旧小倉市(小倉北区 二市一郡 53番奥の院 赤坂水かけ地蔵堂)

2024年03月14日

門司区と小倉北区の3号線の境
にある田向山トンネルの小倉側
手前、山側に赤坂水かけ地蔵堂
があります。以前(明治時代の初
め)はトンネルの北側の崖下は
波が打ち寄せる波際で門司往還
道の難所でした。海が荒れたりし
たときは、この崖下の道は通れ
ずに、田向山の南側を迂回した
そうです。地蔵堂は田向山トンネ
ルができ3号線と電車道ができた
時に山側に移されました。現在は
国道側から山側に少し入り、霊場
らしい雰囲気の場所になっていま
す。


53番奥の院は赤坂田向山トンネル手前の右側の山に少し入ったところにあります

 

入り口には水かけ地蔵尊の旗も建てられています



階段を上った奥が霊場です



白いプレートと由緒書きが置かれています


  

ムカデに刺された?

2024年03月14日

今回ムカデに刺されたと思われる画像が
最初に出てきますので気持ちが悪いと思
われる方はスルーしてください。
また薬草による自己治療はあくまでも私
の自己責任で行っていますので私以外
の責任は持てないのでお含みください。

昨日、どうやら寝ている間にムカデに刺

されたようです。はっきり確認できたわけ

ではありませんが患部がミミズが這った

ように腫れています。子供の頃にムカデ

に刺された記憶によく似ているのでた

ぶん、そうだと思います。刺されたもの

は仕方ないのでちょうどよい機会なの

で薬草を使って自己治療してみます。

ドクダミ+ヨモギ+ビワ葉+マコモで

アルコールチンキを作って塗布します。

以前蜂に刺されたときは、これで腫れ

やかゆみが収まりました。経過は

また報告します。




ミミズ腫れになっているので、多分ムカデです



ドライにした薬草をラップでくるみレンチンして蒸します



消毒アルコールにつけてチンキにします


  

Posted by メドウおじさん at 06:53Comments(0)和ハーブ

二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー

2024年03月11日

LINEグループ、二市一郡新四国霊場等を
語る会で貫方面の霊場散策と企救の名水
を汲んできました。企救の上貫の西鉄バス
終着停留所に隣接する形で「企救の名水
」の自動販売所があります。100円のワン
コインで10ℓ以上出るとありましたが、実
際は100円で20ℓ容器一杯が出ます。多
分夏の渇水期などの水量を考慮して控え
めに表記されているのだと思いますが今
の季節なら20ℓが楽に汲めました。企救の
名水は貫山系の花崗岩質で磨かれたスッ
キリした軟水の正真正銘の名水です。帰着
してさっそくコーヒーを淹れましたがとてもお
いしかったです。○○の名水というのは最近
各地にありますが、ここは本当においしいで
す。上貫のバス停までは道も広くわかりや
すいので、水好きの方にはお勧めです。
そのほかで近くの下畑・上畑集落の二市
一郡のお堂を見て回り、八番奥の院の観音
堂ではお堂を管理されておられるご夫婦か
らほうじ茶のご接待までいただきました。ご
夫婦のお話ではお堂をお守りできるのも私
たちの世代までだろうとおっしゃっていまし
たが、自宅の敷地の一部を提供されて立
派なお堂がきれいに維持されていました。





菊の名水の水汲み場です



  

旧小倉市(小倉北区 53番札所 禅宗 延命寺)

2024年03月09日

上冨野の 延命寺は53番札所です。二市
一郡の札所であると同時に北九州西国三
十三か所観音堂の札所でもあり、本堂の前
の柱に刻まれています。延命寺は古くから
のお寺で旧二市一郡の企救郡四国の札所
でもあります。住居表示的には上冨野4丁
目2-18です。刻rs上の東北鬼門の守り寺
で正式名称は東北山延命寺で黄檗宗の
お寺です。



延命寺正面です





本堂正面の柱と壁に北九州西国三十三か所観音堂が刻まれた柱と壁に架けられた
二市一郡の白いプレートが見えます



延命寺の縁起のサムネイルです。クリックで拡大できます

  

