マンドリンクラブ入部のいきさつ

2014年09月04日

入学した当時の私は穂積荘という椹野川沿いの
一人三畳一間で50人くらい学生のいる下宿で
した。
ここは新入生が多いという事で毎日夕方になる
と多くのクラブやサークルが勧誘によく来てい
ました。そのころ私はアーチェリー部に入りた
いと思っていて勧誘に来たら入部しようと思っ
ていましたが何故かアーチェリー部は来ません
でした。そうこうしているうちに小学校から同
級生だったU尾君が学内で文科系のクラブ紹介
があるので一緒に見に行きました。当日は音楽
系のクラブ紹介をやっていました。この日が私
とマンドリンの初出会いで大げさに言うとその
後の私の人生に大きな影響を与えた出来事でし
た。当時の私は音楽にはほとんど興味がないば
かりか幼稚園の時に習ったオルガンが弾けずに
挫折したトラウマもあり楽器関係はできるだけ
遠ざけていたくらいでした。そんな具合でオケ
や合唱のクラブ紹介をぼんやりと聞いていた私
でしたがマンドリンクラブの演奏が始まるとよく
漫画で見るガーンと後頭部を一撃されたような
衝撃に襲われました。トレモロの軽快な響きも
良かったですがそれよりなによりもマンドリンを
小脇に抱えて演奏する女性の先輩の姿に見とれ
てしまいました。いわゆる一目ぼれ状態でした。
私とU尾君はさっそく入部手続きに行ったので
すが私の人生の方向に大きく影響を与えた一瞬
でした。
今考えると音楽性には全く関係のない多少不純
な動機でしたが言い訳をするならその後数々の
マンドリン音楽の名曲に触れながら次第にその
魅力に引き込まれました。そしてヘタながら一
生懸命練習に取り組みました。
さらに後日談を告白するなら私が一目ぼれした
先輩の女性にはもう、同じクラブの先輩の彼氏
がいらして私の一目ぼれは一瞬にして散ってし
まいました。
よく人生で必要なことは全部小学校で学んだと
言いますが私には「社会人としての基礎は全部
マンドリンクラブで学んだ」と自信をもって
言えます。それぐらい大事で密度の濃かった4
年間でした。



部内の発表会です。不純な動機(笑い)で入部した私ですが、その後は自分なりに
頑張りました。
  

Posted by メドウおじさん at 20:39Comments(6)山口

ハーブソルト作り2

2014年09月03日

ハーブソルト用に乾燥させていたハーブのドライ
が完成しました。いよいよハーブソルト作りです。
今年は夏なのに湿気が多くドライになりにくいと
きは電子レンジで1分チンするとパリパリになり
ます。ドライになったハーブは大まかにはさみで
切ってすり鉢に入れてすりこ木棒でゴリゴリ挽き
ます。ローズマリーやタイムなど木本のハーブは
茎が固いので葉の部分を使うと作りやすいです。
小型のフードプロセッサーをお持ちの方は使うと
楽に作れます。ある程度挽けたら目の粗いふるい
を通して第一段階出来上がりです。これを種類
ごとに作ります。あとはお好みの分量をブレンド
して最後に塩を加えます。塩は食塩なら何でもよ
いのですがこだわるなら藻塩やスモークソルトを
使ってもよさそうです。私は今回は岩塩を使いま
した。塩の量もお好みで調整してください。
出来上がったものは密閉瓶で保存しておけばかな
り長期間常温で持ちますがハーブの香りを十分に
楽しみたいときは半年くらいで使い切るようにす
るといいと思います。


今年の夏は湿気が多くドライハーブは作りにくいのですが何とかできました。



少し湿っているようなら電子レンジで1,2分チンするとよく乾燥します。



よく乾燥したハーブをすりこ木で挽いていきます。


今回は5種類のハーブと岩塩をお好みでブレンドして作りました。
フランス語風にいうと「エルブ・ドゥ・エスト・ラ・ヴィーヌ」 「東谷のハーブ」です。
  

Posted by メドウおじさん at 20:02Comments(4)ハーブ

旧秋月街道散策5(郷原~目倉1)

2014年09月01日

加用の集落を抜けると川沿いの道を南に進むと
東谷石油のスタンドの裏を通り新しい322号線
に出ます。今の322号線は4車線の立派なもの
ですが35年くらい前は今の半分以下の2車線で
した。さらに遡ると昭和10年代は車線幅2間
ほどの狭い道を小さな乗り合いバスが走ってい
たそうで今も昔もこの道は重要交通路だったこ
とがうかがえます。旧秋月街道は東谷石油の先
で322号線を横切り郷原の集落の前を通りや
がて郷原の集落が終わる少し先で右折して旧国
道に入ります。旧国道に入ったところにグリー
ンロジスティクスと呼ばれる元採石場がありま
す。この先に旧国道を横切る小川がありこの先が
目倉になります。この小川がかつての中谷と東谷
の境だったそうです。(ちなみに今は目倉の集落は
中谷の町内になっています。)




加用を抜けると郷原に向かって川沿いを直進します。前方に見える高架の先が郷原です。


上の写真を右折すると東谷石油のSSで左折するとすぐに高津尾橋で東谷川を渡ります。
街道は直進して高架下の国道322号に出ます。




お米問屋のマルヨシ物産の裏で322号線に出合います。この辺りは旧322号線が拡張されて4車線になってい
ます。旧街道は道路の向こう側の歩道あたりを通っていました(昔語りの会の説)が、もう一つ前方の竹林の裾を
通る道も残っていてこの可能性もあります。



左手前方に見える集落が郷原です。



322号線の歩道沿いにあるお宅の赤レンガ塀です。三谷にはこのような古い赤煉瓦の塀や蔵が
数多く残っています。昭和の初めまで石原町駅の隣にレンガ製造の工場があったそうなのでそ
の影響かもしれません。



赤煉瓦の塀のお宅にあるタブの木の巨木です。北九州市の保存樹に指定されています。


郷原の集落が終わると前方に見える竹林の尾根の向こう側が目倉の集落です。




前の写真の竹林の向こう側です。山すそに小道が付いていて、奥には小さなお堂があります。



お堂には山神様が祀られています。昔、各集落の里山では炭焼きや狩りなど山の恵みをいただくために
山神様を、また川の魚や稲の豊作を祈って:水神様を祀っています。



山神様の小道の先から旧街道は322号線から別れ左に折れて旧322号線に入ります。旧322号線に入って
すぐのところに元採石場(現在は堆肥工場)があります。旧街道はここから山すそに向かって坂を上ったそうです。
ちょうど上の写真あたりです。坂の上にはお茶屋があって旅人が休憩していたそうです。

旧中谷と旧東谷の境界の小川です。写真の右手が中谷村、左が東谷村だったそうです。昔はこの小川の上流の
湧水で旅人はのどを潤したそうです。