加用の切腹岩
2011年10月11日
中谷川と東谷川が合流するあたりが加用の集落です。
ここから東谷川を上流に向かって右手の道が旧街道です。
これを進むと道の左側にひっそりと加用の切腹岩があります。
古い説明が機によるとその昔、大友軍との戦に敗れた香春の
領主の身代わりに山川某氏がここで敗戦の責任を領主の身代わり
になって切腹したそうです。お酒のお供えもされていますが
あまり大切にされているように見えないのが残念です。
この加用の地は明治の初年の頃は東谷を含む三谷地区の中心地
でした。この地域の初の小学校もこの近辺に設立されたようです。
今は街道自体も国道322号線側に移ったためこの旧街道を通る方は
地元の方以外はほとんどなくひっそりとした様子です。
ここから東谷川を上流に向かって右手の道が旧街道です。
これを進むと道の左側にひっそりと加用の切腹岩があります。
古い説明が機によるとその昔、大友軍との戦に敗れた香春の
領主の身代わりに山川某氏がここで敗戦の責任を領主の身代わり
になって切腹したそうです。お酒のお供えもされていますが
あまり大切にされているように見えないのが残念です。
この加用の地は明治の初年の頃は東谷を含む三谷地区の中心地
でした。この地域の初の小学校もこの近辺に設立されたようです。
今は街道自体も国道322号線側に移ったためこの旧街道を通る方は
地元の方以外はほとんどなくひっそりとした様子です。
加用の切腹岩です。
加用のあたりの旧街道です。
Posted by メドウおじさん at 17:38│Comments(0)