旧小倉市(小倉北区上到津(旧は堺町) 番外 編照院金剛密寺)

2024年03月08日

現在は上到津3丁目10-15の遍照院
金剛密寺は元はモノレール平和通り駅
前の十八親和銀行北九州支店の場所
にありました。明治26年に企救郡四国
霊場が発足した当時は6番札所でした
が昭和28年に現在地に移転になりまし
た。私の想像ですが現所在地の上到津
に移転したときに二市一郡からは離脱し
たのかなと思っています。移転後も平成
25年の千人参り迄、番外の札所として
行程表には書かれていました。現在寺院
の敷地にはお堂などは見当たらず立派な
本堂がありますがりませんが本堂周辺に
は多くの石仏が安置されています。




現在の遍照院です



本堂の手前に多くの石仏が並んでいます。



昭和28年に移転するまでモノレール平和通り駅まあ柄の十八銀行のあるB所にありました。
  

旧小倉市(小倉北区 番外 瑞松寺)

2024年03月07日

瑞松寺は到津2丁目12の曹洞宗のお寺
で先日記事アップした上到津公会堂のす
ぐ近くにあります。小さなお寺ですがお庭が
よく手入れされています。本堂には白いプ
レートなどは見当たりませんが境内には多
くの石仏が置かれています。二市一郡の
行程表にも載っているし、話では以前、近
くの場所から数十年前に移転したそうです。
以前の塔頭があったころに二市一郡の霊
場だった可能性が高いと思っています。
たぶん国道3号線バイパスができた時に移
転したのではないかと思っています。


上到津の瑞松寺です。



ご本堂です





境内には多くの石仏が安置されています。たぶん以前の塔頭から移転したときに運んだものと思われます。


  

旧小倉市(小倉北区 50番奥の院 到津地蔵堂)

2024年03月06日

小倉北区の到津地区はお遍路の霊場が
6ヶ所ありそのうちの都町の霊場は個人
邸ですがそのほかに今は霊場から外れ
ていますが寺院系の場所が2ヵ所ありま
す。今までにすでに2ヵ所は紹介済みで
す。今回は50番奥の院、到津地蔵堂で
す。ここは瑞松寺近くの到津公会堂とい
う地域の集会場の敷地にあります、少し
目立たない場所ですが到津公会堂で探
せばすぐに見つかります。ここは地域の
郷土史などでも紹介されています。地域
の集会場の敷地内にあるせいかきれい
に維持管理されています。




50番のお堂は上到津の公会堂の隣にあります。



  

旧企救町の二市一郡新四国霊場(番外 曽根新田 龍王寺)

2024年03月05日

干拓水田が広がる曽根新田には水田
の中の墓地の中に地蔵堂が一つありま
すが、それとは別にもう一つ貫川下流
に西山浄土宗の寺院の龍王寺があり
ます、西山浄土宗のお寺でこの宗派は
企救郡の中では二市一郡の霊場を兼
ねているところが多いです。お寺には白
いプレートは見当たりませんでしたが修
行大師像が境内にありました。


龍王寺です





白いプレートはありませんが修行大師像や石仏が安置されておりお遍路霊場は
間違いないようです。


  

旧企救町の二市一郡新四国霊場(番外 蒲生4丁目三差路 光誓寺)

2024年03月03日

住居表示は蒲生四丁目12-31蒲生
三差路脇の光誓寺はお寺という
よりは少し大きめのお堂です。現在は
無住のお寺ですが真言宗系のお寺だ
と思います。お堂の内部は拝観できな
いので白いプレートなどは確認できま
せんがお堂の前の広場(空き地)には
修行大師立像や多くの石仏が安置さ
れています。蒲生周辺にはいくつか霊
場のお堂があり、行程表で見るまでは
ここが霊場(お堂)の一つかどうか
はわかりませんでしたが今回確定でき
ました。





修行大師の像も見えます


住居表示は蒲生四丁目12-31です

  

旧企救町の二市一郡新四国霊場(番外 北方二丁目観音堂)

