若松の軍艦防波堤

2012年08月25日

若松の響灘埋立地の東南の洞海湾よりの場所に旧日本
海軍の駆逐艦を沈めて防波堤にしたところがあると聞
いていたので実物を見たいと思い出かけました。
響灘大橋を渡り最初の信号を右折し100mほど進み
右折して南下するとやがて貯木場の跡に出ますが
ここに軍艦防波堤の一部が残っています。
今も船体の一部が残る駆逐艦・柳、今は防波堤の役目を
終え岸壁のコンクリの中で静かに眠る駆逐艦・涼月と
冬月。3隻の旧駆逐艦は戦後物資不足の中で洞海湾を
高波から守るため最後の役目を沈船防波堤として果たし
その生涯を終えました。特に冬月と涼月は戦艦大和の
沖縄特攻の僚艦として同行し、大和は鹿児島県沖で
撃沈されましたがこの2艦は自らも大破しながらも
大和乗務員を多く救助し必死の思いで自力で帰還した
そうです。この両艦の活躍がなければ大和の最後の
様子が伝えられることは無かったと思います。
そのほかにも、この場に立つと様々の思いがよぎり
ます。戦争遺産についてはプラス、マイナス様々の
評価があることは承知しています。ですがここの
遺産が第一級の戦争遺跡であり産業遺産であることは
間違いありません。冬月と涼月はすでにコンクリ護岸に
封印され、柳の残された船体も腐食が進み崩壊寸前で
保存処置がとられていますがそれでもこの遺跡の価値に
比べ十分では無い様に思います。
一般市民の方も含め多くの方に関心を持っていただき
たくここで取り上げさせていただきました。




上の2枚は駆逐艦、柳の船体の上部です。
今は護岸の中に半分埋まっています。

艦尾からの写真です。コンクリで充填され
ていますが船室の仕切りの跡が見て取れます


この護岸の中に冬月涼月は眠っています。
 
説明の看板が設置されています。
  
タグ :軍艦堤防


Posted by メドウおじさん at 18:32Comments(6)勝手に近代化遺産