古代史幻影

2017年07月08日

北九州市は昭和30年代に一時期公害都市の代名詞の
ように言われた時期もありましたがその後、企業、行政、
住民の努力で公害を克服し今では先進の環境都市とし
てその評価を高めつつあります。一方北九州は古代か
ら自然災害の少ない地域で筑紫の筑後川、筑豊の遠賀
川流域は弥生の昔からさかえ、特に遠賀川沿いは物部
氏と縁の深い地域とも言われています。
紫川流域も豊の国、企救の県の中心地として栄えたので
すが近年まで考古学的証拠(遺跡)の出土で見るものが少
なく謎でしたが近年、城野遺跡で大型方形周溝墓が見つ
かり、近くの重留遺跡では祭祀用の大型青銅剣とその工
房跡が見つかったりその他にも勾玉やガラス管の加工場
跡などが発見されており今に連なるモノづくり北九州のル
ーツを思わせます。筑紫の国、豊の国と古代史の大きな
謎を抱える福岡県は興味深い土地柄です。

これだけ完全な形の大型祭祀用青銅剣の出土は大変珍しいです。
昨年、国指定の重要文化財になりました。




方形周構墓の石棺です。内部は朱で塗り固められています。身分の高い人物だと
想像できますが不思議なのはこの石棺が子供用のものだそうです。城野一帯が
企救の県の中心地だったことが想像できます。



城野遺跡は残念なことに埋め戻されました。現在は埋蔵文化センターに復元保存されています。

今回写真はネットでお借りしました。
  

Posted by メドウおじさん at 18:19Comments(2)古代史