2024年03月02日

北方二丁目の二市一郡の霊場(お堂)は
二丁目バス停の宮崎医院の隣の一段高
くなった場所にある、10番札所、福江堂
のことだと思っていたのですが、12月に
新たに見つかった平成25年の最後の千
人参りの具体的な行程表によると、北方
二丁目のお堂は福江堂ではなく北方観
音堂が表記されています。このあたりの
いきさつは謎のままです。北方観音堂は
北方幼稚園のすぐ隣の個人邸の敷地の
中にありますが白いプレートなどは見え
ませんでした。




北型観音度は個人宅の敷地の中ですが外から拝観できるようになっています


  

旧企救町二市一郡新四国霊場(番外 蜷田若園 聖應寺)

2024年03月01日

蜷田若園の聖應寺は西山浄土宗の
お寺です。旧企救郡地域の西山浄土
宗のお寺はお遍路霊場のお堂になっ
ているところが多いです。こちらもそう
でしたが外部から見た感じでは境内
のお堂に気が付かなっかったのです
が、境内の中に石仏を集めたお堂が
あり二市一郡の白いプレートもあり
ました。ほかの場所でも西山浄土宗
のお寺は要チェックの必要がありそう
です。


聖應寺のご本堂です。

 

入り口のすぐ横に二市一郡のお堂がありました。



番外ですが二市一郡を示す白いプレートが置かれていました。

  

補腎の薬草、ヒトツバ(シダ)

2024年02月29日

しばらく二市一郡新四国の話題中心
のブログ記事にすると先日書いたの
ですがネタが不足気味なので最近の
薬草記事を書きます。先日、先月に続
いて痛風発作の全長が見えたので
、前回が発作後の痛みが尋常でなく、
まさに風が吹いても痛む状態だったの
で今回は発作が出る前に近所の内科
医院でコルヒチンを処方してもらいま
した。コルヒチンは痛風発作が発症す
る前の前兆時に服用すると効果が大
きく今回も鎮痛消炎剤と胃腸薬と合わ
せて一週間ほど服用し寛解しました。
同時に血液検査もしてもらいました。
尿酸値は7.2で一時(3,4年前)は
8.0以上あり発作も数回経験しました。
今回は数値自体はピーク時より低いも
のの長年の高尿酸値状態が続いている
ので発作が出やすいのだと思います。
(尿酸結晶が足指関節に溜まっている
のかも)医師からは一か月ほど様子を
見てファブリックの服用を始めましょうと
云われています。個人的には腎臓の
efgrの数値が60以下(54)なので要
注意レベルできれば医薬ではなく補腎
作用のある薬草(ヒトツバシダ)のお茶
を飲んでみようと思います。中医の漢方
ではヒトツバの仲間の骨砕舗という漢
方があり骨細胞の再生促進・補腎作用
がありわたしも右足首を骨折した時に
使い効果がありました。今回はこれと
類似の作用のあるヒトツバで実験して
みたいと思います。
ヒトツバのお茶の補腎効果については
ネットの薬草データベースの記事にあっ
たことなので私自身は今から試すことな
のでこの記事を見て試してみたいと思
われる方に対して責任が持てませんので
あくまでも自己判断でお考え下さい。



ヒトツバは骨西保と同じくウラボシ科なので同じような効果が期待できそうですがまだ試してないので
結果はこのブログでまた報告します。



自生地の様子です。




葉を乾燥させて煎じてお茶にして飲みます。


  

Posted by メドウおじさん at 09:11Comments(0)和ハーブ

旧曽根町二市一郡新四国霊場(第8番奥の院 下畑観音堂)

2024年02月28日

上貫奥の下畑集落には二つの二市
一郡のお堂があります。一つは8番
札所の長命寺で、もう一つが8番奥
の院の下畑観音堂です。観音堂は
長命寺への道に入る少し手前を民
家の私道を左に入ったすぐ先にあり
ます。県道からも見えるのですがま
さか8番札所の長命寺のお堂のす
ぐ近くにあるとは思わなかったので
気が付きませんでした。観音堂の裏
には谷川が流れていてその向こう

