昔の国境石

2012年11月26日

昔の筑前国と豊前国の国境を示す石碑が戸畑区役所前に
置かれています。戸畑区役所前が国境だったわけではなく
今の一枝にある新日鉄の引込み線の横を流れる境川の
川辺に設置されていたものを移設したようです。境川は
今は小さな直線に改修されたちょっと大き目の溝ですが
その昔はライバル関係にあった豊前と筑前の国境だった
ようです。
この碑文の筆跡が東谷に残る里程碑と同じなので豊前
国が設置したものと思います。また国境石の隣には
洞海湾を埋めて陸続きにした島の記念の碑文が置かれ
ています。ここは区役所のレトロな佇まいにしっくりきて
います。
昔の国境石
国境碑です。これより東、豊前国と読めます
昔の国境石

昔の国境石

昔の国境石
昔の国境石
碑文の説明です





 




タグ :国境石

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Posted by メドウおじさん at 19:13│Comments(2)東谷(北九州)の紹介
この記事へのコメント
つい最近、豊前と筑前の国境について興味を持ったところでした。
八幡の大蔵から田代にかけては国境を巡っての争いが絶えなかったとかで、国境石が多く設置されていたそうです。
できれば年内に河内と西谷の間にある山々の尾根(国境)を、山城跡の散策を兼ねて歩こうと思っています。
Posted by yummy at 2012年11月27日 02:01
豊前の細川藩と筑前の黒田藩は相当強いライバル意識を
持っていたようで国境についてはお互い相当神経質になって
いたようです。特に黒田藩は江戸幕府が一国一城令を出すまで
豊前藩との境に若松城や黒崎城等国境沿いに6つの出城を作って
警戒していたようです。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2012年11月27日 18:18
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