小倉衛成病院跡

2015年09月30日

現在北方にある小倉医療センターはその前身は国立病院
でさらにその前は陸軍病院(小倉衛生病院)でした。実に
150年近い歴史があります。医療センターの周辺は小倉
南区役所、南警察署、北九州高校、北九州大学、などが
集まる南区の官公庁街的一角です。その隣の一角は陸上
自衛隊の北方駐屯地がありその昔、小倉が軍都だったこ
ろの名残りを感じます。ここ小倉衛生病院には明治時代
の文豪、森鴎外(森林太郎)が軍医部長として勤務してお
り院内の敷地を騎馬で巡回していたそうです。鴎外と東谷
には意外なつながりがあります。山ヶ迫の法円寺さんに
山家先生の顕彰碑があります。山家先生は無法松酒造
(山家酒造)の明治の初めのご当主で東谷の初等、中等
教育に私財を投じご尽力された方です。鴎外は山家先生
と親交がありこの顕彰碑を揮毫しました。
このようにここ、小倉衛生病院跡は森鴎外を深く知る貴重
な遺跡の一つです。



現在の小倉医療センターです



衛成病院跡の石碑です



石碑の後ろにある塀が旧衛成病院時代のものです。古い鉱滓煉瓦でできています。




こちらは東谷、法円寺さんにある山家先生の顕彰碑です。


  

Posted by メドウおじさん at 20:16Comments(4)勝手に近代化遺産東谷(北九州)の紹介