東谷の宿場町と種田山頭火

2015年09月20日

東谷の石原町と呼野はかつて秋月街道の宿場町でした。
明治になって以降乗合馬車や大正4年の旧小倉鉄道の
開業などで宿場町としての機能は徐々に廃れていきました
がそれでも石原町の小倉よりの目倉の集落には祝出屋
さん、呼野には城井屋さんという旅館が昭和の初めまで
ありました。当時自由律俳句で有名だった漂泊の俳人、
種田山頭火がこの宿を利用しています。山頭火は隣町の
香春に親しい知人がいて何度か訪問してその際に呼野と
目倉の宿を利用したそうでその時に作った俳句がいくつか
あります。香春では山頭火との縁にスポットを当てて立派な
句碑もいくつか建てられていますが北九州には残念なことに
ほとんど記録も残っていない状態でしたが昔語りの同人の方
が調査され当時つくられた俳句や宿泊したときの様子などが
三谷昔語りの中にかかれています。


目倉にある肥料工場ですが、ちょうどこの場所が旅館、祝出屋さんがあった場所です。
山頭火の日記に、昭和7年、5月30日にここに宿泊し俳句を作ったことがjy書かれています。

「山の家のラジオがこんがらがったまま、ここにも畑があって葱坊主」 この時の山頭火の句
です。



祝出屋さんがあった場所のすぐ隣に太閤ゆかりの谷川が今も流れています。



呼野の城井屋さんのあった場所です。今も子孫の方がお住まいです。プライバシーの問題があり
ますのでボカシを入れさせていただきました。いつかチャンスがあればお話を伺いたいです。
ここでも山頭火が昭和7年5月2日に宿泊し、ここでも自由律の俳句を残しています。




山頭火ゆかりの旅館の事が書かれている昔語りの6巻(続編)です。この本の133p~138pにかけて
詳しく書かれています。昔語りはこの巻が最後の発行です。
  

Posted by メドウおじさん at 08:34Comments(8)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り