東谷の義民、原口九衛門

2011年12月14日

今日12月14日は赤穂義士の討ち入りの日ですが東谷にも
立派な義民がいらっしゃいました。
明治2年維新の混乱が治まらない頃、豊前国小倉藩は長州の
支配下にありました。東谷を含む企救郡では過酷な税の取立てに
苦しんでいて九衛門氏は農民の代表として代官と交渉していた
さ中突発的に一揆が起こり瞬く間に郡内一円に広がりました。
一揆は間もなく鎮圧されたのですが九衛門氏は一揆の首謀者
として無実の罪で捕らえられました。九衛門氏は旧天領の日田へ
送られ形ばかりの裁判にかけられ死罪に決まりましたが九衛門氏は
潔く自分の弁解や反論などせずに、他の農民に累が及ばないように
訴えたそうです。その後九衛門氏は処刑されましたが今でもその
徳を称え、東谷興農会館の玄関脇には立派な石碑が建てられ地元の
皆さんの尊敬を集めています。
東谷の義民、原口九衛門

立派な石碑がたっています。

東谷の義民、原口九衛門

東谷興農会館です。


タグ :原口九衛門

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