山神様の社と鳥居が見えています。
この辺りは集落の信仰の場なのだと
思います。上貫は貫大権現の芝津
神社をはじめ多くの宗教施設があり
ますが、これは信仰の山貫山の影響
があると思います。




貫、下畑の観音堂です





下畑観音堂は長命寺札所の手前にあります。
  

旧企救町の二市一郡新四国霊場(番外 八幡町地蔵堂)

2024年02月27日

八幡町は小倉商業高校の裏当たりの
二つの町内からなる小さめの街なので
隅から隅まで自転車で回って探しまし
たがどうしても見つかりませんでした。
町内にあるお寺や公民館などそれらし
き場所も探しましたが空振りでした。
半ばあきらめかけていたところ、例の
千人参りの行程表で八幡町のお堂は
八幡町から片野五丁目に行く踏切を
渡ったすぐ横の線路沿いにある小さ
なお堂でした。白いプレートもなく行程
表に載ってなければまず、わからない
場所でした。住所的には日豊線の線
路わきまでが八幡町のようです。白い
プレートがないので札所番号は不明
ですが元は番号が振られたお堂だった
気がします。現在のお堂はコンクリ製の
小さなものなので八幡町内のどこから
か移設されたものの気がします。




八幡町の地蔵堂は線路わきにありました。



八幡町から片野5丁目への踏切を渡って左側の線路わきにコンクリ製の小ぶりのお堂になっています、



金網に囲まれた中にあります。お堂へは線路向こうの道路から入れます。


  

中谷の新四国霊場(札番号不明 山本 観音堂)

2024年02月26日

中谷の山本集落には個人邸の霊場
(お堂)以外では、西方寺参道入り
口の地蔵堂、聖泉寺のほかに観音
堂があることがわかっていましたが
の所在がはっきりしませんでした。
千人参りの行程表ではその場所に
は観音堂ではなく森神様という土地
の神様のお堂、(やしろ)があります
が観音堂はありませんでした。ただ
し森神様の横にちょうどお堂(四脚
堂)ぐらいの空き地があり気になっ
ていました。北九探訪録というHPの
山本の森神様の説明ページを見る
と小さな写真ですが森神様の隣に
二市一郡のお堂でよく見る四脚堂が
写っていました。HPが10年ちょっと
前のものなので当時や平成25年の
最後の千人参り当時はここに観音堂
があったと思われます。まだそれほ
ど前のことではないので当時のこと
をご存じの方もおられるかと思うの
で一度お話を伺いたいと思います。





県道横のビニールハウス端を奥に進み、荒れ地の先に森神様のお堂が見えます

 

森神様のお堂の隣がちょっとした広場になっていました。



北九州探訪録の森神様のページに四脚堂(観音堂)が写っている写真がありました。


  

旧曽根村の二市一郡新四国霊場(第49番札所 中曽根田中 地蔵堂)

2024年02月25日

田中の地蔵堂は二市一郡の前身の
企救郡新四国霊場の頃からの古い
霊場ですが、中曽根一帯が住宅開
発に伴いその場所が不明でしたが、
郷土史家の本田さんより企救郡新
四国霊場の一覧をいただいて読む
とその所在が分かりました。現在は
お堂はすでに撤去されてその跡地
に「集いの家」が建てられ、その内
部に49番と彫られた台座があるそ
うです。いつか拝見したいものです。 






田中の地蔵堂の跡地です。ここらあたりはかつて墓地だったようです。

 

不動明王や多くの石仏が集められています



中曽根6丁目の集いの家です・ここに地蔵の台座があるそうです。


  

旧曽根村の二市一郡新四国霊場(代28番札所 沼・行宗 大同寺)

