呼野鉱山小史

2015年07月19日

北九州市の南端にあり田川郡香春町と郡境を接する呼野
の町内は旧秋月街道の宿場町でもありましたが同時に古
くからの鉱山の集落でした。古くは奈良の大仏の鋳造に
この辺の銅が使用されたとあります。町内にある大山祇
神社は鉱山の守り神で境内の大銀杏は福岡県の天然記念
物に指定されるほどの巨木です。呼野の鉱山はその後も
金や銅を産出し国道を挟んだ東西の山には今もその坑口
が残っているそうです。(東谷昔語りより)特に江戸時
代に小倉入りした細川候は金山開発に熱心で呼野の他に
も木下にも金鉱山があったそうです。細川候の後に小倉
入りした小笠原候は金山開発にはあまり熱心でなくその
後徐々に廃れていきました。明治になって吉原鉱山が採
掘を再開し一時は多くの鉱山関係者で呼野の町はにぎわ
ったそうです。その吉原鉱山もやがて閉山し戦後日本磁
力選鉱が引き継ぎ昭和の40年代初めまで採掘していま
した。私が小学校の高学年の頃にここのずり場でクジャ
ク石や黄銅鉱・ザクロ石などの鉱石を採集したのを憶え
ています。またその他ではお糸池の少し先に旧浅野セメ
ントの石灰石の貯石場があり巨大なサイロ跡があり今は
廃墟化しています。昭和30年代の初めまで操業してい
て日田彦山線からの引き込み線もありました。また金辺
峠の旧金辺トンネルの手前の旧道脇には造園に使う寒水
石の鉱山跡があり工場の機械群が廃墟化しています。
その他にも東谷には井手浦や志井に小規模な石灰石鉱山
が存在していました。今は市丸から呼野にかけての平尾
台で住友、三菱が石灰石の採掘を行っています。


今も砕石が進む東谷の石灰石鉱山です。左が住友で右側が三菱です。真ん中の部分は
両社の共同開発鉱区です。 
  

Posted by メドウおじさん at 14:12Comments(6)東谷(北九州)の紹介三谷昔語り