東谷と中谷の境

2019年01月13日

以前このブログに東谷と中谷の境を郷原の肥料会社の
横の谷川と書きましたこの小さな谷川はもう、何百年も
水が枯れることなく流れていて戦国時代には豊臣秀吉
が薩摩攻めで九州遠征をしたときに秋月街道(旧322
号線)を横切るこの谷川の水で休憩したとか言い伝え
られています。またこの場所にはお茶屋があり旅人の
憩いの場所でした。また昭和の初期にはこの場所に旅
館があり漂泊の俳人、種田山頭火が宿泊し、俳句を残し
ています。わたしはてっきりこの谷川が東谷と中谷の境
と思い込んでいましたが、最近、「昔語り」を読み込むと
境はこの場所でなく目倉橋の旧刀鍛冶の工房跡よりわ
ずかに石原町寄りのごくごく小さな流れであることが
わかりました。目倉のこの辺り一帯は石原町町内で旧
秋月街道の痕跡をたどることの出来る数少ない場所です。


旧322号線の西の山から流れる地区の境の溝です。


旧322号線の地下を横切り流れは東谷川へと続きます。


流れは旧秋月海津を横切り東谷川へ注ぎます。



旧秋月街道を横切る場所に町内の境界を示す標識がありました。

  

Posted by メドウおじさん at 19:09Comments(0)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り