秋月街道、起点から香春口まで

2015年08月28日

旧秋月街道は長崎街道の脇街道として小倉から久留米ま
で通じていました。東谷はその沿道に当たり、石原町と呼
野に宿場が置かれていました。東谷を通る部分は以前紹
介しましたが今回は起点の常盤橋から香春口を紹介しま
す。
常盤橋を出発して紫川沿いを南下し、馬借町手前を左折し
銀天街の中を通り続いて旦過市場の横を通過して紺屋町
のモノレール線に出ます。ここからは三萩野手前の香春
口まですすみます。香春口とはその名前の通り街道と小
倉城下の出入り口で番所が置かれていました。その他で
は門司往還では富野口が、長崎街道では到津口があり
ます。香春口周辺では昔の遺構のようなものはありませ
んが香春口交差点付近は微妙なカーブを持つ道が集ま
っており旧道のイメージが微妙に残っています。また旧
秋月街道は小倉藩領内では香春街道と呼んでいました。
呼び名が違う理由は明確ではありませんが一つには
小倉藩とお隣の福岡藩とは江戸時代当初から不仲で
福岡藩支藩の秋月の名前を街道につけて呼ぶのは憚ら
れたのではないかと思われます。また旧秋月街道は概ね
現在の322号線に沿っていますが、城野までは西鉄の
路面電車の北方線と重なっています。

秋月街道を含む九州五街道の起点になっている常盤橋です。



常盤橋の由来や紫川河口の様子がわかる古地図が掲載されています。
クリックで拡大します。


秋月街道は紫川沿いを井筒屋の横を通って南下します。



井筒屋新館の裏を古船場町方向へ直進します。



昔の西鉄北方線の電車道を渡ってすぐに道は斜めに進んで旦過市場へ続くはずですが
現在はビルが建っています。



秋月街道は旦過市場の中を通ってモノレール線まで進んでいます。







旦過市場の内部です。日曜でお休みの店が多かったですが観光客の方の姿も
ちらほら見えました。この辺一帯は、昭和の香りが満ち満ちています。今度また
旦過周辺だけを取り上げたいと思います。



モノレールが通っている322号線を田川方面に向かって左の歩道を進むと
香春口門の説明版が設置されています。



サムネイルをクリックで拡大できます。



香春口門当たりの古地図です。この辺りはかつて紫川の湿地帯でした。



香春口北交差点の付近です。この辺りに香春口門があったのではないかとにらんでいます。



香春口には微妙にカーブする道が集まっており旧道の雰囲気が感じられます。
街道はモノレール沿いに南下します。

訂正です

秋月街道は旦過市場を進むのではなく入り口を右折して
旦過橋を渡って馬借町の旧電車道を医療センターの
前まで進みモノレール道に合流します。






旦過橋を渡り馬借町の旧電車道に出ます。





馬借町の旧電車道を通って医療センター前でモノレール道に合流します。
道の左の歩道を南下するとやがて香春口門の説明版が見えます。(上の写真です)