東谷川源流を追って①

2012年01月10日

私が以前住んでいた福岡の香椎は東区の市街地で周辺は
丘陵を開いて作った信仰の住宅地が多い地域でした。
一方、香椎宮など歴史遺産も多くあり都市部の中では
古くからの自然も離れ小島状態でぽつぽつと残っていました。
そこを流れる河川も中小の都市河川で川と言うより上流は溝
と言った風でした。その水源は立花山山系の周辺の山の麓に
あるため池がほとんどでした。
一方現在地の東谷川は二級河川の中では大きい部類の紫川の
支流で平尾台、貫山系のからの谷川を水源とするところが
多いようです。主なところでは志井の茶屋川、母原の母原川、
井手浦の立花川に井手浦川平尾台麓で湧水が湧くお糸池、更に
上流の吉原鉱山跡からの流れがあります。
今回は吉原鉱山周辺です。一つは鉱山の敷地から流れ出ていますが
たぶん、鉱山の地下水かと思われます。もう一つは吉原鉱山の
敷地の中を流れる小さな流れですが龍が鼻方面から来ているようです。
どちらも鉱山の敷地の中に入れないので最初の一滴は見ることは
出来ないのが残念です。またここの山の反対側の頂吉のほうには
紫川源流の石碑があるそうなのでいつか一度みておきたいと
思います。



吉原鉱山跡地からの湧き水です。かなりの水量で少し下流には金辺トンネルの
跨線橋に続いています。



平尾台の最高峰、竜が鼻です。ここの麓からも東谷川の源流があります。

  
タグ :東谷川源流


Posted by メドウおじさん at 17:42Comments(0)東谷(北九州)の紹介

南天

2012年01月07日

南天は「難を転じる」と言われその赤い実が房状になり
丁度お正月前後に赤く色づくことから、おめでたいお正月
飾りの木の実として古くから使われてきました。
また一方その実には咳止めの効果があり古くから咳止めの
効果があることが知られてきました。
ただし、その薬効のもとは植物性のアルカロイドで
有毒成分でもありますから一般の方が安易に利用しない方が
よさそうです。各地の野山に自生したり鳥が種を運んできた
りと自然と芽が出ている事がありますが中国原産で古い時代
に日本に渡ってきたものです。



  
タグ :ナンテン


Posted by メドウおじさん at 17:56Comments(0)季節の花

冬バラ

2012年01月06日

寒空の中で四季咲きの冬バラが懸命に花を咲かせています。
冬の開花はバラに負担をかけるのでよくないのですが花の
乏しい冬のガーデンで透明感のある透けるような美しさを
見たくて2,3株勢いのある株の蕾を数輪残し楽しんでいます。
冬咲きで無理をさせると春の成長が悪くて昨年は大好きな
アイスバーグが春に咲かなかったことがあるので今年は
残す株を慎重に選びました。今からはつるバラの剪定と
誘引で忙しくなります。






  
タグ :冬バラ


Posted by メドウおじさん at 09:59Comments(0)季節の花

大野八幡神社

2012年01月05日

東谷、中谷、西谷の三谷の氏神様は大野八幡社です。
天智天皇6年西暦666年の創建と伝えられ平安時代この
辺り一帯は大野荘とよばれ宇佐八幡宮の荘園だったようです。
最初は中谷の大野山山頂に降臨され当初はこの山の上に
神社はあったそうです。大野山はいわゆる神奈備型の美しい
稜線を持つ山で(簡単に言うと富士山型です)その後神社は
大野山の麓に移されました。さらにその後、東谷地区の氏神様
と中谷、西谷の氏神様として東西の大野神社となりました。
西大野神社はそのまま山本の現在地に東大野神社は石原町の
花枝山に分祀されました。

東大野神社一の鳥居です。すぐ前を国道322号が走っています。



山本の西大野神社です。


西大野神社の御神域大野山です。みごとな神奈備型の山です。
山頂に遺跡が残っていないか興味あります。
  
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Posted by メドウおじさん at 10:54Comments(4)東谷(北九州)の紹介

志井の四つ井戸

2012年01月04日

志井の名前の由来は四つの井戸、四井からきたと言われています。
実際今も四つの井戸がのこっています。四つの内三つ迄は見つけた
のですがあと一つがまだ見つかりません。おおよその場所は判って
いるので近く見つけたいと思っています。少し驚いているのはどの
井戸も今も水が湧いていることです。
どの井戸も土地の神様と関係あり、神事が行われたり日常の生活で
使われたりしています




 







  


Posted by メドウおじさん at 08:50Comments(2)東谷(北九州)の紹介

村境

2012年01月02日

志井と東谷の母原は低い尾根を隔てて隣同士なのですが行政区てきには
古くから別でした。志井が古くは企救郡企救町で小倉市(当時)への合併も
早かったのに対し東谷を含む三谷はさいごの合併だったようです。
当然小学校も中学校も別でした。子供の頃三谷の小学校では合同の
陸上競技会などあったのですが志井小学校とは交流がなかった気が
します。
行政区が違うと住民のコミュニケーションもずいぶんと違って来るものです。


正面鉄塔の左が志井の茶屋集落、右が東谷の母原集落です。
  
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Posted by メドウおじさん at 17:05Comments(0)東谷(北九州)の紹介

日田彦山線の鉄橋

2012年01月01日

謹賀新年、今年も皆さん、よろしくお願いします。
東谷川を横切る日田彦山線の鉄橋は石原町駅を出て呼野の
方面に300mほどのところにあります。東谷川を渡る
鉄橋は現在ここだけです。鉄橋の造りはいわゆるガーター
鉄橋と呼ばれるタイプです。作られたのはいつごろかよく
わかりませんが金辺トンネルが明治の後半に作られてい
ますので、その頃と思われます。実は以前紹介したセメント
鉱山の引込み線にも東谷川を渡るガーター橋があるのですが
こちらは今はもう廃線になっていて鉄道ではなく普通の橋に
なっていて最近までトラックなどが走っていたのですが今は
ゲートが閉鎖されて車は通れません。廃線の盛り土が残っ
ていて格好の散歩道になっています。



日田彦山線木下鉄橋です。

呼野へ向かって右側が本線、左がセメント鉱山の引込み線の廃線跡です。



引込み線のガーター鉄橋です。


線路は撤去されていて車が通っていました。
  


Posted by メドウおじさん at 16:55Comments(0)勝手に近代化遺産