新道寺・丸山にキリシタンの影

2015年08月23日

石原町町内の南に隣接するのが新道寺町内です。石原町
の町名の謂れは先日少し触れましたが新道寺の町名も古
くて江戸時代にはすでに新道寺村として存在していまし
た。来年は長崎のキリスト教関連遺産群が世界遺産登録
に向け正式に審議されます。東谷の「新道寺」という名前
には何故かキリスト教、それも隠れキリシタンの影
を感じると昔語りの筆者は語っています。別の研究
者も平尾台(当時は広野と呼ばれていました)の住
民にキリシタンの影を感じると言っています。私自
身は新道寺という地名、「新しい道の寺」この場合の
「道」は宗教を挿しているのではないか。新しい宗
教の寺、つまり教会がこの辺りにあったのではない
かと思っています。また昔語りでは平尾台の住民の
方には今も壱岐島との関係を連想させる姓の方が多く
いらっしゃると言っています。壱岐の島と言えば一時
キリスト教が盛んだった場所です。また呼野の金鉱
山開発には多くの外国人技師の方が関与したそうで
彼らの日常信仰の場として東谷に一時期教会が存在
したとしてもおかしくないと言っています。いずれも
確証はありませんが歴史好きにはこうして想像を膨
らませるのもミステリー小説を読んでいるようで楽し
い作業です。


新道寺・丸山にキリシタンの影


新道寺・丸山にキリシタンの影
丸山地区には新道寺の中でも古くからの住民の方が多いです。明治時代以前の新道寺村の
中心地でした。今も古い町並みが感じられます。


新道寺・丸山にキリシタンの影

バス停には丸山、新道寺の名前が残っています。

新道寺・丸山にキリシタンの影

平尾台の台上にも、かつてキリシタンの影を感じます。




同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事画像
市丸の菅原神社
原口九右衛門さんを偲ぶ会
二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー
日は恒例の餅つきです
三谷昔語り合本続巻のつづきについて
東谷郷土誌、頒布開始
同じカテゴリー(東谷(北九州)の紹介)の記事
 市丸の菅原神社 (2024-04-13 09:29)
 原口九右衛門さんを偲ぶ会 (2024-03-22 05:53)
 二市一郡新四国霊場等を語る会、貫水汲みツアー (2024-03-11 20:20)
 日は恒例の餅つきです (2023-12-27 19:25)
 三谷昔語り合本続巻のつづきについて (2023-12-25 08:37)
 東谷郷土誌、頒布開始 (2023-12-23 18:26)

この記事へのコメント
なるほど、新道寺の地名のメドウおじさん推測説は頷けますよ!
そのように深く考えると何だかロマンを感じますよね~
(CMも昔の事をあれこれ想像するのが好きなタイプですが)
こういうのって、男性が得意のように思いませんか?
女性と男性でロマンのイメージが違うように思えますよね~(笑)
Posted by チョコミント at 2015年08月24日 06:52
>こういうのって、男性が得意のように思いませんか?

ハハハ、そうかもしれませんね。うちの奥さんも全然興味がわかないみたいです。最も男性でもかなり少数派のように思います。アレレ?ということはチョコミントさんも少数派?
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年08月24日 17:45
新道寺にキリシタンの影ですか。興味深い推測ですね。
メドウおじさんがそう感じるのであれば、案外真実かもしれません。
更なる確信が発見されるといいですね!
そういえば、新道寺について興味深い話を聞きました。
メドウおじさんはご存じだと思いますが、平尾台の三分の二は新道寺です。そしてそこは苅田町等覚寺のお隣でもあります。等覚寺には本谷や北谷が今も残っていますが、この谷から見ると東谷は西谷となるそうです。これで、私的には砲台跡の西谷山の由来が納得できたのですが、定かではありません。
Posted by yummy at 2015年08月24日 22:29
なるほど、そうかもしれませんね。それであの山は東谷にあるのに西谷山なんですね。それにしても頂吉から高津尾にかけての尾根筋には稗畑山城、木下城
などの中世山城があり興味深いのですが、なにせ山の荒れ方がひどくて足を踏み入れる勇気がわきません。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2015年08月25日 11:26
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。