北九州市の国境石

2016年08月27日

北九州市は江戸時代は今の八幡東区と小倉北区で豊前国
と筑前国が国境を接していました。東区の河内の奥、田代
から流れる大蔵川(板櫃津川)沿いに三条辺り、金毘羅池
から流れる境川が両国の国境になっていました。当時は洪
水で川の流れがたびたび変わり、両国は国境の事で揉め
ることも多かったようです。両国の境には十数基の国境石
が建てられ今もいくつか残っています。最もすべてが当時
の場所に残っているわけではなく、一部は移設されたり、
レプリカに置き換わったりしています。現在北九州市は昭
和38年に五市が合併しもう50年以上になりますが個人的
感想では旧豊前国の門司と小倉、旧筑前国の八幡、戸畑
、若松との間には何とも言い難い微妙な感覚の温度差が
あるようです。

北九州市の国境石

まもなく取り壊しが始まる旧八幡図書館前にある国境石です。元は三条辺りに建てられていたようです。


北九州市の国境石

説明版です。クリックで拡大します


北九州市の国境石

境川の中原辺りにあった国境石です。現在戸畑図書館横に移設されています。


北九州市の国境石

オリジナルの場所近くに建てられている説明版です。境川の中原にあります。


北九州市の国境石

戸畑図書館横の説明版です。


北九州市の国境石

境川河口に残されている国境石です。台座に説明書きが残されています。




同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事画像
原口九右衛門さんを偲ぶ会
二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー
日は恒例の餅つきです
三谷昔語り合本続巻のつづきについて
東谷郷土誌、頒布開始
志井の四井、最後の一つが見つかる
同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事
 原口九右衛門さんを偲ぶ会 (2024-03-22 05:53)
 二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー (2024-03-11 20:20)
 日は恒例の餅つきです (2023-12-27 19:25)
 三谷昔語り合本続巻のつづきについて (2023-12-25 08:37)
 東谷郷土誌、頒布開始 (2023-12-23 18:26)
 志井の四井、最後の一つが見つかる (2023-12-10 20:15)

Posted by メドウおじさん at 19:10│Comments(2)東谷(北九州)の紹介
この記事へのコメント
メドウおじさん こんにちは。
国境石も石の種類によって趣が違ってきますね。
メドウおじさんもご存じとは思いますが、金辺峠の国境石は劣化が激しくいずれ倒壊しそうな気がします。それでも、当時の場所にあってこそ貴重さが増しますね。
Posted by yummy at 2016年08月30日 12:01
yummyさん、やっと何だか暑さの峠も越えたように思います。金辺峠の境界石ですが、あれは郡境石といって企救郡と田川郡の境界を示すものなんです。他にも里程標と言って街道の起点からの距離を示すものですが今でいう道路標識ですね。こうしてみると日本の江戸時代の交通システムはよくできていると感じます。おっしゃるように境界石は元のオリジナルの場所にあってこそ意味があると思います。やむを得ず移設するにしても元の場所を示す、説明版などを設置してほしいですね。金辺峠の郡境石は崖地に設置されているので土砂崩壊すればアッというまに倒壊するでしょうから心配です。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2016年08月30日 18:40
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。