残念な報告

2014年06月11日

中谷川と東谷川が合流する加用地区は数年前に起きた
水害対策として合流地点を中心に護岸の改修工事が行
われていました。加用のこの辺りは川岸に沿って旧秋
月街道が通っており丸山が東谷川に迫っていて川床も
岩盤が露出して早い瀬の流れになっていて昔の旧街道
の様子がしのばれる場所で私のお気に入りのスポット
でした。ところがつい先日この場所を通ると様子が一
変していました。私のお気に入りの古い石積みの護岸は
取り壊され、岩盤の露出した瀬もブルドーザーで破壊
されて平らな川底になっていました。新しい護岸はコン
クリの一面張りで直線的な護岸になっています。ネコヤ
ナギなどの河川植物は根こそぎ取り除かれ消滅していま
した。水害対策として直線的な流れに改修するのはある
程度理解できますがもう少し自然環境を残す工夫ができ
なかったものかと、とても残念な思いです。石原町の蛍
橋上流の河川改修では護岸の一部は河川植物が再生しや
すい作りになっています。聞いた話ですが工事の事前の
住民への説明会で護岸の自然植生の再生が進みやすい工
法の採用を依頼したそうです。行政も住民の意思をある
程度くみ取る姿勢はあるので本当に残念です。
またここには古い赤レンガ造りの用水路の排出口があり
農業遺構として興味深かったのですがこれもきれいさっ
ぱり取り壊され、真新しいコンクリ護岸の一部に味もそ
っけもない排出口の穴がぽっかりと開いています。唯一の
慰めは取り壊される前に写真を撮っていた事です。
先般の志井駅舎の取り壊しもそうですが文化財指定でも
受けない限り古いものは簡単に取り壊されます。今歴史
遺産は保存の機運が全国的に高まりつつありますが身近な
ものはまだまだのようです。


残念な報告


一面張りに改修された護岸です。真ん中に空いたところに
レンガ造りの排出口がありました。


残念な報告
かつての上の写真の風景です。奥の岩場にレンガ造りの排出口が
ありました。もう二度と見ることができない風景です。



残念な報告


農業遺産クラスの遺構だっただけに本当に残念でなりません



残念な報告


コンクリート「一面張りにあった古い石積みの護岸です。
川床へ降りることができる親水性もありました。


残念な報告

加用橋の少し上流側です。下の写真は以前の風景です。


残念な報告


残念な報告


河川改修の最終地点ですがこの先には少しだけ以前の景観が残っています。




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この記事へのコメント
残念です、長い歴史の積み重ねからできた自然が、石の塊と変貌する。
先日ホタルを探しに八女方面に行きましたが、以前見たホタルはなく護岸工事の途中でした。あの時の蛍は、もう見えないのでしょうね。
Posted by カバチャンカバチャン at 2014年06月11日 23:13
風景が一変していることに、
色々な事情がある事を深く考えさせられました。

>またここには古い赤レンガ造りの用水路の排出口があり
>農業遺構として興味深かったのですが
残念ですね~ 
さりとて、残すとなれば全体の護岸整備にどのような
形で組み込んで残すのか?と言うことになるでしょうし・・・
非常に難しい問題ですね。

このように工事の前後写真を比べると
一目で分かりやすいですね!
Posted by チョコミント at 2014年06月12日 07:31
カバチャンさん、はじめまして。この場所は昔の紫川の風情が残っていて貴重な場所だっただけに残念です。八女のほうは昨年の洪水で復興が大変でしょうね。蛍は河川環境が変わるとあっという間にいなくなります。東谷の井手浦では40年前に浄水場ができ、その時に隣接する井手浦川がコンクリの
3面護岸になって蛍もいなくなったのですが最近復活しつつリます。井手浦川は平尾台の湧水が水源で水がきれいなこと、川床に長い間に土砂が適当に溜まり植生が回復して蛍の幼虫が生息しやすくなったこと、餌のカワニナも発生が回復したことで蛍が復活してきたのだと思います。復活してきたとはいえ40年という長い期間を考えると気が遠くなります。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年06月12日 18:51
チョコミントさん、河川改修に対するスタンスは本当に難しいです。実際にその場に住んでいる方のことを考えれば、単純に反対ともいえませんしね。
レンガの排水溝にしても今の護岸にそのまま残すのは無理でしょうし。ただ護岸工事がこの場所まで必要だったかどうかは若干疑問があります。地元の水利権を持たれている方がどう思っていたかもカギでしょうし、部外者が
安易に口は出せないようにも思います。
ずいぶん以前に紹介しましたが桜橋の円形分水筒も貴重な「農業遺産です。
こちらは現役稼動していますのでそう簡単にはなくならないと思いますが油断はできません。九州ではかなり珍しい施設らしいです。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年06月12日 19:07
紫川とその支流はほぼ完全に川底を掘り下げられました。
5年前の洪水に耐えうる保水量を得たと自負しているようです。
もう川とは呼べません。
10年ほど前、大阪の友人が紫川を見て自然の豊かさに驚いていたしたが、今では何も自慢できるものが無くなりました。悲しい限りです。
Posted by yummy at 2014年06月13日 18:32
なるほど、母原川の改修も同じ考えで進められたのですね。護岸工事についてはもう一回書こうと思っていますが、私たちが生きている間の「川」の復活は難しいかもしれませんね。残念です。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年06月13日 19:42
確かに難しい問題ですね。数年前の大雨の時に、加用橋の上流の道を通ったのですが、凄い状態でした。左岸側に住まわれている方は家を失う恐怖、避難しなければ死さえ覚悟しなければならない状況。右岸側の集落は、完全に陸の孤島になっていました。私が通過した後、もっと雨が降りましたのでもっと凄まじい事になっていたのでは…
紫川と東谷川が合流する、あの辺りは
それから県が護岸改修を始めたようです。
私も20数年前、いや30年になるでしょうか、ほたる橋周辺の護岸改修で蛍が激減したのを悲しく思いました。当時水害で被災された方の事を思うと、心から本当にそんな事を言って良いものではありませんが。難しい問題ですよね。ただメドウさんは、フットワークが素晴らしいので尊敬いたします。写真で残されていますので記録とメドウさんの心には刻まれていますよね。
長文失礼しました。
Posted by おたけ at 2014年06月14日 00:53
おたけさん、はじめまして。コメントありがとうございます。あの大洪水を実際に見られたのですね。当時私は福岡でしたので映像でしか見ませんでしたが
すごい水の勢いに驚いたのをよく覚えています。当時被災された方のことを思うと一刻も早く安全対策がほしいという切実な気持ちもよく理解できるのでただ単純に改修反対とも言えません。ただその工法や改修の進め方を見ているとあまりにも機能優先で景観や環境への配慮が浅いと思います。この辺の問題は行政だけでなく住民の側にも考えなければいけない難しい問題があると思っています。
Posted by メドウおじさんメドウおじさん at 2014年06月14日 07:44
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