平尾台陸軍演習地境界杭

2017年08月24日

すみません、ほぼ同じ内容を昨年12月にアップしていました。
せっかく書いたので今回はこのままさせていただきます。

平尾台の国定公園域は現在多くのハイカーで賑わっていま
すが明治から昭和の時代の前半までは陸軍の演習地とし
て使われていました。周防台から茶屋が床にかけての一
帯は、その中心地だったようです。それでこの辺り一帯に
は今でも陸軍時代の諸施設の跡が多く残されています。
特に吹上峠から大平山登山道から周防台へ向かう周回
路沿いには陸軍の演習地を示す境界杭が多く残り今でも
普通に見ることが出来ます。その他にも水道の鉄管跡な
ども残っていますが、廃墟マニアか私のようなもの好き
でないとまず気がつかないと思います。国定公園内とい
う事で今まで手つかずで偶然残ったものと思われます。
平尾台自体の歴史は大変古く第12代天皇景行天皇の
時代の言い伝え、青竜窟の土蜘蛛伝説などが伝わって
います。




大平山から周防台方面ですが正面の草原が主な演習地だったようです。


陸軍演習地を示す境界杭です。



小穴付近の遊歩道の地表に露出した水道管です
  

Posted by メドウおじさん at 19:59Comments(0)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り