東谷の旧秋月街道

2012年08月27日

秋月街道は旧国道322号線沿いとほぼ一致して
小倉北区の常盤橋を起点にして香春口から徳力、
東谷、から採銅所、さらに古処山を越え秋月を経て
久留米にいたる街道です。江戸時代の九州のメイン
街道といえばどうしても小倉から長崎にいたる長崎
街道ですがそのほかにも筑前・福岡藩から肥前・
唐津に至る唐津街道や大分方面に延びる中津街道など
興味深い旧街道がいくつもあります。
秋月街道は長崎街道のバイパス的役割を果たし一時は
ずいぶんとにぎわったときもあったそうですが江戸時
代に秋月藩が街道が藩内の重要な場所を通るため街道
筋を強制的に変えたせいで不便になりやがて廃れたそ
うです。江戸時代以前にも豊臣秀吉が島津遠征のルート
として秋月街道を利用したといわれています。
東谷には今も旧国道322号線沿いに秋月街道の名残り
を見ることができるのでたどってみました。


加用からの旧街道(秋月街道)で高津尾の東谷石油の
裏辺りです。


旧国道の目倉バス停から旧街道が左に伸びますが
すぐ先でまた旧322号と合流します。

目倉から先は石原町の集落を通る旧322号線と
秋月街道は重なりますが山ヶ迫との境の石原町1組
あたりで右に旧街道がそれますが、ここも少し先で
旧322号に合流します。
このあとはしばらく旧322号と重なります。

東谷中学校の先で木下の本村の中を旧街道に入ります。

古い立派な家並みが続く木下の本村の中を
秋月街道は通ります

本村を抜けると旧322号線に出ます。ここを横断して
亀の甲の田んぼの中を進みます。

ゆるいカーブが続きいかにも旧街道の雰囲気があります。
この先で市丸の入り口で旧322号線に再び合流します。
ここから平尾台の麓の東谷川沿いに進む道と
旧322号を進む道とどちらが旧街道なのか
ちょっとはっきりしません。

市丸から先は旧国道と重なっています。呼野の先の
踏切を越して上呼野のバス停の先から左に下って
行く道が旧街道で頂吉口の先から国道を左に
それて金辺峠に旧街道は登って行きます。
秋になって季節がよくなったら旧金辺峠を
あるいてみたいと思います。















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この記事へのコメント
私は高津尾しか分かりませんが。
高津尾を、香春街道がどう通っていたか、なのですが、
昔、高津尾の東谷川の東側や川の側は、湿地帯で、雨が降ると灌水していたようです。数年前の洪水でも分かると思います。
大正の時代になるまで、少なくとも、今の山川地区には家や田はなかったようです。
上松から蓑田を通るコースも、もちろん、ブログのこのコースも通っていたとは思いますが。
おそらく、丸山の腹切石を過ぎた街道は、西にむかい、高津尾の丘陵地を通って釜蓋、郷原、目倉と抜けていたように思います。
昔の高津尾のメイン道路です。
特に根拠は無いのですが、地形的に考えると、これしか無いのです。
322は山を切り崩して、強引に真っ直ぐ造られているように思います。
私の妄想かも知れませんが・・・
Posted by ひなばった at 2014年04月03日 22:30
ひなばったさん、新しい情報をありがとうございます。少し補足すると秋月街道は桜橋から先は322号から外れて嵐山の山すそを通り、加用橋を渡り腹切石を過ぎてまっすぐ郷原へ向かったと思っていましたが、ひなばったさんの説は腹切石の先を右折してて高津尾の集落を抜けて郷原に向かったということですね。確かに山川地区あたりは昔は湿地帯だった可能性はあるので街道も迂回していたかもしれません。中谷村や東谷村の村誌が残っていれば何かわかるかもしれませんね。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年04月04日 19:42
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