徳力の地名の由来

2016年08月11日

今までブログには書いていなかったのですが私のもう一つ
のライフテーマともいうべきものに福岡県の古代史があり
ます。
ちょうど大和政権確立前後から古墳時代にかけてです。
一般の歴史観としてはその実在性が疑問視されている神
功皇后ですが北部九州、とりわけ福岡県や山口県、下関
には実に生き生きとしてリアルな伝承が数多く残されてお
り、私には彼女が単なる架空の人物とはどうしても思えな
い節があります。この時代の事は文献上では古事記、日
本書紀にわずかに書かれている程度で考古学的には不
明なことが多いです。ただ福岡県各地には皇后の生々し
い伝承が数多く残っています。
その一つで東谷に近い現在の徳力の地名にまつわる伝
承があります。皇后が三韓を攻めるときに多くの軍船用
の木材をこの地を統治していた物部氏がここで調達した
ところから「採り木」→「とくりき」に変化したというものです。
皇后の伝承はほかにも軍船の帆柱用の木を採った山が
帆柱山で皇后が豊ノ浦から九州に乗り込んだとき洞海湾
を通るとき皇后が上陸した場所が皇后﨑の地名に残って
います。
皇后伝承の多くは神社に多く残っており私が敬愛する綾杉
ルナさんの著書「神功皇后伝承を歩く(上)(下)に詳しい
です。





古代、大和政権を支えた大豪族の物部氏の伝承が残る徳力嵐山の造化大神宮です。

なお、今回の採り木→とくりき(徳力)の地名由来は綾杉ルナさんの仮説を引用させて
いただきました。
  

Posted by メドウおじさん at 11:51Comments(8)古代史