2024年02月24日

曽根方面の沼に行宗という小字の場所
に二市一郡のお堂があることはわかっ
ていてここ数年捜していたのですが旧
小字と現住所の比較ができる資料が
わからずに見つけるのに苦戦していま
したが最後の千人参りの具体的行程
表に行宗のお堂の場所がピンポイント
で掲載されており今回無事発見できま
した。場所は沼の奥の高速道路近くで
周囲は古い沼方面の集落が残っている
場所がありました。ピンポイントで示され
た場所で個人宅の住人の方がいらした
ので尋ねると、そのお宅の裏手の水田
の奥の山裾の照葉樹の木の下にある
と教えていただきました。その場所まで
行きくと周囲は笹薮でおおわれています
がお堂の周りは草が刈られて地域の方
がお世話されていることがわかりました。
お堂は施錠されて内部の様子はわかり
ませんが外から拝観させていただきまし
た。お堂も古くなっておりいつまで現状が
維持されるか少し心配です。








水田の奥の山裾の藪の中にお堂があります。ご本尊は大日如来様です・


  

旧曽根村の二市一郡新四国霊場(42番札所 寺が迫地蔵堂)

2024年02月23日

昨年末に二市一郡新四国霊場前身の
企救郡四国霊場の一覧表と平成25
年の最後の仙人参りの具体的な行程
表を入手できたので、一気に二市一郡
新四国霊場の全容の解明が進んでい
ます。本ブログは多くのテーマ別の記事
を書いていますがしばらくは、二市一郡
の記事に絞って書いていきたいと思い
ます。もしも薬草や野草、山菜の記事が
見たい方はコメントやメールでリクエスト
いただければ適宜書いていきたいと思
います。さて旧曽根町(曽根村)はほぼ
全部、調査できたと思っていたのですが、
新たにいくつも未発見のものが出てきた
ので、調査したものから書いていきたい
と思います。今回は寺が迫のお堂です。
場所は沼緑町2-5-45付近の狭めの

生活道路沿いにあります。沼中学の裏

手の坂を上った住宅地の道路沿いです。

お堂は近年小ぶりですがコンクリ製の


ものに建て替えられています。

ご本尊は地蔵菩薩でここは幕末の豊長

戦争で亡くなった小倉藩士18人をお祀

りしています。











亡くなった小倉藩士18人の碑です



お堂はこの道の先にあります


  

旧曽根村の二市一郡新四国霊場(湯川 46 番札所浄瑠璃寺)

2024年02月22日

昨年末に平成25年最後の千人参りの
具体的な行程表を見ることができ今ま
で未確認だったお堂が次々と見つか
るようになりました。そのうちの一つが
今回見つかった湯川のお堂です。場
所は湯川市民センター正面の墓地の
中に最近建て替えられた真新しい小
さめのコンクリ製のお堂がありました。
内部には金箔のご本尊と二市一郡
の霊場を示す白いプレートが置かれ
ていました。湯川から葛原、沼、吉田
にかけては今までどうしても見つけら
れなかったお堂が次々と見つかりま
した。順次ご紹介していきたいと思い
ます。


 右側の小ぶりのお堂が46番札所のお堂です



お堂の内部に白いプレートが置かれています





46番札所のお堂は湯川市民センターの正面の墓地にあります



ストリートビューに数年前の以前のお堂が写っていました


  

西谷の新四国霊場(長尾68番札所阿弥陀寺)

2024年02月10日

長尾の阿弥陀寺さんは三谷昔語りや西谷
の民族調査をまとめた「西谷」に68番札所
と掲載されていましたが、私自身何度か足
を運んだのですがその痕跡を(白いプレー
トなど)を見つけられずなんとなくモヤっと
した気分だったのですが昨日、二市一郡
仲間になったYYさんから本堂の外壁に架
けてある写真を見せていただき本日確認
してきました。確かに本堂の二階の外壁
に架けられていました。とてもよく目立つ
場所なのにこれまで何度も見落として
いたのは、私自身が白プレートはない
との思い込みが使ったからだと思います
。二市一郡のお堂の探索はカンは大事
なのですが思い込みは目を曇らせると
痛感しました。このお寺は二市一郡の
霊場でもありますが昭和二年に発足し
た三谷新四国霊場を始めるにあたっ
て発起人の方々が参集して取り決め
た大事な場所でもあり、なんだか胸の
つかえがとれたここちです。


長尾の阿弥陀寺です

 



よく見たら本堂の外壁に架けてありました。こんなに目立つのに全く気が付きませんでした



白いプレートです