秋月街道散策2(古川周辺)

2014年08月03日

小嵐山の麓を上流に進むと間もなく古川の集落
が見えてきます。今は古川という住所はなくな
り徳吉東と呼ばれます。わずかに地区の公民館
に古川の名前が残っています。この集落は古い
歴史のある集落で集落の裏山の山頂にはかって
(戦国時代より前)長野氏の一族が山城を築い
ていました。(椎山城)古川の集落は登城の際の
入り口にあたります。言い伝えではお城の奥方
や姫様は古川の集落で籠を降り輿に乗り換えて
山道をお城に向かったそうです。山城は高さは
そうでもないですが斜面は急なので結構大変だ
ったと思います。私は登ったことがありません
が山頂の尾根道には山城の跡らしきものが残っ
ているそうです。


小嵐山の先を進むと古川の集落に至ります。この日の紫川はずいぶんと増水しています。


古川の集落から後ろを振り返ると小嵐山の山並みがきれいです。



古川の集落を対岸から見ています。


民家の裏山が少し伐採されています。この近辺は風致地区なのでこれ以上は伐採できないはずです。
(伐採されている範囲はぎりぎり風致地区にかかっていないようですが微妙です。



古川の集落の裏山です。この山並みの尾根筋の奥の方に椎山城がありました。


 

古川の集落と中谷の徳光を結ぶのがきねん(亀年)橋です。最初にこの橋を作った時に橋台
のあたりから大きなカメがいたことから橋の名前になりました。橋の一部にこの話を説明した
銅版画が埋め込まれています。







亀年橋から上流側を見ると東岸は今では珍しい自然護岸が加用の集落まで続いています。



椎山の山裾が川岸まで迫って迫力ある自然護岸が出来ています。この近辺は風致地区でないのが
心配です。対岸は護岸改修されて昔の面影はありません。古川の亀年橋から加用に至る旧街道
沿いは残す価値が十分にある景観です。