小倉鉄道、下呼野停留所
2014年04月26日
かつて東谷には小倉鉄道の正式な駅(石原町、呼野)の
他に三つの停留所がありました。そのうち二つの木下と
母原の停留所跡はすでに紹介しました。残りの一つが下
呼野です。小倉鉄道(現、日田彦山線)は市丸から先は
土盛をした土手の上を走っています。下呼野の停留所は
西鉄バスの中小森と小森のバス停の中間くらいの場所に
あったと聞いていたので早速現地を探索しました。
やはりここも母原と同じで当時の遺構は残っていません
でした。わずかに人が歩いて線路を渡った踏み跡と線路
脇に土止めのようなコンクリ構造物の跡が認められまし
た。多分この場所がそうだったと思われます。
他に三つの停留所がありました。そのうち二つの木下と
母原の停留所跡はすでに紹介しました。残りの一つが下
呼野です。小倉鉄道(現、日田彦山線)は市丸から先は
土盛をした土手の上を走っています。下呼野の停留所は
西鉄バスの中小森と小森のバス停の中間くらいの場所に
あったと聞いていたので早速現地を探索しました。
やはりここも母原と同じで当時の遺構は残っていません
でした。わずかに人が歩いて線路を渡った踏み跡と線路
脇に土止めのようなコンクリ構造物の跡が認められまし
た。多分この場所がそうだったと思われます。
踏み切りでもないのに人がわたる踏み跡ができています。
反対の土手を降りると旧322号線に出ます
反対の土手を降りると旧322号線に出ます
古いコンクリートの構造物の跡が見えますが
これが停留所跡かどうかははっきりしません
が多分そうではないかとにらんでいます。
Posted by メドウおじさん at 18:59│Comments(0)
│勝手に近代化遺産