷要覧解説7(東谷村沿革3)

2020年01月13日

明治三年の廃藩置県を受け企救郡は日田県に
属し豊津藩(旧小倉藩)の配下に入るとあります。
話は変わりますが前年に発生した企救一揆の義
民、原口九右衛門さんの裁判が日田で行われ処
刑されたのは当時の企救郡が日田県の配下にあ
ったためと思われます。この項には当時の各村の
村長の氏名が記されています。
明治4年豊津藩は豊津県に改称、さらに近隣の諸
県と合併し小倉県となりました。明治5年3月に庄屋
・名主排し「扱所」を置く。明治7年土地法を改正し旧
地券台帳を廃し土地台帳を作る。明治8年7月小森
手永を18大区の7小区とし、正戸長2名と副戸長2名
を置く。明治10年、戸長を一名とし、副戸長を書記と
する。明治22年市町村制発布、旧行政区画九村
(呼野、小森、市丸、木下、井手浦、新道寺、石原町、
母原、矢山(平尾台))をもって東谷村としてスタート
する。明治32年矢山を京都郡諌山村に移管する。
明治37年、38年の頃より呼野銅山を再開する。
明治41年村是をたてさらなる発展を期する。




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解説の冒頭で「明治3年の廃藩置県を受けて・・・」と書きましたが廃藩置県は明治4年なので
何かの間違いかとも思いましたが、今回はあえて原文のままに解説を書きました。日田は江戸幕府の
天領でしたが倒幕直後の慶応4年には廃藩置県令に先駆けて日田県を設置していますので、その意味で
廃藩置県としたのかもしれませんが詳細は不明です。
  

Posted by メドウおじさん at 16:49Comments(0)東谷(北九州)の紹介東谷要覧